第2話

私は最近”双極性障害“と診断された。


落ち葉がふと私の頭の上に落ちてくるさり気なさで、その日はいつも突然来た。


“希死念慮”


私の主治医である精神科医が書いたカルテには症状の一つとしてシンプルにそう表現されていた。

”希死念慮“とは死について考え計画するという意味だが、随分堅苦しい表現だ。


政治家が「めっちゃ怒ってる」って言う代わりに「極めて遺憾」って言うときみたいな堅苦しくてロボットみたいな響きがある。

素直に「死にたい病」だって書いてくれていいのに。その方がずっと人間らしい響きがあるから。


パソコン画面に出てくる、重いグラフィックソフトを使うとクルクルと回る虹色のフリーズマークみたいに、それはいつも突然使えなくなってしまう。バックアップも一時保存も何も用意してないから大迷惑極まりないが、もう全て諦めてシャットダウンして長い長い再起動を待つしかない。


私は20代初期からうつ病と診断されていたが、治ったりぶり返したりの起伏がとても激しかった。

長いと1〜2年良い時が続きやる気もみなぎり資格取得や仕事に打ち込み向上心の塊みたいになるが、短いと半年ほどで直ぐにベットから出られない状態になった。

それは医学的にいうと“双極性”というものらしい。


ベットから何も出来ない自分は情けなかった。自己否定は何万回もした。ナイフを喉に突き刺すような残酷さで、自分をいつも罵った。


それがいつ頃からか、もう自己否定はしなくなった。

「もうこれでいい。なる様になれ、自分。」

開き直ったのだ、きっと良い意味で。


そうしたら障害厚生年金の手続きも、障害者手帳の申し込みも、素直にできる様になった。

私は自分のこの“性質”を、もう認めたんだ。


医者から聞かれることで何より辛かったのは過去のことだった。

どうしても今の私と過去の出来事との因果関係を定義することでしか、世間一般に納得してもらえないらしい。

だから他人を納得させるために、私は過去のせいでこうなったのだと説明せざるを得なかった。


それは同時に過去の感謝していることへの裏切りのような気分にもなり、私はその説明のせいでむしろ落ち込んでしまったふしがあった。


啓発本によく出てくる表現だが

コップの中に半分に注がれる水を、

「もう半分しかない」と思うより、

「半分もある」と思う人間に私はなりたい。


そんな人間が過去の嫌だったことをツラツラと述べるなんて、真逆の行為じゃないか?


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 -2024年1月21日のLINE-


「ケイくんやっほー」


「まだ障害者手帳届いてないんだけど、私これから大阪から東京に越すことになったよ。就労支援っていう、障害者は無償で受けられる職業訓練みたいなところがあるからそこに通うつもり。」


「今は状態も普通だから何だか動けそうなの。本当はね、東京行くのずっと怖かったんだ。結婚した元カレも住んでるし、偶然会うことなんて絶対あり得ないんだけど、馬鹿みたいだよね、そんなの怖がって。」


「馬鹿ついでに聞いて欲しいんだけどね、私彼から“結婚したよ”って連絡されたとき、本当どうしようもないから笑っちゃっていいんだけどさ、“私も最近結婚したよ”って嘘のLINE送っちゃったの。」


「自分がこんな見栄張るなんて思ってなかったな。“電話する?”って聞かれたけど、奥さんの馴れ初めなんて話されたら気持ち悪くて吐きそうだったから、もうそのまま無視しちゃった。」


「未練なく別れたと思ってたんだけどなぁ。彼と別れてから、比べちゃダメだけどさ、他の人と短期間で付き合ってみて、彼って改めてめちゃくちゃ優しい人だったんだなぁって、それは元カノからの連絡に結婚しても返信しちゃうくらいの、今は迷惑な優しさだけど」


「早くしっかり仕事したいな。そしたらね、またパートナー探したいな。自分が良い状態じゃないと、私恋愛もする気になれないんだ。もういいの、私のこの性質のことは話す話さないは。私が話したくないなら、別にそれでいいと思うの。」


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