神は死んだ

英 悠樹

神は死んだ

 天空に座す玉座の間の一画。

 円卓に並ぶ玉座の一つに腰掛け、女神ヘリオーレは下界を眺めていた。


 そは神の創り給うし箱庭。

 今まさにヘリオーレの加護を得し勇者が旅立たんとする様を眺め、ただため息を吐く。


「名にし負う神ヘリオーレがため息とはどうしたのですか?」


 声のした方を見ると、見知った女神が二人やって来るところだった。愛と美を司る女神ヘロポーネーと、知識と学問を司る女神ディオネ。ヘリオーレと合わせ、三美神と謳われる女神。


「私の加護を得た勇者が旅立ったのですよ」

「それのどこにため息を吐かねばならぬ要素が?」

「ええ、戦と勇気を司る女神ヘリオーレの加護は、人々が求めてやまない貴重な加護ですのに」


 二人の言うことは正しい。この世界では神の加護の力は絶大だ。

 人々は成人の際、神殿で祈りを捧げ、神からのギフトとして加護を一つ授かるのだ。

 何の加護を得るかは運しだい。強力な加護を得れば、その後の人生での成功が約束され、ハズレと見なされれば蔑まれる。時に勘当や追放の契機となることもある。


 そして、ヘリオーレから賜る加護は、誰もが求めるものだった。

 戦と勇気を司る彼女の加護は、剣聖であったり、軍神であったり、勇者であったり。

 力こそが正義のこの世界で、成功が約束された加護。

 そんな貴重な加護である、勇者の加護を賜った青年が旅立ったのだ。めでたいことでしか無いはずではないか。


 だが、ヘリオーレは首を横に振った。


「神とは言え、他人から授かったものに、どれほどの価値があるのでしょうね?」

「ええ? そこに疑問を持つのですか?」

「そうですよ、創造神たるオゼローン様がそのように世界をお創りになったのですから、私たち従属神はオゼローン様のご意志に従うだけでしょうに」


 やはりわかってはもらえないか。ヘリオーレはこの日何度目かのため息を吐く。しかし、それも仕方ないのかもしれない。ヘロポーネーの加護をもらってなお、嫉妬で狂って刃傷沙汰になることや、ディオネから賢者の加護をもらって、何百人もの人々を虐殺した男もいたが、基本、彼女たちの加護は平和なものだ。


 ヘリオーレは改めて世界を覗き込む。神は、自らの加護を与えた人間の姿を容易に見ることが出来るのだ。


 世界の一画では、軍神の加護をもらった男が、巨大な魔物を前に、兵たちを鼓舞していた。


「我が軍神の力は偉大なり! 諸君らも我の前に勇気を示せ!」


 おおーっ!と鬨の声を上げた軍勢が魔物に向って行く。強大な魔物に引き裂かれ、潰され、焼かれようとも構わずに。次々に攻め寄せる軍勢の前に、ついに魔物は命を落としたのだった。数千人にも上る犠牲と引き換えに。


 荒野に築かれた屍の山。その前で男は、残った兵たちの賛辞を受けていた。「軍神万歳!」と。しかし、数多の死体を積み上げることが、彼らが求める勇気だと言うのか。


 別の世界の一画では、剣聖の加護を得た男が、道場破りをして、逃げ惑う相手を次々と斬り殺していた。男も女も老人も子供も構わず。「王都でも有数の道場だと聞いていたのだが、こんなものか」と薄く笑いながら。


 自分はこんな光景を生み出すために加護を与えたのか? もちろん、これは全てでは無い。彼女からもらった加護で勇気を奮い起こし、迫りくる困難に立ち向かっていった者たちが大勢いる。だが、迫りくる困難と一括りに括られた者から流された血はいかほどであっただろうか。


 ヘリオーレは、先ほど旅立った勇者を思い浮かべる。彼は果たしてどうしているだろうか。そう思い、彼を覗き見た彼女は、驚いた。勇者は泣いていたのである。





「どうしたのですか?」


 箱庭に降り立ったヘリオーレは勇者に問いかける。仮初めの少女の姿を纏って。突然現れた少女に驚きつつも、勇者は語り始めた。


「僕は本当は、勇者の器なんかじゃ無いんです。秀でた力があるわけでも無い、勇気も無い、ただの泣き虫だったのに、何で僕なんかが勇者の加護を得たのか……」

「そんなに嫌だったのなら、旅に出ないで、生まれ故郷で暮らせば良かったのではありませんか?」


 当然のその問いに、勇者はかぶりを振った。


「勇者の加護は、誰もが欲しがる、最上級の加護なんです。この加護をもらっておきながら、魔王討伐にも旅立たず、村で加護を腐らせていくなど、周りの皆が許してくれません。だから……」


 偶然に得ただけの加護に期待する周囲の目に耐えきれず、村を出て来ざるを得なかった、そんな情けない話を聞きながら、ヘリオーレは、自らの犯した罪に慄くのだった。


「ならば、私があなたを支えましょう。聖女である私が」


 思わず助力を申し出てしまった。女神である自分を聖女と偽ってまで。


 それから数か月、彼女は勇者を支え、ついに勇者は魔王を打ち倒したのだった。しかし、勇者もまた、命を落としてしまう。魔王の最後のあがきの一撃からヘリオーレを守るために、自ら盾となって。


「……どうして?」


 ヘリオーレは混乱していた。女神である彼女は魔王の攻撃程度で死ぬことは無い。勇者はそれを知らなかった。だが、そうだとしても、命を落としてしまうほどの攻撃の前に自らを投げ出すなど、何を考えているのか。


 その時、勇者が僅かに目を開けた。


「……良かった。君を……守ることが出来て……。出来損ないの勇者だった僕が、最後に……勇気を振り絞れた……」


 その言葉を最後に、物言わぬ躯となってしまった勇者をヘリオーレは掻き抱く。


「……許さない、こんな世界!」


 この世界は歪んでいる。神の加護で全てが決まってしまう世界。それは、神がそうあれかしと世界を創ったからだ。

 そうすれば人は神への信仰を捨てないから。神に縋り続けるから。

 その信仰心を食べて神は生きている。

 神などと笑ってしまう。これでは寄生虫では無いか。

 この世界を正さなければならない、そうヘリオーレは心に誓うのだった。





 暫く後、ヘリオーレの姿は勇者の生まれ故郷にあった。

 ここから始めよう。最初の一歩を。

 その一歩たる第一声はもう決めてある。

 それは預言であり、予言だ。

 自らの望みが叶った時、人々の信仰心が消えた時、神である自分は飢えて死ぬだろう。

 だが、勇者が自分を守るために勇気を振り絞ってくれた。

 自分も勇気を振り絞らないでどうする。

 さあ、始めよう、神への叛逆を。その第一声を上げるのだ!


「神は死んだ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神は死んだ 英 悠樹 @umesan324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ