愛は血に乗せて(第12回空色杯応募作品)
江葉内斗
愛は血に乗せて
「実は俺、人間じゃないんだ」
病院の消灯時間はとっくに過ぎているのに、いきなり彼が私の病室に忍び込んできて、そんなことを言った。
「……え?」
勿論、最初は何を言ってるのかわからなかった。また悪い冗談でも言っているのかと思った。
「またまた、そんなこと私が信じるとでも思って……」
私がそう言いかけると、彼は急にシャツを脱ぎ始めた。
「え、ちょっ……!」
思わず恥ずかしくなって目をそらそうとしたが、
「ダメ、ちゃんと見て」
彼の声はとても真面目で、何かの苦しみに耐えているようだった。その声で私はようやく、彼の姿を確認する。
彼の背中からは翼が生えていた。それも蝙蝠のような、真っ黒で鋭い翼。
「君にはずっと黙ってたけど、俺、吸血鬼なんだ」
翼がバサバサと羽ばたき、彼の体が宙に浮く。
「嘘……! そんな、本当なの……!?」
私は信じたくなかった。夢でも見ているんじゃないかと思った。
「本当だ……俺は吸血鬼だよ。とはいっても、もともとはただの人間だった。百二十年くらい前にこうなったんだけどね……」
自嘲的に笑いながら地に降り立つ彼。
「じゃ、じゃあ……なんでそんな風になったのかおしえてよ」
辛うじて私が言えたのはそれだけだった。
「そう、俺が今夜君に会いたかったのは、そのことなんだ」
と、彼は静かに語り始めた。
「百二十年前、俺は一般的な家庭の長男だった。ある時、俺は一人の女性に恋をした。その人と一緒にいると、胸が苦しくて、心臓の鼓動が速くなるのを実感できた……でもその年は日露戦争の真っ最中で、俺は一歩兵として戦地に赴くことになった」
「その女の人とはどうなったの……? 気持ちはちゃんと伝えた?」
「伝えたさ。返事はもらえなかったけど。まああの時代、恋愛結婚なんて難しかったのもあるし、期待なんかしてなかった」
「それで……なんで吸血鬼に……」
「そうだな……旅順の戦いって知ってる? あの戦いで日本が勝つのに六万人以上の犠牲を必要とした。俺も……そのうちの一人だったんだ」
「え、それって……」
彼は一呼吸置くと、意を決してつぶやいた。
「俺は一度死んだんだよ、あの戦いで」
私は意識が遠のいていく気がした。
「そんな……」
「銃弾が頭を貫き、そこで僕の人生は終わった……はずだった。その時だった。倒れ伏す俺の前にあの女性が現れたんだ。そしてこう言った。『あなたに私の未来を授けます』 次に俺は首元に何かが噛むような感触を覚えた。吸血鬼に噛まれるってのは、実はそんなに痛くないんだ。気づいたら俺は立ち上がっていた。そして俺が恋した吸血鬼は目の前で、灰になって、崩れて死んだ……」
「……え、吸血鬼って、そんな仕組み?」
「吸血鬼が不老不死でありながら、人類を淘汰できない理由がわかるかい? 何も十字架だの太陽の光だのを言っているわけじゃない。僕らはみんな血を吸って生きているけど、別に血を吸ったからって吸われた人が吸血鬼になるわけじゃない」
「そうなの……? てっきり吸われた人も吸血鬼になるものかと……」
「……その場合が唯一有りうる時がある。それは、自分の不死の肉体を捨てて、誰かを代わりに不死にすることだ」
「なんで? 不老不死なんて……手放したいなんて思わないんじゃ」
「全然。ずっと愛しかったあの吸血鬼は死んじゃったし、他に友達や恋人を作っても、みんな俺よりずっと早く死んじゃうんだから。家族もみんな俺を残して死んだ。それに死ねないって言うのは苦しいものだよ。血を吸わなくても生きては行けるけど、腹は減る。腹が減るのに空腹で死ぬことはないからずっと苦しみ続ける。それに一生太陽の光から逃げ続けなければならない」
次第に、私の心臓が鼓動を速めていくのを感じた。
「それでようやく本題なんだけど、君に吸血鬼になってほしいんだ」
「……」
私はもう長くない。医師に余命宣告を受けている身だ。
余命宣告を受けてから、私は毎日泣いて暮らしていた。
死ぬのが怖い、でも死ななければならない。こんなにも若くして! そんな言葉が永遠に鼓膜に響き、私を眠らせなかった。
吸血鬼になれば、もう少し生きながらえることができる……?
正直、吸血鬼になることの苦しさを聞かされたら、吸血鬼になんてなりたくない。
でも、私の愛する人が苦しんでいるのを見て、何もしないなんてできない……
「僕を愛しているよね?」
「勿論! 愛しているわ、世界中の誰よりも!」
「そう、僕も君を愛しているんだ。僕はもう十分生きたし、君にはもっと生きててほしいんだよ。だから、もう俺を楽にしてくれ……」
カーテンの隙間からこぼれる月明かりが、一瞬彼の顔を照らした。彼の頬に伝う涙が、月明かりを乱反射して光り輝いていた。
私は無意識に彼を抱きしめていた。
「ごめんね……ずっと苦しかったよね……!」
彼も優しく私に抱擁を返した。
私は単語を一つ一つ、自分が何を言っているのかを確かめながら言った。
「いいよ……私を吸血鬼に……して?」
その時、私の首に何かが嚙みついた。
私は思わず目を閉じた。
血を吸われることを実感した。
でも、痛くはなかった。
……どれほどの時間がたっただろうか。
私は目を開けた。
横たわる私の体は、灰にまみれていた。
どうやら私は、本当に吸血鬼になったらしい。
寝たきりだったはずの私の体は、見る見るうちに活力に溢れていた。
私は病室を歩いた。歩くなんて何日ぶりだろうか。
ふと、背中に違和感を感じた。私の背中にも翼が生えていた。
私は生まれて初めて空を飛んだ。病室の窓から飛び出し、満月が高く上る夜空の中を飛び回った。
この時、私の心に画然と浮かび上がった言葉があった。
私は「自由」になった。
あれからどれほどの時が経ったかな……
えーと、いち、に、さん、し……ああ、八十年か。
吸血鬼になってからの八十年間、私は決して老いることもなく、病気にかかることもなく、ただ生きていた。
あれから沢山の人に出会った。でも、私は吸血鬼だから夜の間しか外に出られないし、せっかく仲良くなっても人間はちょっとしたはずみで死んじゃう。
吸血鬼になってから最初に出会った男は、二年後に起きた地震で帰らぬ人となった。
それから十年後にまた愛する人ができたけど、四年後に交通事故で亡くなった。
三人目に愛したのは五十過ぎのおじさん。見た目的には親子ほどの年齢差があるけど、その時私は四十八歳だったから十分だよね。
彼とは十二年間一緒にいた。私が夜、どこかへ出かけることも彼は許してくれた。
でも十二年目のある時、私の正体がひょんなところからバレてしまった。
私はいつものように窓から舞い降りた。彼が偶然、深夜に目覚めていた。
彼は私の正体を知ったとたん、私を部屋から追い出した。当然だよね、人間でもない私と一緒にいるなんて、気味が悪いよね。
ああ、誰か私と添い遂げて……
吸血鬼になってから100年以上過ぎた。
あの時、「彼」が言っていたことがようやく理解できた。
「不老不死」は、最悪だ。
だって、何よりも「不自由」だから。
そもそも「生きる」ということがどれほどの苦しみに満ち溢れているのか、病に苦しんでいたあの時の私にはわかっていなかった。
決めた。
私は死ぬ。
今日、生命の最期に愛した人を吸血鬼にして、そして死ぬ。
今思えば、あの人もこんなに苦しんでいたのかな。
私に生きててほしかったとか、どうでもよかったのかな。
どうでもいいよ、少なくとも今の私は。愛する人がこれ以上生きようが今死のうが。
100年も生きているのに肉体年齢が衰えないと、精神年齢まで若いままになっちゃって、退屈な100年の間に何もかもどうでもよくなっちゃうよね。
あ、彼が来た。
私の愛する人。その愛は確かな愛だ。
私を愛しているなら、永遠の苦しみも私に代わって受け入れてくれるよね……?
「お待たせ! どうしたの? 突然呼び出して」
彼がいつもの様な明るい笑顔で話しかけてきた。
私は言った。
「実は私、人間じゃないの」
【愛は血に乗せて】:完
愛は血に乗せて(第12回空色杯応募作品) 江葉内斗 @sirimanite
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