翼の街と飛べない僕

季都英司

空を飛べない少年が一度だけ飛ぶお話

 僕は空を飛べない。

 それがどういうことかわかるだろうか?

 この街でのまともな暮らしは望めないと言うことだ。

 この街の名前は通称《翼の街》。

 街の面積が狭い代わりに、高層建築が林のように隙間無く立ち並び、広さではなく高さで街の機能と人口をカバーしている。建築物も低いもので百階レベルから、高いものでは数千階に達するものも珍しくない。

 したがってこの街では、人の移動も物流もインフラもすべてが縦方向に整備されていった。特徴的なのはその移動方法だ。

 建物の中を移動する、エレベーターもないではないが、それでは建物間を移動するときに、上下動が激しく無駄になる。結果としてこの街で生まれた移動方法が《翼》だ。

 人個人が翼を身につけて空を飛び、必要な移動も配送も自由自在に飛び回り、建物間すらものともせず空間を三次元的に制覇する。《翼》の登場で街は変わり、建物の入り口は内向きから外向きに場所を変えた。要は飛んでくるやつメインの設計だ。

 《翼》を制御するのはそれなりに大変で、基本的に免許制だ。その能力によって、十階レベルから、百階レベル、千階レベル、無制限まで、上下様々なレベルがある。その免許によってその人の生活は決まると言っていい。通常の生活程度なら最低レベルの資格があれば、買い物にも移動にも困らないが、配送の職業やシステムメンテナンスなどに携わろうとすれば、高度な資格が必要となる。

 まあ、いろいろと語ってきたが、要はこの街では空を飛べることがすべてというわけだ。

 だが、僕は飛べない。

 レベルの低い資格しか取れないという世界ではない。資格が全く取れないのだ。免許センターでも、頭を抱えられるくらいに《翼》の制御能力が無い。

 この街で数えるほどもいない無資格者だ。

 そうなると、日頃の買い物にも事欠くし、ちょっと凝ったものを買う際や、医療や公的な機関などもそれなりの高層エリアにあるため、そこに行くにも一苦労。

 そもそもこの縦に長い街において、飛べない自分は、最底辺のエリアにしか住むことができない。あれもできない、これもできない。できないことだらけだ。

 ろくな職にも就けないので、生活も当然底辺で、日頃の暮らしにも事欠く始末。

 毎日、遙かな高層のエリアを眺めては届かぬ世界とため息をつき、空を舞う翼乗りたちを眺めては憧れと嫉妬の視線を送る。そんなくだらない日々だ。

 一生こんな人生なのだと、割り切れないまま腐っていた。


 だがある日のこと、こんな僕に人生の転機が訪れた。

「なあ、あんた飛べないんだって?」きつい仕事でへとへとの帰り道に急に声をかけられた。

 振り返ると、そこには腰に無数の工具を差し込んだベルトをつけ、頭にはゴーグル。無骨な金属製の鞄を持った長髪の女性が立っていた。

「その通りですけど何のご用ですか?」疲労の極地の僕は、つい乱暴で皮肉げな口調となる。どうせ噂でも聞いて、からかいに来たに決まっているからだ。

「そうツンケンすんなよ。あたしは《翼職人》。ちょっとは名も知れてるけど、どうせあんたは知らないだろうから割愛。要件だけ言うぜ。あんた飛びたくないかい?」

 《翼職人》と言えば、この街でもトップクラスの上級職だ。普通なら話すどころか出会うことすらない。そんな人が僕に声をかけてくるなんて。

「いや、それはまあ、もちろん飛びたいですよ……。飛べればですけどね。僕はその才能がからっきし無いからこうなってるわけで」

 少しおどおどしながら答える。何を言おうとしているのかさっぱりわからない。

「あたしの超すごい《翼》をあんたにくれてやるって言ってるんだよ。どんなへぼでも飛べるやつをね」

「へ?」思わず変な声が出た。《翼》をくれるだって?まともに買えば数年間の給料でも足りないような代物を?

「いやね、飛べないあんたの噂を聞いてね。ちょうど研究中の未完成品があってね。あんたでテストしてやろうかと」

「いや、未完製品って。それ危ないんじゃないですか?」

「危ないよ」いや、そんな気軽に言われましても。「でも、能力の無いあんたじゃ。そのままじゃ一生飛べずじまいだ。一度くらいは飛んでみたいと思わないか?」

「いや、それは……」

 言葉に詰まった。飛びたくないわけがない。それができるのなら、僕の人生が変わると言ってもいい。しかし、未完成品、もちろん命の危険もあるだろう。僕は迷った。

「決めらんないならいいぜ。こっちも無理にとは言わない」そう言って彼女はきびすを返す。

「まってください!」思わず声が出た。

「飛びたいです!その《翼》僕にください!一度でいい!空を自由に飛んでみたいんです」

 心からの想い。違う仕事をしたい。もっといい人生を歩んでみたい。いろいろ頭では考えるが、もっと心の底からの言葉だった。ただ飛びたかった。

「よし、決まりだ。じゃあ、このまま工房行くぞ。こいよ」にやりと笑った彼女が行く先を指さす。

「え?これからですか?」

「善は急げと言うだろう。それにあたしに無駄な時間なんてねえよ」

 そして僕は《翼職人》を名乗る彼女の言うがまま連れて行かれたのだった。


「これがあんたにあげる《翼》だ。どうだ?」

 工房と紹介された場所で、見せられた《翼》。

 それに僕は感動していた。鳥のように左右に展開される機械仕掛けの二枚の羽。そして、そのなめらかな曲線の美しさ。どう見ても一級品のそれだ。

「これが僕の《翼》……」

 僕は感極まって泣いてしまった。

「おい泣いてんじゃねえよ、辛気くせえな。人生変えようってんだから喜べよ」

「そうですね。その通りです」僕はぐっと涙を拭う。

「よおし、さっそく説明とテストだ」

 彼女は、僕に《翼》の装着の仕方と、操作方法を教えてくれた。確かにこれまで知っているものより遙かに簡単だ。というかほとんどやることがない。

「基本オートにしてるからな。脳波コントロールで自在に動く。よしやってみろ」

 僕は《翼》を身にまとい、飛べと念じる。

 浮いた。

「うわ!」

「気い抜くな、集中しろ」

「はい」

 もっと高くと念じる。勢いよく高く浮いた。

 すすめと念じる。前にすっと動く。

 楽しくなってきた僕はいろいろな動きをイメージする。

 スピードを上げる。回転する。上下に激しく動く。

 自在だ。すごい。

 これが自由に空を飛ぶと言うことか。

「すごいです。これ最高ですよ」

「あたしの作品だ。当たり前だろ」何者かも知らない彼女が当然のように言う。自信ですらない。

 降りろと念じて、地面に降りた。重力が煩わしいと思ったのは初めてだった。

「さて、問題なさそうだな。んじゃそれやるよ。好きに乗りな。今度感想聞かせにこい」

「え?それだけですか?」

「やるっていったろ。好きにしろ」

 彼女はそれきり工房の奥に引きこもってしまった。僕は《翼》をもって家に帰った。こんなに楽しい帰宅路は初めてだった。


 それから毎日が楽しかった。

 とりあえず空を飛んだ。どこまでも飛んだ。

 仕事が終わったあと、自由に、飛びたいように、生きたいように、思うがままに飛んだ。

 自由に空間を移動できると言うことが、こんなに幸せだとは思っていなかった。

 みんなこれを体験していたのかずるいなと感じた。

 そして仕事すら煩わしくなり、日々空を舞うことが僕の生活になった。

 ただ飛ぶ。これが僕の人生だと思った。

 高くどこまでも高く。

 どこまで行けるだろう。

 この《翼》なら、僕ならどこまででも行けるに違いない。

 ある日、僕はそう考え、世界の果てまで行ってやろうと思った。

 地面を蹴り、空に浮き、翼を羽ばたかせ、勢いをつけ、風のように、鳥のように、ただ空を目指して飛んだ。

 いけるところまで、いや、どこまでも飛ぼう。そう思った。僕は完全に空に魅了されていた。

 あっという間にこの街最高峰の地上八千階のビルの天辺が見えてきた。

 今や《翼》の能力が自分そのものだと錯覚していたのだろう。《翼》は僕だ。ここは僕の空だ。

 あのビルも超えて、空の果てまで飛んでやる。そう決めて加速しようとしたときだった。

――バシュ

 鋭い音がした。

 翼の軌道がよれた。

「え?」見ると翼に穴が空いている。

「禁止エリアに侵入した不審者。おまえを撃墜する」

 見ると、そこには物々しい装備を持って黒い制服をまとった翼乗りがたくさんいた。

 ああ、警備兵だ。ようやく気づいた。

 空に飛んだこともない自分はしらなかった。こういった存在が居ることを。

 そもそも自分は無免許だ。そして、このビルは街の最高権力者の建物だ。近づいてはいけない天の領域だった。浮かれた自分はそんなことすら忘れていた。

 翼は完全にコントロールを失い落ちていく。

 僕は空に手を伸ばす。

 これから迎える果てに怖さはなかった。

 ただ、天に届かなかった。悔しさがあった。

 それでも、落ちていくときに感じていたのは、こんなことだった。

「ああ、楽しかった……」

 空を飛べなかった僕が、ただ一度だけ、空を自由に飛ぶことができた。それだけで十分だった。 これは、空を飛べなかった僕が、空を一度だけ手に入れて、当然のように失ったそんな物語。


 ある《翼職人》が天を見上げてつぶやいた。

「やはり、落ちるのか。危ないと言ったろう。空を飛べないものが飛ぶと、空を手に入れたと勘違いしちまう。なんで、持たないものが、普通を手に入れるってのはこんなに難しいんだろうなあ、飛べない同胞よ」

 《翼職人》はつらい表情をかみ殺す。

「飛べないものを飛べるように。これはやはり禁断の領域なのかな……」

 飛べない《翼職人》は問いかける。飛べなかった少年か、それとも自分か、神か。

 《翼職人》はその声がだれにも聞こえないことをわかっていてそれでもつぶやく。

「だが、まあ、安心しろ。その《翼》は落ちても自動で安全に着地するようになってる。だが、二度とそれが空を飛ぶことはないだろう。こんなものを仕込んだ辺り、この結果をあたしは知っていたんだろうな」

 《翼職人》は工房に帰る。次の作品を作るために。いつか飛べない誰かが飛べる日のために。

 

 このお話は、飛べない僕と、飛びたかった《翼職人》の道がほんの一時交錯した。それだけの物語。

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翼の街と飛べない僕 季都英司 @kitoeiji

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