第21話

「あたくしの一族は、通詞つうしの横山家と親戚筋に当たりまして、横山家に後継ぎが育っていない時に、養子に迎えてもらうこともありました。それ故に、決して楽な暮らしではありませんでしたが、読み書き、算盤そろばんはしっかりと仕込まれておりました。また、あたくしと竹次郎の兄弟は、蘭語らんごを少し学んでおりました。もちろん、我ら一族は切支丹であることは横山家に隠してはおりました。取引をしている阿蘭陀は、教えが違えども同じ天主を信じていることは知っておりました。阿蘭陀を通じて、いつの日かパーテレを迎えることを心の支えにし、信仰を続けておりました」

 釼一郎はじっと聞き入っている。

「どうしたわけか、竹次郎は銭への執着が幼きころから強うございました。我が一族には切支丹の教え、富める者はパライゾへ行けぬという教えがあり、貧しくとも誇りを持って暮らしておりました。竹次郎には、その暮らしが耐えられなかったのかもしれません。代々密かに伝えてきたまりあ観音像がありましたが、ある時、竹次郎が銀三十匁もんめ庄屋しょうやに売りました。竹次郎には切支丹であることは、打ち明けておりませんでしたので、観音像の意味もわかっていなかったのです。庄屋は我らの土地に目をつけ、切支丹である証拠を探そうとしておりました。まだ分別のわからぬ竹次郎を騙したのです」

 腕組みをした左内が唸った。

「お調べになった通り、一族は捕らえられて拷問を受けました。そのうちに庄屋の悪事が露見し、庄屋が悪いということになり一族は放免ほうめんとなりました。しかし、あたくしの女房は死んだ。その腹の中には我が子もいたのです。竹次郎は切支丹の秘密を知った後で、ひどく後悔をしましたが、あたくしはとても許すことはできませんでした。その頃、通詞の横山家では、当主と嫡男が流行り病で亡くなりました。子はいたのですが、まだまだ小さい。そこで隠居をしていた先代が、あたくしを仮初かりそめの通詞役として呼び寄せました。この先代は以前からあたくしを大変に可愛がってくれておりました。あたくしも渡りに船ということで、横山善右衛門として、新たに生きることを選びました」 

 釼一郎は首を傾げて、善兵衛に問うた。

「切支丹と疑われたことは、さまたげにはならなかったのですかね?」

「ええ、先代は色々と尽力してくれまして、松太郎としての昔の話はごく一部の者しか知りません。あたくしもあらためて絵踏えぶみをしまして、潔白を示しました。まあ、切支丹では絵踏をした後で、デウス様の許しを得るまじないがありまして、絵踏はさほどの困難はなかったのです。あたくし自身は、女房、子のことがあり、信仰心を失いつつあったというのも正直なところです」

「それは無理もないことかもしれませんね」

 釼一郎がため息を吐きながら相槌を打った。

「通詞の仕事はあたくしに合っていたのか、一所懸命に働きました。阿蘭陀おらんだ人とも仲良くなり、横山の先代も大変に喜んでくれました。寛政九年のことです。二年ぶりに阿蘭陀の船がやってきて、出島でじまも大いに賑わいました。ところが、どうやら様子がおかしいのです。こちらが注文した品が届いておらず、蘭語が通じない船員も多い。帆柱ほばしらには阿蘭陀の旗が国旗がはためいておりましたが、役人も通詞たちも、妙だなと気付きました。阿蘭陀商館の話もどうにもはっきりせず、なにかを隠しているようでした」

「国の大事を隠しておったのか」

 左内は眉間に皺を寄せ、嫌悪感をあらわにした。

「その嘘はどうやって気づいたのですか?」

 釼一郎が善兵衛に訊ねる。

「切支丹の聖典せいてん経典きょうてんとでも申しましょうか。阿蘭陀船が入港する時は、そのような切支丹に関わる品は全て差し出すように申し付けているのですが、その経典の字が違っていることに気が付いたのです。信徒にとって大事な経典が、自国の言葉で書かれていないというのもおかしな話ですから」

 釼一郎は感心したように相槌を打つ。

「なるほど切支丹の善兵衛さんだから、そこに気がついたんでしょうね」

 善兵衛はうなずいた。

「あたくしは阿蘭陀人と、あめりか人船長に取引きを持ちかけました。内緒にしてやるかわりに、阿蘭陀商館の商売に関われるようにかけあったのです」

「金を無心したのではないのか?」

 左内がいぶかしんだ。

「金品をねだってしまえば、ことが露見した時に罪を問われます。それに、目先の少々の金より、後々に大金を稼ぐ方が良いと考えたのです。これは、阿蘭陀人と関わるうちにわかってきたことです。なにより阿蘭陀人の金の稼ぎ方を学びたかった」

「金の稼ぎ方?」

 釼一郎が問いかける。

「執着心とでも言いましょうか。あたくしは幼き頃から、金を稼ぐことがどこか悪いことだと思ってました。それは切支丹の教えでもあります。ところが、阿蘭陀人は同じ天主を信じながら、金に対する考えが違う。ただの欲深いとも違うのです。ですから、あたくしはその考えを知りたかったのです」

「なんですか? その違いとは?」

 興味を示した釼一郎は、身を乗り出す。

「阿蘭陀の耶蘇やそ教では、人の運命、デウス様によって救われるか否かは、あらかじめ決められていると考えているそうです。人は運命に合った仕事を一所懸命に励む。このことがデウス様への信仰なのです。ですから、商人が金儲けすることは、デウス様を信じることなのです」

「ふうむ、拙者には屁理屈にも感じるな。運命が決まっているなら、怠けてしまおうと考える者もいそうだな」

 左内は顎に手を置いて、疑問を述べた。

「あたくしも、初めはそう思いました。ですがデウス様を信じ、耶蘇を信じることで救われるとも言うのです」

「うーむ。それは阿弥陀仏あみだぶつに祈ることで救われるようなものか?」

 左内は首を捻る。

「それは、あたくしにはわかりません」

「左内さん、仏の教えはまた今度で」

 釼一郎が間に入って、善兵衛に続きを促す。

「爪に火を灯すように貧しくとも正直に暮らしていた我らの一族が苦しむのはなぜなのか、とずっと考えていました。ですから、あたくしにはこの阿蘭陀商人の考えがしっくりきました。金儲けは悪いことではなく、デウス様を信じること。道は違えど、信じることは同じ、そう解釈したのです」

「だから熱心に商売をし、金儲けをしたんですね」

 釼一郎の言葉に、善兵衛はうなずく。

「金儲けはあたくしの性分しょうぶんに合っていたようです。あたくしをかわいがってくれた横山家の先代が亡くなり、通詞の役目を終えた方が良かろうということで、江戸へやって参りました。そこからは、商売も具合良く進みまして、蔵も持てるほどの大店おおだなとなったのです」

「虎吉一家とずいぶんと阿漕あこぎな商売をやっていたようだがな」

 左内が皮肉を言うと、善兵衛は悪びれずに言った。

「人が悪く言うのは知っておりますが、あたくしも、虎吉親分も潮時しおどきを見計らって商売をしているだけでございます。いざこざが起こった時に、親分の力を借りたまで」

 納得できない、というように左内は首を振った。釼一郎は善兵衛に問いかける。

「じゃあ、竹次郎さんがやって来た時、なぜ虎吉親分の手を借りなかったんです? 虎吉に頼めば、儂らが調べることもなかったかもしれない」

「もちろん考えましたが、切支丹であることは虎吉親分にも知られたくなかった。そこで、あたくし一人で竹次郎に会いました。竹次郎を許したわけではありませんでしたが、それは血を分けた兄弟。会いたいと思う気持ち、懐かしむ思いもあったのです。……ですが、竹次郎は身を持崩もちくずしておりました。あたくしの店で奉公したいと言いましたが……。とても信用できるわけがありません。なにより人前で、オラショなどと軽々しく口にする、これは放って置けないと思いました」

「だから、竹次郎を手にかけたのだな?」

 左内の言葉に、善兵衛は二度小さく首を縦に振った。

「両国橋の袂で、あたくしは竹次郎の首へ紐をかけました。……ですが、あたくしは、ためらって手を緩めました」


 

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