第20話
「まあまあ、話はそれだけじゃありませんよ。儂はね、あなたが
九州の地では、切支丹と思われる信仰が度々摘発された。寛政二年の浦上崩れ、文化二年の天草崩れは
善兵衛の顔色が変わったことを釼一郎は見逃さなかった。
「これはピタリと当たりました。長崎奉行所には、松太郎なる者の一族が、切支丹の疑いで捕らえられた記録が残っていたのです」
ちびりと善兵衛は青い唇を舐めた。顔からは血の気が引き、
「松太郎の弟、竹次郎が家宝の子安観音像を庄屋に差し出した。この庄屋が松太郎を切支丹であると訴えたことから、松太郎は捕らえられた。元々、松太郎の一族は、
「……肉。そうか、山くじら屋で善兵衛と竹次郎が会ったのも、昔から二人は肉を食しておったからか」
左内が膝を打った。釼一郎はうなずいて話を続ける。
「ええ、食べ慣れていない者が、肉を喜ぶとは限りませんからね。松太郎は
「なんと……むごい……」
「子安観音は、
善兵衛はわなわなと震えだした。
「やめろやめろ! そんな
感情をむき出しにした善兵衛は、釼一郎の声をかき消すかのように、叫び続けた。
釼一郎は穏やかな口調だが、善兵衛の勢いに押される様子もない。
「ここまでの筋を、順を追ってさらってみましょう。松太郎という者は殺された竹次郎の兄。竹次郎のせいで松太郎は切支丹を疑われ、牢に入れられた。調べのうちに、女房と子が亡くなった。これまでが松太郎のこと。
左内が納得したように言った。
「竹次郎という弟と、子安観音か」
「その通り。切支丹の疑いが晴れた松太郎が、善兵衛と名を変えていても子安観音を隠し持っていた。こうなると、知らずに買ったという言い訳は、どうにも信じられなくなってくる」
善兵衛は開き直ったかのように、胸を張って言った。
「あなたさまの当て
「そうですか……。では、この唄に聞き覚えがありますか?」
そう言って、釼一郎は節をつけて唄い出した。
あー参ろうやな 参ろうやなあ
パライゾの寺にぞ参ろうなあ
善兵衛はゴクリと唾を飲んだ。次第に息が荒くなっていく。
「どうですか? 善兵衛さんが竹次郎を手にかけた時、船着場の
「おら、オラショ……? なんだそれは?」
「デウスという天主に捧げる祈り。仏の教えでいう念仏のようなものですかね。両国橋の袂で、講釈師が聴いたという唄。それがオラショだった」
善兵衛は釼一郎を凝視している。
「儂は切支丹を根絶やしにしたいわけじゃあない。宗門改も役目を終えた今、奉行所だって手に余る。だけどねぇ、殺しとなっちゃあ話は別だ。ましてや、勝手気ままにやっている虎吉一家を見逃すわけにはいかない。善兵衛さん、どうでしょう? 切支丹の教えだって、人の命を奪えば償わなければいけないはずです。竹次郎と佐吉の殺し、そして虎吉のことを喋ってくれさえすれば、切支丹のことは勘違いであった、ということで済む。ねえ、左内さん」
少し考えてから左内は
「確かに、善兵衛は耶蘇教の
しばらくうなだれていた善兵衛は、頭を上げて
「なるほど……。これもあたくしの定めでございましょうな。全てお話いたしましょう。竹次郎のことも、佐吉のことも」
その言葉を聞いて、釼一郎は善兵衛へ微笑んだ後、左内に向かって軽く頭を下げた。
「左内さん、お奉行に切支丹の取り計らいを……」
「承知した」
左内は力強くうなずいた。
「さて、善兵衛さんが認めてくれたということで、佐吉さんの
善兵衛は驚愕して、釼一郎の顔を見詰めた。
「佐吉さんを運ぼうとした虎吉一家の手下は、こちらで捕らえましたよ。奉行所の中に、善兵衛さんと虎吉に通じている者がいるのではないかと疑っておりました。蔵が調べられることがわかれば、死体を移すだろうと見当をつけておったのです」
善兵衛は
「なるほど、全てあなた様の
「承知しました。ご安心ください」
そう答えた釼一郎に、善兵衛は付き物が落ちたような晴れやかな顔で礼を述べた。
「ありがとうございます。そこまで見通されているのでしたら、少し昔話も聞いてもらいましょう」
釼一郎は左内の顔をちらりと見ると、左内は無言でうなずいた。釼一郎は火鉢の側に善兵衛を手招きする。善兵衛は小さく首を左右に振ってから口を開いた。
日本での
室町末期の戦国時代に
そして、
この後、一人一人を寺の
それでも、息を潜めて信仰を続ける隠れ切支丹がいたのである。
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