第十歌
今、ウェルギリウスは、城壁と並ぶ石棺の間の狭い小路を進む。ダンテもその後に続いた。
ダンテは、ウェルギリウスに語りかける。
「あなたは、徳を極め、数々の不敬の圏を渡り、思い通りに私を導いてくださっています。どうか、私にお話しになり、私の願いを叶えてください。この墓の中に横たわる人々と合うことはできるのでしょうか。見張りはなく、石棺の蓋もみな上げられています」
ウェルギリウスは言った。
「全ての蓋が閉じられるのは、最後の審判の日に魂たちが地上に残してきた肉体をまとい、ヨシャファトの谷から再びここに戻ってくる時です。この辺りの墓には、肉体と共に魂も滅びると主張するエピクーロスとその信者が共にしています。私に尋ねたことや、口に出さない望みもすぐに叶えられるでしょう」
ダンテは、慌てて弁明する。
「私を優しく導いてくださるあなたに、心の内を隠しているのではありません。口を慎むよう以前から諭されているためなのです」
「炎の街を生きながら、気高く話しつつ通り行くトスカーナの人よ、立ち止まってくれないか。あなたの言葉から、高貴なる故郷フィレンチェの生まれだと判ります。私は、その祖国には、敵だったのです」
この声が、石棺のひとつから突如発せられ、ダンテは恐怖のあまり、ウェルギリウスにわずかに身を寄せた。
すると、ウェルギリウスは言った。
「何をしているのですか、さあ、向こうを向きなさい。ファリナータが立ち上がり、腰から上が見えるはずです」
ダンテは、すでに相手の眼を見ていた。彼は、地獄を侮蔑するかのように、胸を張り、頭を上げ、そびえるように立っていた。
ウェルギリウスは「言葉遣いに気をつけなさい」と忠告し、墓標に囲まれた彼の許までダンテを押しやった。
彼は、足元に辿り着いたダンテをしばらく眺めると、見下すかのように尋ねた。
「おまえの先祖は誰なのだ」
ダンテは、彼に従うつもりでいたので、何ひとつ隠すことなく打ち明けた。
それを聞いた彼は、眉を少し吊り上げて言う。
「私だけでなく一族や皇帝派にとって、敵ながら手強い相手だった。そのため、私は二度に渡り散り散りにしなければならなかった」
「追われたにしても、先祖は一度ならず二度も戻って来ました」
ダンテは答えた。
「しかし、あなたの一族は、その術を学ぼうとしませんでした」
その時、口の開いた墓からひとつの影がが起き上がり、ファリナータに並ぶように顎までを見せた。きっと、膝を立てているのだろう。
彼は、ダンテの他に誰かいないか、探すように周りを見回した。
しかし、誰もいないことがわかると、泣きながら話し始めた。
「あなたが素晴らしい才能をもって、何も見えぬ地獄を通り行くのなら、私の息子は、どこにいるのでしょう。あなたと一緒ではないのですか」
ダンテは、彼に答えた。
「私は、自分の力でここに来たのではありません。天で待つ方が導いてくださっているのです。しかし、あなたの息子グイードは、その方を認めてはいなかったのです」
ダンテは、言葉や罰の様子から、彼がカヴァルカンディであるとわかり、慎重に正直に答えた。
彼は、いきなり立ち上がり叫んだ。
「あなたは『認めていなかった』と言ったのですか。『いなかった』ということは、息子はもう生きていないのですか。息子の眼には、もう煌めく光は宿っていないのですか」
彼は、ダンテが少しばかり答えをためらっているのを見ると、仰向けに倒れ伏し、二度と姿を見せなかった。
ダンテをはじめに引き留めた偉大なるファリナータは、表情ひとつ変えず、横を見ることもせず微動だにしなかった。
彼は、話を続けた。
「私の一族が、帰還する術を学び損ねたのであれば、それはこの業火の床より私を苦しませるだろう。しかし、ここを治める月の女神が、五十回も光り輝かぬうちに、その術を学ぶことが、いかに難しいかあなたにも判るだろう。あなたが煌めく世界に必ずや帰れるよう願っていよう。ところで、教えてもらいたい。なぜ、市民たちは、私の一族に対し、冷酷に接するのか」
ダンテは、答えた。
「アラビア川を血で赤く染めた大虐殺に対して、私たちの議会は、そのように決したのです」
ファリナータは、ため息をつき、頭を横に振ると言った。
「何の理由もなく他の者と行動を共にしたのでもないが、それを行ったのは私だけではない。それどころか、フィレンツェを消滅させると同意したエンポリの町で、堂々とフィレンツェを擁護したのは、私だけだった」
「せめて、あなたの子孫に安らぎが訪れますように」と、彼のために祈ったダンテは尋ねた。
「先ほどの言葉で、混乱した私の思考を解きほぐしてください。あなた方は、未来を事前に見ている一方、現在のことは見えていない。なぜなのですか」
「私たちは、目の悪い者たちと同じで、自分たちの遠くにあるものしか見えないのです。この時だけ、至高の光を導く神は、私たちを照らし続けてくださるのです。その物事が間近に迫り、現在のものとなると、私たちの知性は、何の役にも立たなくなるのです。他の魂が知らせを持ってきてくれない限り、あなたたち人間界の状況は何も解らないのです。つまり、未来の扉が閉ざされてしまう最後の審判の瞬間に、私たちの知覚は完全に失ってしまうと、あなたにも判るでしょう」
自分の犯した罪を悔やむダンテは言った。
「どうか、あの倒れた者に、御子息はまだ生きている人たちと一緒にいるとお伝えください。また、先ほど私が返事をせずに黙っていたのは、今、あなたが解いた疑問を、その時私が考えていたからだと、お知らせください」
この時、ウェルギリウスは、ダンテに戻るよう呼んでいた。
ダンテは、ファリナータに誰と一緒にいるのか急いで教えてくれるよう頼んだ。
「ここで私は、千を超える者たちと横たわっている。この墓の中には、皇帝フリードリヒ二世や枢機卿オッタヴィアーノ・デッリ・ウバルディーニがいる。他の者たちについては黙っておこう」
言い終わると、彼は墓の中に姿を消した。
ダンテはウェルギリウスの方へ歩きながら、ダンテの運命に暗雲をもたらす彼の言葉を思い巡らしていた。
ウェルギリウスは歩き始め、進みながらダンテに尋ねた。
「なぜ、途方に暮れているのですか」
その問いに、ダンテは心のうち全てを打ち明けた。
「自分にとって不穏な話をあなたは聞きましたが、記憶によく留めておきなさい」
ウェルギリウスが諭す。
「しかし、今はこれを心しておきなさい」
人差し指を立てて話を続けた。
「ベアトリーチェの全てを見通す清らかで光輝く眼差しの前に立つとき、あなたは人生の旅の意味を知ることになるでしょう」
ウェルギリウスは、左手に向きを変えると城壁を後にした。
ダンテたちは、小路を通って中心へと向かう。
小路は次の谷まで続いていた。
谷からは、耐え難い腐臭が立ち昇っていた。
神曲リノベーション・地獄篇 Dante_Alighieri @Dante_Alighieri
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