母よ信頼を

幸まる

散髪

寄宿学校の冬季休みを終え、領主館では五人の姉弟の内、上三人がそれぞれ荷物をまとめていた。

明日には馬車に乗り、寄宿学校のある首都を目指して出発するのだ。




「まったく。伸ばしすぎよ、エドワード」


広間で大きく溜め息をついたのは領主奥方だ。

その前には、椅子に座らされ、大きなケープを首から下にスッポリと被せられた青年がいる。

領主の第二子、長男のエドワードだ。

寄宿学校へ向かう前に、散髪して身だしなみを整えるよう言い渡され、理髪師を呼ばれたのだ。


「しかし母さん、中央の方では、今は長髪が流行りなのですよ」


やや不満気に言った息子に、奥方は悩ましく首を振る。


「それは線が細くて青白い令息達のことでしょう? そんな、陽に当たると溶けてしまうような者達と同じにしてどうしますか。貴方はこんなに精悍で男前なのに」



最近、首都を中心とした中央の地域では、成人前から二十代前半の令息が肩下まで髪を伸ばし、優美なレースのリボンで一つに括るのが流行りなのだ。

絵物語の王子様のようだと、若い娘たちが熱い視線を向けるのだという。


エドワードはなかなか体格が良く、身が硬い。

繊細で美しい母よりは、体格が良く硬質な雰囲気をまとった父に似ている。

そして、貴族のスポーツである球技をたしなむ為、陽によく焼けて健康的な肌色だ。

髪型はともかく、レースのリボンは似合わないし、繊細な王子様という風貌ではない。

どちらかといえば、英雄物語の騎士の方がしっくりくるだろう。



『精悍で男前』と評されて、エドワードもまんざらでもない。

それに、髪を整えることで母の機嫌が良くなるのなら、まあ、それも悪くはないと思った。

何しろ母は、少し前に領主夫妻が国主主催の新年祝賀に出向いていた際、エドワードみずからが侍女コリーに体罰を与えたことをあまり良く思っていないようだったから。

特に強く咎められはしなかったが、しばらくどこか思い悩んでいるようにも見えたので、今の明るい母の様子に安堵していた。



理髪師がハサミを手にする。

少し恐縮した風だったが、奥方に「お願いね」と柔らかく微笑まれて、軽やかな手付きでハサミを動かし始めた。


シャクシャクというくすぐったい音と、ハラハラと髪がケープを滑り落ちる軽い振動が、エドワードの眠気を誘う。





「そうそう、王女殿下の婚約者候補は決まったようよ、エドワード」

「…………そう、ですか」


遠くなりかけていた意識を引き戻し、エドワードは辛うじて答えた。

続いて母から告げられた候補者の名前に、軽く眉根を寄せる。

それは、寄宿学校で常にエドワードと並んで上位評価を競う令息の名だった。

この領地とは離れているが、どちらも辺境の領主の長男で同年。

いわゆるライバルとして、多くを比べられている立場の者だ。


エドワードは軽く奥歯を噛む。


国主の一人娘である王女は、エドワードの一つ下で、幾つかの国立学校を、週に一度ずつ訪問して講義を受けている。

勿論、エドワード達の寄宿学校にも。

同年代の令息令嬢達と、軽く縁を繋ぐ為だそうだが、婚約者候補を絞る為とも噂されていた。


それが事実で、とうとう候補者が決まったということか…。



「知っているわ。貴方が王女殿下の婚約者候補となりたくて、色々なをしてきたこと」


“努力”と言われて、一瞬エドワードの濃茶の眉が動いた。


「自分を良く見せようとする努力は必要よ。でも、そうね、自分の取り巻きに手加減を頼んでまで、自分を良く見せようとするのはどうかしら?」


シャクシャクというハサミの音に合わせるように、ふふふ、と奥方が笑う。


「……何のことです?」

「それに、姑息な手を使って相手の評価を落とすような真似は感心しないわ」


エドワードは目を瞬く。

母の声の調子は変わらない。

その表情も、微笑みから変わっていない。

……不自然な程に。


「王女殿下の侍女に甘い言葉や装飾品を贈るのは、彼女が貴方の心を捕らえたのだと受け取れば良いのかしら?」

「か、母さん…、それは……」

「貴方を寄宿学校へ入れているのは、貴方がお父様のような寛仁大度かんじんたいどな人間に育って欲しいと願っているからよ、エドワード」


奥方の微笑みが薄れ、冷ややかな空気が広がると、エドワードはゴクリと喉を鳴らしつつも、平然を装う。


「待って下さい。何か誤解があるようです。確かに出来ることなら王女殿下に覚えて頂ければ良いと思っていましたが、婚約者候補などと恐れ多いことです。それに、私は多くを学び人格を養う為に学校へ行っているのであって、母さんを心配させるような行いはしていません」

「……真面目に学び、真剣に先のことを考えていると?」

「当然でしょう。卒業時には、父さんと母さんが誇れるような成績で卒業して見せますよ!」


奥方は微動だにせず、エドワードを見つめる。


「誓えますか?」

「勿論です」


即答した息子に、ニコリ、と奥方が笑みを深めた。


「……信じましょう」


理髪師がハサミを置く。




エドワードはケープを外されて、従僕が持ち上げた大きな鏡に向かい、そこに写る自分の姿におののいた。


「な、なんだ、これは!」


そこに写るのは、濃茶の髪が極短く刈り込まれた、丸い頭。

……いわゆる丸刈りだ。


「し、信じられない! 一体、何がどうなって…っ!」


頭を抱えるようにしてエドワードが周りを見回すが、理髪師の姿はもうなく、部屋に残る従僕達は、微妙に視線を逸らして小刻みに震えていた。

エドワードは血を上らせる。


「なよなよした長髪よりも、ずっと似合っているわよ、エドワード。予定通り明日出発して、父と母に恥じぬよう学びなさい」

「こ、この頭で学校へ行けとっ!?」

「ええ。今誓ったでしょう?『、立派に卒業する』と。二言はないわね?」



愕然とするエドワードに近付き、さも愛おしそうに、奥方は彼を眺める。


「貴方はお父様そっくりよ、エドワード。あの人お父様も若い頃、お義父様お祖父様に廃嫡を言い渡されかけたことがあったのよ」

「は、廃嫡……!?」


一気に顔色を失ったエドワードの頬に、奥方は優しくキスをする。

その様子は、息子を愛する母親のものに違いない。


「人生は長いの。信じているわ、エドワード」


奥方の微笑みは、今日も変わらず美しいのだった。




《 終 》

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