第20話

「まあまあ、話はそれだけじゃありませんよ。儂はね、あなたが切支丹きりしたんじゃないかと思い当たってから、長崎奉行所に聞き合わせたんですよ。肥前ひぜんの切支丹であれば、長崎奉行が関わりますからね。浦上崩うらがみれ、一昨年の天草崩あまくさくずれのようにね」

 九州の地では、切支丹と思われる信仰が度々摘発された。寛政二年の浦上崩れ、文化二年の天草崩れは異宗いしゅうとして取り調べられたが、結局、切支丹とは認められなかったのである。

 善兵衛の顔色が変わったことを釼一郎は見逃さなかった。

「これはピタリと当たりました。長崎奉行所には、松太郎なる者の一族が、切支丹の疑いで捕らえられた記録が残っていたのです」

 ちびりと善兵衛は青い唇を舐めた。顔からは血の気が引き、蒼白そうはくになっている。

「松太郎の弟、竹次郎が家宝の子安観音像を庄屋に差し出した。この庄屋が松太郎を切支丹であると訴えたことから、松太郎は捕らえられた。元々、松太郎の一族は、出島でじまの異人の為に牛の肉を納めておりました。ですから、切支丹ではないかと噂があったようです」

「……肉。そうか、山くじら屋で善兵衛と竹次郎が会ったのも、昔から二人は肉を食しておったからか」

 左内が膝を打った。釼一郎はうなずいて話を続ける。

「ええ、食べ慣れていない者が、肉を喜ぶとは限りませんからね。松太郎は宗門改しゅうもんあらための厳しい責め苦に耐え、切支丹ということは認めなかった。しばらく経って、その庄屋が百姓から土地を取り上げるために、根も葉もない罪を着せていたことがわかりました。子安観音以外に確たる証拠もなかったので、結局、松太郎も自由の身となった。ところが、その調べの最中に、松太郎の女房は命を落としていたんです。腹の中の子と共に……」

「なんと……むごい……」

 憐憫れんびんの表情で、左内は善兵衛を見た。釼一郎はゆっくりと言葉を続ける。

「子安観音は、耶蘇やそのためだけじゃあない。女房と子を弔うための物でもあったのです。ですから、奉行所が調べにやって来ることはわかっていても、持ち出すことはしなかった。たとえ、江戸の奉行所が子安観音を調べたとしても、切支丹と繋がりがあることはわからないだろうと踏んだんでしょうね」

 善兵衛はわなわなと震えだした。

「やめろやめろ! そんなれ言はやめろ! 全てでたらめだ!」

 感情をむき出しにした善兵衛は、釼一郎の声をかき消すかのように、叫び続けた。

 釼一郎は穏やかな口調だが、善兵衛の勢いに押される様子もない。

「ここまでの筋を、順を追ってさらってみましょう。松太郎という者は殺された竹次郎の兄。竹次郎のせいで松太郎は切支丹を疑われ、牢に入れられた。調べのうちに、女房と子が亡くなった。これまでが松太郎のこと。通詞つうしの善右衛門は、江戸にやって来て、松屋善兵衛と名乗り蝋燭問屋で富を成した。この松太郎と善右衛門を繋ぐ糸は、まだはっきりしません。しかし、松太郎と善兵衛さんに、当てはまるものはある」

 左内が納得したように言った。

「竹次郎という弟と、子安観音か」

「その通り。切支丹の疑いが晴れた松太郎が、善兵衛と名を変えていても子安観音を隠し持っていた。こうなると、知らずに買ったという言い訳は、どうにも信じられなくなってくる」

 善兵衛は開き直ったかのように、胸を張って言った。

「あなたさまの当て推量すいりょうでしかありませんな。あたくしが、通詞の横山善右衛門であったことは認めましょう。ですが、断じて松太郎などではない。ましてや竹次郎という弟もおりませぬ」

「そうですか……。では、この唄に聞き覚えがありますか?」

そう言って、釼一郎は節をつけて唄い出した。


 あー参ろうやな 参ろうやなあ

 パライゾの寺にぞ参ろうなあ


 善兵衛はゴクリと唾を飲んだ。次第に息が荒くなっていく。

「どうですか? 善兵衛さんが竹次郎を手にかけた時、船着場のこもの中で寝ていた講釈師こうしゃくしが聴いた唄です。竹次郎が山くじら屋で、おらを覚えているか、と兄に問うたと女中が申しておりました。儂はこの言葉にもずっと引っかかっていた。兄と認めた者に、弟がおらを覚えているか、などと訊くことは考えられない。そこで切支丹がオラショを唱えていたことを思い出したのです」

「おら、オラショ……? なんだそれは?」

「デウスという天主に捧げる祈り。仏の教えでいう念仏のようなものですかね。両国橋の袂で、講釈師が聴いたという唄。それがオラショだった」

 善兵衛は釼一郎を凝視している。

「儂は切支丹を根絶やしにしたいわけじゃあない。宗門改も役目を終えた今、奉行所だって手に余る。だけどねぇ、殺しとなっちゃあ話は別だ。ましてや、勝手気ままにやっている虎吉一家を見逃すわけにはいかない。善兵衛さん、どうでしょう? 切支丹の教えだって、人の命を奪えば償わなければいけないはずです。竹次郎と佐吉の殺し、そして虎吉のことを喋ってくれさえすれば、切支丹のことは勘違いであった、ということで済む。ねえ、左内さん」

 少し考えてから左内は首肯しゅこうした。

「確かに、善兵衛は耶蘇教の伝道でんどうを行っていたわけではないからな。奉行所としては耶蘇より、虎吉一家の方が今は大事。お主の国許くにもとにいる切支丹も調べられることはないであろうな」

 しばらくうなだれていた善兵衛は、頭を上げて居住いずまいを正した。

「なるほど……。これもあたくしの定めでございましょうな。全てお話いたしましょう。竹次郎のことも、佐吉のことも」

 その言葉を聞いて、釼一郎は善兵衛へ微笑んだ後、左内に向かって軽く頭を下げた。

「左内さん、お奉行に切支丹の取り計らいを……」

「承知した」

 左内は力強くうなずいた。

「さて、善兵衛さんが認めてくれたということで、佐吉さんの亡骸なきがらは葬うように段取りしてもらえますか?」

 善兵衛は驚愕して、釼一郎の顔を見詰めた。

「佐吉さんを運ぼうとした虎吉一家の手下は、こちらで捕らえましたよ。奉行所の中に、善兵衛さんと虎吉に通じている者がいるのではないかと疑っておりました。蔵が調べられることがわかれば、死体を移すだろうと見当をつけておったのです」

 善兵衛は張詰はりつめていた身体中の息を一気に吐き出すかのように、大きな息を吐いた。

「なるほど、全てあなた様のてのひらの上でしたか……。佐吉を虎吉に預ければ、ぞんざいな扱いをされるのではないかと気がかりでおりました。あたくしが言うことではありませぬが、手厚てあつとむらってもらえませぬか」

「承知しました。ご安心ください」

 そう答えた釼一郎に、善兵衛は付き物が落ちたような晴れやかな顔で礼を述べた。

「ありがとうございます。そこまで見通されているのでしたら、少し昔話も聞いてもらいましょう」

 釼一郎は左内の顔をちらりと見ると、左内は無言でうなずいた。釼一郎は火鉢の側に善兵衛を手招きする。善兵衛は小さく首を左右に振ってから口を開いた。


 日本での基督きりすと教の歴史は、弾圧の歴史であった。

 室町末期の戦国時代に宣教師せんきょうしザビエルがもたらし、徐々に信徒を増やし始めた基督教は、天正十五年に太閤たいこう秀吉が発布はっぷした伴天連ばてれん追放令ついほうれいをきっかけに迫害が始まる。それでも徳川の世では南蛮貿易なんばんぼうえき旨味うまみからか、切支丹の存在も黙認されていた。しかし、慶長けいちょう十七年の岡本大八おかもとだいはち事件が起こると、再び切支丹の迫害が始まる。

 そして、寛永かんえい十四年の島原の乱以降、大目付おおめつけ井上政重いのうえまさしげにより禁教が徹底され、切支丹は激しく弾圧されたのである。切支丹を摘発する為に作られた制度が宗門改しゅうもんあらためであり、踏み絵や拷問による厳しい取調べを行った。そして、五人組、十人組による監視、密告。

 明暦めいれき三年の郡(こおり)崩れ、万治まんじ三年の豊後ぶんご崩れ、寛文元年の濃尾のうび崩れと呼ばれる切支丹摘発では、斬罪の刑に処されている。

 この後、一人一人を寺の檀家だんかとして、切支丹禁圧を行なったのが寺請てらうけ制度である。この寺請制度により、全て民は仏教徒となり、表向きは切支丹は存在しないことになった。

 新井白石あらいはくせきが取調べを行ったイタリア人のシドッチを最後にして、日本にやってくる宣教師も途絶えた。

 それでも、息を潜めて信仰を続ける隠れ切支丹がいたのである。


 

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