<終章>
<終章>
「末期の感染者だ!」
野戦服の誰かが叫ぶ。
多少離れていても、汚染度の表示は見えたようだ。
末期も末期。
僕の汚染度は97%。
いっそ、ここで撃たれて終わりでもいい。
「ぐんそー!」
コサメがショーコの手を振り払って、僕に近付こうとする。
吠えた。
「来るなッッ!」
驚いたコサメは足を止める。
「僕とは、ここでお別れだ!」
「なんで!」
「なんでもクソもあるか! いいから行け!」
「わかんない!」
「わかれよ! 時間がないんだよ! 僕はもうすぐ人間じゃなくなるんだよ! お前を食い殺すんだよ!」
「それでもいいもん!」
「ばっ」
馬鹿野郎。
こんな時にわがまま言いやがって、僕は本当にもうカスみたいな時間しか残されてないのに。
「いっ、いい加減にしろ! 自分の都合ばっかり言いやがって、僕の都合はどうなんだよ! お前みたいなガキの面倒なんかこれ以上見れるかよ!」
「自分のめんどーくらいみれるもん! 歩くのだってぐんそーよりはやいもん!」
「だったら1人で歩けよ! 歩いて先に行け! こんな死人に時間使うな!」
「………………」
やっと黙った。
僕は黙らない。
「うんざりなんだよ! 最初からずっと僕は1人でいい! 他人なんかとつるみたくない! 嫌々、渋々、仕方ないからお前の面倒を見ていた! やっと1人になれて気分爽やかだね! ………だから、さっさと行け! どこへでも行っちまえ! ほら、行けよ! 行け! 消えろよ!」
「うっ」
コサメの顔がくしゃっと歪む。
「うぇぇええええええええ!」
そして、大声で泣き出した。
ショーコの腹に顔を埋めても、尚うるさい。
野戦服の男たちは困惑していた。
リーダーらしき男に、撃つのか撃たないのか視線を送っている。
正直、今すぐ僕を撃ち殺してくれ。
「さ、行きますよ」
ショーコに抱き上げられ、コサメは装甲車に乗る。
一瞬だけ、僕と目が合った。
合った………気がした。
Uターンして装甲車は走り去る。
特に何もなく、小さくなって消えた。
僕は1人になった。
周囲が暗くなるまで、僕は久々の孤独を楽しむ。
虫の音がうるさい。
風の音が耳障りだ。
動かない片足に苛立つ。
温度は、よくわからない。温かくも寒くもない。でも、胸の一部がゴッソリと抜けた気分。呼吸が浅い。飢えて乾いた犬みたい。
なんだ。
全然、楽しくない。
1人はつまらないのだな。
とっぷりと闇が周囲を満たした後、ウサギの被り物を脱ぎ捨てた。
裸眼で見た久々の夜は、薄紫色だった。
星と月は眩しいほどに瞬き、空は薄く煌めいて輝く海のよう。地上は、淡い深海だ。
「見ろ、コサメ。綺麗だぞ」
言って、我ながら馬鹿だと思った。
自嘲気味に笑う。
どうしようもなくなると、人間笑えて来る。
「………………」
ボロボロと涙がこぼれた。
あんな言葉じゃなく、他に言葉があったはずだ。話す時間はあったはずだ。僕の頭がもっと良ければ、もう少しだけでも性根が腐っていなければ、まともに生きてさえいれば。
今更考えても、無意味なことはわかっている。でも、感情と後悔の波を止められない。
耐えきれなくなり、情けない野良犬のように鳴いた。
泣きながら、安堵していた。
まだ泣ける。
泣けるうちは、僕はまだ人間なのだろう。
子供のように泣き続け、泣き疲れ、杖を手に取る。
行こうか、最後の仕事に。
自宅近くまで戻って来た。
ここに来るまで、様変わりした世界を沢山目撃した。
とても静かだった。
時折、音が聞こえても、波紋が広がって何かに飲まれて消える。
生物の姿はない。
どこまでも、ただただ薄紫の孤独が続くだけ。朽ちかけた建物も人工物には見えなかった。侵食で崩れかけの岩々に見える。
本当に深海のようだ。杖突いて歩くより、泳ぎたい気分。そんなことできるわけないが。
ノロノロ歩き続け、大きな墓石の前に立つ。
元は焦げたマンションなのだが、今の僕にはそう見えた。
おぼろげな記憶は、様変わりしたマンションでは役に立たず。しらみ潰しで扉を開けていく。
どこも空室だ。
たまに物音がするも、音だけで誰もいない。
誰も何も登場しない。
人生において、敵や脅威は必要なのだろう。恐れるものが何もないと、張り合いのない人生になる。空虚でつまらない。寂しい生だ。
3階のある一室を開く。
「遅かったな」
やっと人の声を聞いた。
師匠は、真っ黒な部屋の隅で、壁を背に、生前と変わらぬ姿で座っていた。
鞄から拳銃を取り出す。
リボルバーの小さい銃。
使ったことはないが、映画の知識で安全装置を外して撃てる状態にした。
外さないように、溶接マスクに銃口を当てる。
「さらば師匠」
「いやいや、聞けよ。なんか聞くことあるだろ」
「僕もう、正気でいられる時間が」
「大丈夫だ。もう少しだけな………たぶん」
「あんた、やっぱいい加減だな」
変わりなく。
「変異した俺の細胞がお前に付着していた。幻聴かと思っていた俺の声は、普通に話しかけていただけだ。なんかあったよな、都市伝説で。頭から声が聞こえて来ると思ったら、古くなった銀歯がラジオの電波拾ってたってやつ。それと同じだ」
「………………いや、違うでしょ」
「細かいことは気にしていたら、死体は動かねぇよ。大体こうなったのは、発症した俺をお前が殺せないで放置したからだろ。しかも、都合よく記憶まで改竄しやがって。おめでたい頭だ」
「そこは、ホントすいません。………って師匠。僕の体何回か操ってません?」
「たま~に天候が良いと操れたな。たま~に」
「記憶とか弄ってないでしょうね?」
「実はな。あの小娘と、企業の女、あれは俺がお前に見せた幻だ」
「はいはい」
面白いね。
「流石に騙されんか」
「あんた、そういう冗談好きでしたからね」
悪趣味に嫌いなところだ。
ハンマーを指で上げた。
「えーとまあ、はい。じゃさよなら師匠」
「ガキとの落差すげぇな」
「泣けと?」
「きっしょ」
「本当に最後ですけど、何もないですか?」
イライラしてきた。
なんで前に殺さなかったのか。
「ねぇよ。ま、お前と生き延びた日々はまあまあ面白かった」
「さいですか」
引き金を引いた。
銃声と共に、一瞬、元の世界が見える。
溶接マスクをした黒いカビの塊。
念のため、もう一度引き金を引く。
今度は何も変わらない。薄紫の世界のまま。
「師匠、死にました?」
「………………」
返事はない。
死体のようだ。
「終わった」
何もやることがなくなった。
熱い銃口をこめかみに当てる。
「………………いや、きっしょ」
師匠と同じ場所で死ぬとか、心中みたいじゃないか。気持ち悪い。
部屋を出て、自然と家に戻った。
狭くてボロいアパートの一室。
コサメの残り香がした。
嗅覚はとっくの昔に死んでいるので、雰囲気で感じ取った。
拳銃を片手に、ベッドに横になる。
手首を見ると、【コルバ】の数値は98%。表示が動き99%。いや、また98%に。
鞄から遅延薬を取り出し打った。
表示は変わらず98%。
期待して打ったのではない。手持ち無沙汰だから打っただけ。撃つのは銃だ。
さて、死ぬか。
金属が冷めたので、銃口を咥える。両手で銃を握る。
「………………」
あれ、撃てない。
後悔なんて何もないのに、不思議なもんだ。
よし、一旦落ち着こう。
部屋を漁ってロープを手に取り、ベッドの足に両足を結んだ。
自我がなくなっても、取り合えずはこれで良い。人を襲うこともない。そもそも、僕の世界にもう人はいないが。
疲れたし、ちょっと眠る。
目を閉じ、体を楽にした。浮遊感と共に意識は飛ぶ。
「駄目だ」
時間の無駄だ。
タブレットを取り出す。
画面は割れているが、入力に問題はない。ショーコとの通信もできる。
僕は、書き出した。
どうしようもない自分のことを。時間が許す限り、書くつもりで書き出した。
誰かに知ってほしいという浅はかな考え――――――でもない。コサメに対して弁明したい。が、正しい。
知ってもらって、だから何なのだと言われたらお終いだが、まだほんの少しだけ猶予がある。書くだけ書く。駄目だと思ったら、送らなければいい。
貧相な語彙力で、拙い文字を並べる。
腐りかけの頭で必死に思い出し、僕の回顧録を記す。
こんな世界になってからの僕と、コサメと出会うまでの僕、出会ってからの僕。
脳の使ってこなかった部分を刺激したせいで、酷い頭痛に襲われた。
この痛みがあるうちは、僕はまだ人間だ。ありがたい痛みだ。
深海に沈んだ部屋の中で、書き続けた。
必要最低限なことだけ書くつもりだったが、変にズレて変な所まで書いてしまった。
後、殺人描写は控えめに隠した。
しかし、初めてのことで上手く書けない。くだらない僕の心理描写まで書いてしまう。愚痴ばかりに筆が走る。
段々、イライラしてきて、全部消して最初から書き直した。
何日も何日も、書いては消し、書いては消し、終わりが見えなくなる。
だが、僕は飢えも乾きもしない。だから、終わりが見えなくても書き続けられた。
何百とやり直し、ようやく諦めがついて、腹を括って書き出した。
そうしたら、すんなりと書き終わってしまった。
拍子抜けするほど簡単に、僕の最後の時間――――――つまり今に追い付いた。
最後に、最初に書く言葉を書く。
君のために、僕の幾つかをここに残す。
そんな言葉。
特に捻りのない最後の言葉。
「あ~」
終わってしまった。
本当にもう、何もない。
書いてる途中で終わると思っていたのに、こんな所だけは運がある。
これを………送っていいのだろうか?
ショーコがコサメに見せない可能性もある。それならそれでもいい。いや、送ったなら読んでほしい。
ような、そうでもないような。
ウダウダと、最後の最後まで僕は悩む。
『さっさと送れ、ボケが』
師匠の幻聴に言われた。
「はい」
送った。
届かないのでは? と変な期待をするも、すんなりと送信は完了した。
返事は期待しない。
これは、僕のエゴだ。相手に何かを期待してはいけない。
少し埃を被った銃を手にする。
はい、いい加減に死にます。
と、タブレットの画面が点滅した。
「………………」
変な汗が流れる。
流石に数分で読めるもんじゃない。感想とか言われたら、僕はそこでショック死する。
恐る恐るタブレットを見た。
文字化けして文章は読めない。
だが、添付された画像は見えた。
どこかの庭先、ショーコと、身綺麗な格好で髪も整えられたコサメ、人の好さそうな老夫婦、雑種の大型犬が写っていた。コサメの顔が緊張しているのが目に見えた。
次の写真は、ランドセルを背負ったコサメだ。
学校が嫌なのか、滅茶苦茶憂鬱な顔をしている。
家族旅行の写真が続く。
外国の風景を背後に、ショーコと老夫婦とコサメが並ぶ。並び方はいつもバラバラだが、楽しそうなことだけは伝わって来た。
コサメの顔が、段々と僕が見たものと違って行く。
面影はあるものの、普通の、どこにでもいそうな、幸せな女の子の顔になっていた。
コサメの背もぐんぐんと伸びている。
画像が進むと、もう“女の子”と呼べない少女になっていた。
また庭先の写真だ。
ショーコと、ブレザーを着たコサメと、老夫婦と、黒いウサギがいた。
まだ画像は続く。
しかし、タブレットの電源が落ちた。
電波充電の機能が壊れたのだろう。何年もったのか分からないが、長く持った方だ。それに十分。うん、もう本当に心から十分だ。
楽して子供の成長を感じられた。
なんて贅沢だ。
拳銃を握り、銃口を咥え、迷うことなく引き金を引いた。
頭に響く破裂音。
最後に光が見えた。
その後は闇。
でも、幸せな彼女の姿が思い浮かぶ。
自分が最後を迎える時、どんな顔をするのかわからなかった。想像すらしていなかった。どうでもいいことだと思っていた。
けれども、大事なことだ。
僕は、笑顔を浮かべて死んだ。
<終>
ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ 麻美ヒナギ @asamihinagi
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