第19話


 捕らえられた下手人げしゅにんは、小伝馬町こでんまちょうにある石出帯刀いしでたてわき牢屋敷ろうやしきに入れられて取り調べられる。

 松屋善兵衛まつやぜんべえも、牢屋敷に入れられて吟味方ぎんみがた与力よりきの取り調べを受けたが、もくして語らなかった。

「やはりなにもしゃべらん」

 左内が腕を組んだ。

 善兵衛、虎吉とらきちと親密な大名や、旗本はたもとなども少なくない。白状はくじょうせぬまま手間取てまどってしまうと、いずれかから横槍よこやりが入ることは間違いなかった。

 また、敵は早川金次郎はやかわきんじろうを襲い、左内を襲い、釼一郎も狙われた。

 虎吉をお縄にするまでは一刻の猶予ゆうよも許されない。左内は厳しい責めで、善兵衛を白状させたかった。

 左内は頭を抱えながら、うなるように釼一郎に言った。

「お奉行にかけ合い、無理にでも拷問ごうもんをするか……」

 この時代でも拷問をするには、手続きを踏まなければならない。竹次郎に手をかけた証拠、佐吉に手をかけた確たる証拠もない。観音像だけでは証拠としては弱く、奉行の許しが出るとは思えなかった。

「たとえ奉行の許しが出たとしても、それは難しいでしょうね」

「どうしてだ?」

「善兵衛は長崎で、宗門改しゅうもんあらための拷問にも耐えた男です。おそらくなにも語らぬでしょう」

「なんだと?」

「儂に少し話をさせてください」

「わかった……。なんとかしよう」


 牢の中で、善兵衛は背筋を伸ばし正座をしていた。何かを思案しあんしているのか、目を閉じている。

 釼一郎と左内は牢の中に入り、釼一郎は善兵衛の前に座って胡座あぐらをかいた。

「ここはずいぶんと冷え込みますね。火鉢ひばちを一つもらえませんかね」

「牢の中に火鉢はな……」

「まあ、いいじゃありませんか。冷え切った身体じゃ、口も硬くなるでしょうねぇ、善兵衛さん。いや、松太郎さん」

 善兵衛のまぶたがピクリと動き、静かに目を開いた。

「少しあなたのことを調べさせて貰いました。どうやって、一代で松善ほどの身代を築いたか、気になりましてね」

 無言のまま、善兵衛はじっと釼一郎をながめている。

「だいぶ儂の当推量あてすいりょうもありますからね。違ってたら遠慮なく言ってくださいよ。江戸へ出て来る前は、長崎に居ましたね?」

 釼一郎の言葉に、善兵衛はまるで反応する様子は見せなかった。そのまま、釼一郎は続ける。

阿蘭陀おらんだと日本は、権現様ごんげんさまが将軍として江戸に幕府を開いてのちは、長崎の地で交易をしております。それまでは、南蛮なんばん人とも交易を行っていたようですが、耶蘇やそ教が禁教となって以来、阿蘭陀と唐人とうじんと交易を行ったようですね。その仲介として、通詞つうしが役目を務めた。この通詞というお役目は世襲で《せしゅう》、決まった家の者がその任についておりました。阿蘭陀通詞の中に、横山善右衛門という者がおりました。この善右衛門という男がなかなかの人物で、阿蘭陀の言葉も達者、商売のこともわかる」

「……善右衛門?」

 左内は善兵衛をちらりと見た。

「まあまあ、そう慌てずに。この阿蘭陀との交易は、初めは儲かっていたそうですが、だんだんと日本にやってくる船も少なくなったそうです。久方ぶりにやって来た阿蘭陀の船。どうも様子が違う。船に掲げた旗こそ阿蘭陀だが、日本が頼んでいた積荷と違う。船乗り達の言葉も違う。そらそうです。この船は阿蘭陀の船じゃあない。あめりかの船だったんです。阿蘭陀という国はなくなっていたんです」

 善兵衛の目が大きく開いた。左内は要領を得ず、釼一郎に問い質す。

「なに? どういうことなのだ?」

「エウロパのふらんすという紅毛こうもう人の住む国での民が反乱した。一揆のようなもんですかね。民が王を殺し、民の国を作ったんです。その民の国も新しい王が治めたが、この新しい王が戦好きで、阿蘭陀にも攻め入った。そして阿蘭陀は負け、ふらんすの軍門に降った。阿蘭陀も国がなくなっては交易ができない。でも、日本と交易はしたい。だから、あめりかの船を借り、阿蘭陀の船と偽って日本にやって来た」

「待て、そのことはお上は承知しておるのか?」

 左内が口を挟む。

「おそらく、知らない。知っていてもごく一部でしょうね。長崎の通詞が隠しているんでしょう」

「なぜ、知らせんのだ?」

「双方に得がないからですよ。阿蘭陀以外の国との交易を行うには、途方もない手続きがいる。場合によっては、交易が取り止めになるかもしれません。長崎の通詞にしても、阿蘭陀にしても、内緒で続けたかったんでしょうね。内緒にすることで、阿蘭陀から見返りを得た通詞がいたのです」

「それが善右衛門というわけか……。しかし、釼一郎殿はなぜ、通詞しか知り得ぬ話を知っておるのだ?」

 釼一郎はにやりとした。

「儂は長崎に居た時、阿蘭陀人に医学を習っていたことは、お話しましたね。その阿蘭陀人は本国から金の援助で暮らしていたのですが、国が無くなって金が届かなくなり、困っておりました。そこで、儂が事情を密かに打ち明けられて、金の相談に乗ったということです。まあ、金の出所は親父様なのですがね」

「いやはや、釼一郎殿には恐れ入るな。それでその善右衛門は?」

「左内様のお察しの通り、善兵衛と名を変えて江戸で蝋燭ろうそく問屋を始めた。それが、そこにいる松屋善兵衛さんです。これは確かな筋からの話です」

 二人の会話を無視するように、善兵衛は静かに目を閉じた。

 腕組みをして左内は唸った。

「なるほど、善右衛門、いや善兵衛はその一代で大店おおだなになったのには、そういうカラクリがあったわけか。……では、善兵衛の弟、竹次郎はその話を元に、強請ゆすろうとして殺された……」

「ところが困ったことに、竹次郎という者と善右衛門との繋がりがはっきりしなかったのです。その善右衛門は、横山家の養子でしたが、今は横山家のお役目は別の者が継いでいます。元々、善右衛門は長く通詞をやることになっていたのか、次の者が大きくなるまでの約束だったのかはわかりませんがね。そこで、儂は善右衛門のことは置いて、竹次郎の殺しについて考え直しました。ずっと、気になっていたことがありましてね」

「それはなんだ?」

「善兵衛さんが竹次郎を殺したにしろ、その訳がわからなかった」

「昔の話で、強請ゆすりか、たかりをしたからではないのか?」

「たとえ強請りだったにしても、善兵衛さんが手を下すのは合点がてんがいかない。なにしろ、虎吉一家という殺しの玄人くろうとがいるわけです。大店の主人で利口な男が、そんな危ない橋を渡るようなことはしないでしょう」

「確かにな」

「ですから、儂は善兵衛さんが自ら殺したのは、なにか強い恨みか、もっと大きな秘密があると考えた。他の者に、竹次郎の存在さえ知られたくなかったとしたら……」

「その秘密というのが、切支丹きりしたんということか……」

「ええ、忌まわしきものと恐れられる切支丹です。善兵衛さんが切支丹であることが知れたら、虎吉一家も敵に回るかもしれない、そう考えてもおかしくはない」

「だから他の人には頼めなかった。うむ、辻褄つじつまは合うな」

「少々お待ちください」

 今までなにも語らなかった善兵衛が口を開いた。薄く青い唇は左側が釣り上がり、皮肉ひにくそうな笑みを浮かべている。

「さっきから黙って聞いておりますと、勝手なことをべらべらと喋りますな。あたくしが竹次郎を殺した証拠もなければ、切支丹であるという証拠もない。ましてや姿をくらました佐吉も、あたくしが手をかけたことにされている。しばらく呆れておりましたが、濡れ衣を着せられたまま、ほうっておくわけにも参りませぬな」

子安こやす観音像が何よりの証拠ではないか」

 厳しい口調で左内が善兵衛に言うと、冷静だった善兵衛が声を荒らげる。

「あれは亡くなった妻と子を弔う観音像。古道具屋で仕入れた物で、どういういわれの物であったかは知らずに買い入れておりました。言いがかりもいいかげんにしてください」

「確かにその証拠だけでは、お怒りはごもっともでしょうな。どうですか? 一服」

 釼一郎は懐から煙草たばこ入れと煙管きせるを出し、善兵衛に渡そうとする。善兵衛は不快さを隠そうともせずに、吐き捨てるように言った。

「煙草はやりませぬ」 

「そうですか、では失礼して」

 意に介さぬ釼一郎は、煙草入れから葉を火皿に詰め、火鉢に雁首がんくびを近づける。煙草にチリっと火がついた。美味そうに紫煙しえんくゆらせながら、善兵衛を眺める。

「人を馬鹿にするにもほどがある。他に話がなければ今すぐ店に帰らせてもらいたい」

 釼一郎は雁首をひっくり返して、火鉢に灰を落とし、煙管にフッと息を入れる。煙管を細長い袋の中に入れると再び話始めた。

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