コピーキャットは眠れない

@d-van69

コピーキャットは眠れない

 K出版社からの依頼があった。10人の有名作家を集め、リレー形式で小説を書くそうだ。それだけならよくある話だが、今回は1人あたり原稿用紙30枚と決められている。30枚に達したら、どんなに話が中途半端でも次の作家にバトンを渡さなければならない。むしろ話は途中のほうがいいらしい。そのほうが予期せぬ方向に話が転がるからと担当者は言っていた。

 その企画にどういうわけか駆け出しの俺の名前が入った。本来は錚々たる作家が名を連ねていたのだが、そのうちの一人が急病で倒れた。その人が名指しで俺を指名した。某文芸誌に掲載された俺の短編小説を、たいそう気に入ってくれていたらしい。

 ありがたいが、迷惑な話だ。ビッグネームの中に放り込まれ、肩身が狭い。足を引っ張ってはならないとプレッシャーもかかる。

 おまけに俺は9番目ときた。とりの作家へと繋がる大事なパートだ。俺のでき次第で物語は収拾がつかなくなる可能性だってある。

 8番目の作家の最後のページは、『教室の戸を開けたら、そこには……』で終わっていた。

 どうすりゃいいんだよ、この書き出し……。

 作家同士、誰がどの順番で執筆しているかは知らされていない。8番目が誰なのかは分からないが、その作家がこのあとどんな展開を予定していたのか、まったく想像がつかない。物語も終盤に差し掛かったというのに、殺人事件の犯人を追っていた刑事がどうしていきなり絵手紙教室に通い始めるのだ。まさか何も考えずに書いていたなんてことはないだろうなと訝しくなる。こういう事態に陥ることを予見して、俺を指名した作家は仮病を使ったのではあるまいかと思えてきた。

 それでも締め切りは迫っているわけで、俺の後ろにもう1人控えていることを思うと、決して遅れるわけにはいかない。何と言っても10人の中で、俺は一番の若輩者なのだ。なんとか書きださなければ。

 教室の戸を開けたら、そこには死体があった……ダメだな。

 教室の戸を開けたら、そこには血のついた絵筆が残されていた……うーん。

 教室の戸を開けたら、そこには猫が座っていた。名前はまだない。ダメダメダメ。

 立て続けに原稿用紙を丸めると、やけくそだとばかりに窓の外へと投げ捨てた。

 俺の部屋はマンションの3階にある。窓の下には雑木林が広がっていた。軽いものなら窓から投げ捨てても、林に落ちるだけでさほど危険はない。マナー的に問題はあるが。

 イスの背もたれに体を預け、天を仰ぐ。こんな依頼、断りゃよかったと今更ながら後悔する。

 煤けた天井を見上げたままぼんやりしていると、不意にきらきらと何かが反射したような光がそこに映った。

 なんだろうと思いながら窓の外に目を向ける。そこに女がいた。長い髪に真っ白なドレス姿の女の体は柔らかな光に包まれていた。

 ああ、あの光が天井に……と冷静に考えていた俺は、その異常事態にようやく気づく。ここは3階だ。

 イスから転げ落ちるようにしながら後ずさった俺は、「なんだ!」と思わず叫んだ。

 慌てる俺を穏やかに見つめていた女は、透き通る声で言った。

「わたくしは、女神です。あの池の」

 女はチラリと雑木林のほうを見た。

「池?」と問い返しながら恐る恐る窓際に近寄り、俺も雑木林を見る。目を凝らせばなんとか木々の隙間に池らしきものが見えた。とは言ってもここからだと水溜りのようにも見える。

「あれが?」と俺が指差すと、「ええ」と女は微笑む。

 まあ、そう言うならそうなのだろう。それにしたって女神だと?そう思いながら女を見る。確かに人間離れした美しさはある。恨みがましい様子もないから血迷った幽霊ではないだろう。

「で、女神様が、どんな御用で?」

 伺うように見ると、女はすいと窓から中に入ってきた。

「落し物を届けに参りました」

「落し物?」と目を丸める俺に向けて、女は両手を差し出した。右手にはしわくちゃの原稿用紙が、左手には新品の原稿用紙があった。

「あなたが池に落としたものは……」

 女は右手の原稿をちらりと見てから、

「このつまらない書き出しですか?それとも……」

 と女は左手に目を向ける。

「こちらのとても面白い書き出しですか?」

 は?と思いながら女の両手を交互に見る。しわくちゃになったほうが明らかに俺の原稿だろう。自分でもつまらないと思っていたのは確かだが、改めて他人から言われると癪に障る。 と言うか、そもそもそれは捨てたのだ。落としたのではない。

 しかし女はお構いなしに、「どちらですか?」と催促するように言った。

 仕方なく「こっち」と右手を指差すと、女は満足げに肯いた。

「分かりました。こちらのつまらない書き出しは、あなたにお返しします」

 カチンと来ながらもそれを受け取ると、間髪いれずに女は言った。

「では、正直者のあなたにご褒美です」

 驚いて顔を上げた俺の目の前に、新品の原稿用紙が差し出された。

「あなたには、とても面白い書き出しも差し上げましょう」

 反射的にそれを受け取ってしまった。その瞬間、部屋の中が眩い光に包まれる。

 思わず目を閉じた俺の耳に、女の声が聞こえてきた。

「では、ごきげんよう……」

 え?と思い目を開く。女の姿は消えていた。

 新品の原稿用紙を見る。そこに書かれた一文に俺は衝撃を受けた。確かに面白い。この発想はなかった。これならペンも進みそうだ。

 ところが期待に反してなかなか捗らなかった。出だしが良すぎてそのあとに続く文章がどうにも陳腐に思えてしまうのだ。それでもなんとかアイデアをひねり出し、原稿用紙を埋めていくのだが、やはりどうしても行き詰る。

 納得のいかない文章で埋まった原稿用紙を苛立ちまぎれに丸め、ふと考えた。ちらりと窓の外を見下ろす。そこには雑木林がある。丸めた原稿用紙を、木々の間に見える水面狙って投げてみる。距離があるのでそこに落ちたかどうか分からない。それでも数秒目を閉じて待っていると、現れた。

 こうして、俺はたびたび女神に救われながら、予定数30枚を書き上げた。



『次のニュースです。10人の人気作家がリレー形式で書いたことで話題になった小説「コピーキャットは眠れない」。先月発売以来ベストセラーとなっていたこの小説に、盗作疑惑が持ち上がりました。この小説の中で、新人作家Dさんが担当した数十ページほどが、インターネット上の小説投稿サイトに公開されていた短編小説に酷似していると……』

 テレビの電源を切るなりリモコンを放り投げた。世間では執筆に生成AIを使ったのではないかとの噂が広まっているらしいが、いっそその方がどれだけ楽だったか。まさか女神の助けを借りた挙句にその女神がパクっていました、なんて言えるはずもない。

 罵詈雑言が飛び交うネット上の批評。昼夜を問わず鳴り止まない電話。おかげで俺はあれから一睡もできていない。


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