第18話


 山田家の座敷で、釼一郎けんいちろう左内さない明五郎あきごろう蕎介きょうすけが揃って顔を見合わせている。左内が決意を固めた様子で口を開いた。

「明日、松善へ乗り込み、松屋善兵衛まつやぜんべえを縄へかける」

「お、とうとう尻尾を掴んだんで?」

 蕎介が身を乗り出す。左内は釼一郎の顔をちらりと見た。釼一郎は左内に代わって話始める。

「ええ、恐らく、手代の佐吉は松善の蔵にいる。というより、すでに死んでいるかもしれない」

「本当ですか?」

 明五郎が驚く。

「先だって、左内さんのお仲間だった金次郎さんが襲われた。この時、佐吉さんの話をだしに誘い出された」

 左内が悲痛な面持ちでうなずき、釼一郎の言葉を引き継いだ。

「松善と虎吉の動きも調べているが、佐吉を探している様子もない。佐吉が本当は逃げていないことを知っていたとしか思えぬ。それに佐吉がいなくなってから、松善はいつもよりも多く白檀びゃくだんを仕入れたという話を手に入れた。それを店の者の手を借りずに、自ら観音像のある蔵へ運び込んだらしい。暑くないとはいえ、死体の臭いを気にしているのであろう」

 蕎介は首をかしげる。

「なぜ、佐吉の死体をさっさと始末しないんですか? 蔵から運び出しちまえばいいでしょう」

逐電ちくでんしたことにしてるぐらいだ。店の者にも知られたくはないのだろう。もうすぐ正月の薮入やぶいりだ。店の者は皆、国許くにおとに帰る。その時に、虎吉一家から人を寄越よこして運び出すのではないか」

「なるほど……」

 蕎介も納得したようである。

「それでも、万が一でも佐吉の亡骸なきがらがなかったら……」

 明五郎が不安を口にする。

「万が一、万が一でもそのようなことになったら、拙者は腹を切る覚悟はある。なんとしてでも、早川金次郎はやかわきんじろうの仇を取りたい。そのためには、多少の無理は承知だ。今度のことは奉行も承知している」


 善兵衛は大きく溜息ためいきを吐いた。蝋燭問屋ろうそくどんやにとって冬場の夜長は掻き入れ時である。商いは繁盛しているが、その分出入りも多い。松善の番頭ばんとうも出来る者達であるが、善兵衛は全ての銭勘定に目を通している。

 店を開ける前になんとか方を付けようと、この日は早朝から大福帳だいふくちょうにらんでいた。

 善兵衛は首を傾げると、右肩をトントンと叩いた。

「おい、佐吉や、茶を持って来ておくれ」

 そう言った後で、善兵衛は佐吉がもうこの世に居ないことを思い出した。

 善兵衛は佐吉が茶屋の女に入れ込み、金を散財さんざいしているのを知っており、なんとか目を覚まさせようと考えていた。

 口では厳しいことを言っていたが、誰よりも佐吉に目をかけていた。

 なにより子供身寄りのない善兵衛である。後から雇った番頭より、丁稚奉公から仕込み、よく気がつく佐吉にいつか身代しんだいを譲りたいと思っていたのである。

 それは、佐吉に弟の竹次郎を重ねたのがしれない。

 竹次郎も幼き頃は、聡明そうめいで良くできた弟であったが、悪友に遊びを教えられてから、身を持崩もちくずしていった。

 あの晩、善兵衛は肌身離さず持ち歩いていた土蔵どぞうの鍵を、着替える時にうっかり脱いだ着物に忘れてしまった。

 外へ出た後で思い出し、慌てて取りに戻ったのだが、ふと、佐吉のことが気になった。

 泳がせた時、悪事に手を染めるのか、それとも踏み止まるのか……。

 善兵衛は佐吉を信じたかった。

 しかし、佐吉は善兵衛を裏切り、土蔵に忍び込んで観音像を盗もうとした。

 かわいさ余って憎さ百倍とでも言うのだろう。善兵衛は湧き上がる怒りを抑えることができなかった。

 蔵の中で善兵衛は、佐吉の背後から頭を殴り殺した。

 寒い季節ゆえ、死体がすぐに腐る心配はなかった。臭気は白檀で誤魔化ごまかしながら、蔵から運び出す機会をうかがっていたのだった。

 善兵衛は呆然ぼうぜんと宙を眺めたまま、しばらく考えていたが、再び奥へ声をかける。 

「おい、誰かお茶を持って来ておくれ」

 だが、奥から返事はなかった。 

 明日の支度に忙しいとはいえ、声をかけた時にすぐに飛んで来ない奉公人ほうこうにんたちに苛立いらだちを覚えた。

「おい、誰か居ないのか?」

 善兵衛が立ち上がろうとした時、ふすまがすっと開いた。普段は冷静な善兵衛もさすがに身を硬くする。男が名乗った。

「同心、左内」

 見覚えのある顔に、落ち着きを取り戻したのか、善兵衛は冷静に言った。

「こんな夜遅くに何の御用ごようでしょうか」

「善兵衛。お主を捕らえに来た。店を取調べさせてもらう」

 左内が言い終わらないうちに、店の中が騒々しくなって来る。

 指揮をする与力と、忙しく動き回る岡っ引きの姿が見える。

「一体何の罪で?」 

「お主の弟と、手代の佐吉を殺した罪だ」

 善兵衛は冷ややかに言った。

「何をおっしゃいます。左内様、私はお旗本はたもとやお大名に知り合いがおります。根も葉もないことですと、あなた様、いやお奉行様も困ったことになりますぞ」

 左内は険しい顔のまま動じる様子もない。

「言い訳は、まず蔵を開けてからにしてもらおう。佐吉がそこに眠っているはずだ」

 ぴくり、と善兵衛のこめかみが動いたが、顔色は変わらぬまま冷たい声で言った。

「林様……。蔵を開けた時、中に何も怪しい物がなかったら、その時はわかっておりましょうな」

 左内は善兵衛に鋭い視線を送る。

 近付いて来た蕎介が、そっと左内に耳打ちした。

「店の者の話では、今朝早く若い衆が来て、大八だいはち車に菜漬なづけの桶を積み、なにやら運び出したそうです」

「なんだと!」

 左内の顔付きが変わった。

「おそらく、虎吉一家の手の者かと。奴ら佐吉を運び出したに違いありません」

 形振り構っていられないこの事情で、強引に佐吉の死体を運び出したのであろう。

 蔵の中に死体がない場合、左内一人の腹では収まらないかもしれないのだ。

「うぬぬ……」

「どうしますか? 蔵を開けさせますか?」

 蕎介が不安そうに問いかける。側にこの場を取り仕切る年配の与力よりきがやってきて、左内を問い詰めた。

「確かな話ではなかったのか?」

 善兵衛が涼しげな顔で言った。

「このままお引取りいただければ、あたくしもことを荒立てるつもりはございません」

「そうか……」

 与力がホッとした表情を見せる。

「皆の者、引き上げるぞ」

「お待ちくだされ!」

 鋭い声で、左内が皆を制止した。そして、善兵衛に対し厳しく言い放つ。

「松屋善兵衛、蔵を開けてもらおう。はったりで我らを脅すぐらいだ。まさか開けぬとは言うまいな」

 善兵衛の眼がギョロリと左内を凝視した。が、すぐにその表情は穏やかになり、むしろ余裕さえ感じられた。

「そこまで言うなら仕方がありませんな。あたくしは確かに忠告いたしましたよ」

「お、おい、左内……」

 与力はおどおどとして、困った様子である。

「では、蔵へ参りましょう」

 善兵衛は左内らを引き連れて、土蔵へ向かった。

 土蔵の扉には黒光りした、大きな錠が留められている。

 善兵衛は鍵を取り出し、ガチャリと錠を開けた。蔵の中からは白檀の香りが溢れて出てくる。

「どうぞ」

 戸前で善兵衛は右手を出して、蔵の中へ入るように促した。左内と蕎介、そして他の同心二人が蔵の中へ入った。

 一瞬、すえたような臭いがしたが、それはすぐに白檀にかき消されてわからなくなった。

 窓がない蔵は暗く、入り口からの明かりと、手燭てしょくを頼りに中を探す。

 蔵の中には一尺ほどの長さの箱が積まれていた。中には蝋燭と白檀の箱が入っている。

 中央には白磁はくじの観音像が据えられている。蔵の広さは八畳ほどで、すぐに満遍まんべんなく調べられた。

 左内が地面に手燭を近づけて、注意深く見ていくと、血が固まったような跡があった。だが、佐吉の姿はどこにも見当たらない。

「どうですかな?」

 蔵の外で、与力と談笑していた善兵衛が声をかけてくる。蕎介は心配そうに左内の顔を確かめた。左内は表情一つ変えず、善兵衛の言葉を無視し、蔵の外へと出た。左右を見回し、一人の年寄り侍を手招きした。

「こちらへ」

 呼ばれた老侍は、蔵の中に入り観音像の前に立った。手燭を近づけ、じっくりと念入りに調べる。

 やがて老侍は左内を振り返って言った。

「間違いありませぬ」

 左内も力強くうなずいた。外で待っていた与力が、痺れを切らしたように、左内を叱りつける。

「いったいどうしたのだ! 刻を無駄にするではない!」

 与力は善兵衛の機嫌を損ねぬように気をつかっている様子である。

 意に介さずに左内は善兵衛に言った。

「松屋善兵衛、邪宗じゃしゅう切支丹きりしたんの取り調べのため、奉行所まで来てもらおう」

「なんですと?」

 いつもは冷静な善兵衛が、厳しい顔付きに変わった。与力は左内を眺めて、呆れたように言った。

「なにを馬鹿な……」

「この蔵にある子安こやす観音像が何よりの証拠。耶蘇やそを抱いた母、これこそが切支丹きりしたんあかし

 善兵衛は落ち着かない様子で、しきりに唇を舐めている。与力が左内に怒りをぶつけた。

「なぜ、お主がそのようなことが分かる!」

「拙者はわかりませぬ。……が、この宗門改役しゅうもんあらためやく加藤仁斎かとうじんさい殿ならわかります」

 左内が視線を送ると、加藤仁斎はゆっくりと前に進み出て言った。

「我ら宗門改役はその役目を終えております。しかし、邪宗は邪宗。許されるものではありませぬぞ。この像の胸に十字の印があるのがなによりの証拠でござる」

 切支丹と聞いて与力の顔が強張り、善兵衛から離れた。

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