ハメられたのは、あなたがたです ~格下の好色老貴族からの縁談を、私に押しつけた結果~

越智屋ノマ@魔狼騎士2重版

「喜べ、アリシア。お前の嫁ぎ先が決まったぞ!」


凍てつくような、冬のある夜のことだった。

父であるダスク伯爵は晩餐の席で、いびつな笑みに顔をゆがめて、私に言ったのだ。


「今日は実にめでたい日だ! ゴミくずのようなアリシアに、ようやく価値が出来たのだから。アリシアの結婚を祝って、みんなで祝杯を挙げよう!!」


父の言う『みんな』に、私自身は含まれていない。父と義母、異母妹のカトリーヌがワインで乾杯するのを、私は食堂の隅で見つめていた。


晩餐用テーブルの座席は三つだけで、私の分はない。私は使用人のお仕着せを着せられて、使用人以上に酷使される日々を送っている。……私の本当のお母さまが亡くなり、今の【母】が後妻に入った7年前から、ずっとそんな扱いだった。


後妻が来たのは7年前。なのに、異母妹のカトリーヌの年齢は、私と私より1つしか違わない。それはつまり、母の存命中から愛人関係にあったことを示している。


祝杯を上げながら、義母もカトリーヌも上機嫌だ。

「あらまぁ、結婚なんて本当におめでたいわ」

「おめでとう、お姉様!」


――まさか。こんな日が、本当に来るなんて。


私は緊張に顔をこわばらせながら、唇を引き結んで父の話を聞いていた。


「それで、お父様? アリシアお姉さまの相手になるは、どういう方なの?」

カトリーヌはすでにある程度知っているらしく、わざとらしく【ご老人】のところを強調していた。


豪華絢爛に着飾ったカトリーヌの首もとや指には、色取り取りの宝石がキラキラと輝いている。両親はカトリーヌを溺愛していて、彼女を美しく磨き上げるために惜しみなくお金を使った。彼女は社交界では、『ダスクの薔薇』と呼ばれているらしい――私は一度も社交場に出たことがないので、家族から聞いた話だけれど。


一方の私は、手はアカギレだらけ、身体は痩せて、髪は櫛も通せずに軋んでしまっている。何もかも、カトリーヌとは大違いだ。


「好色家で有名な、あの悪名高いエマヌエル=アラベル子爵さ!」


「子爵!? ……下級貴族な挙げ句に老人で、しかも女好きって……あははは。お姉様かわいそう!」

「カトリーヌちゃんったら。そんなことをいっては失礼よ? ふふふ、良かったわねぇアリシアさん、アラベル子爵と言ったら、たいそうな資産家じゃないの!」


「アラベル子爵は、70才近い老人さ。一代で巨万の富を築き上げ、50年ほど前に爵位を金で買ったと言われている。たいそうな好色家で、結婚もせずに娼婦と遊び歩いていたらしいが、四十代の半ば過ぎで若い平民女と結婚したというのも有名な話だ。今回、縁談を持ちかけてきたということは、その平民女とはとっくに破局していたんだろうなぁ」


大笑いしながら、父は懐にしまってあった書簡を取り出した。


「今日、エマヌエル=アラベルからの書簡が届いたんだ。『ダスク家の息女を、ぜひ子爵夫人として迎えたい』と書いてある。何の接点もない当家にいきなり縁談を持ちかけてくるとは、やはり非常識で節操がない老人だ! しかし、婚約に応じた暁には『結婚支度金としてローベル金貨一万枚を贈与する』と言ってきおった」


「「そんな大金を!?」」

義母とカトリーヌは目を輝かせ、ドレスが欲しいアクセサリーを新調したいと騒いでいた。


「どうせ美しいカトリーヌの噂を聞いて、欲しくなったのだろう。こんな卑しい老人に可愛い娘をやるものか! ……だがこの老人はひとつ、重大なミスをした!」


にやにや笑って、父は書簡の文面を指さす。


「手紙には『ダスク家の息女』としか書かれていないんだ。つまり、嫁に出すのはカトリーヌでもアリシアでも問題ない!!」


「あらあら。きっと、アリシアさんの存在自体を知らなかったのね」

「それもそうね! お姉様は社交界に一度も出たことがないし」


「アリシアを厄介払いできる上、莫大な金も手に入る! これでまた、豪勢な暮らしに戻れるぞ!」


一見派手な暮らしをしているダスク伯爵家だけれど、資金繰りは芳しくない。

かつて国内有数の銀の産地だったダスク伯爵領では近年採掘量が激減し、数代前からの当主の浪費癖が祟って財政は火の車だ。

私は帳簿管理も父に命じられているから、父が借金を重ねていたり、国税をこっそり下方修正しながらやりくりしていたりするのも知っている。


そんなダスク家にとって、【好色な老人貴族】からの結婚支度金は、のどから手が出るほど欲しいに違いない。


「こんな小汚いアリシアが嫁いで来たら、アラベル子爵も驚くだろうだろうなぁ。だが、そんなことは知ったことじゃない。ずさんな手紙を送ってきた間抜けが悪いのさ。すぐに返事をして、支度金の入金が確認でき次第アリシアを送りつけてやる! 文句を言って来ても知らん。むしろ、違約金を請求してやる!」


威勢の良い父の言葉に、義母もカトリーヌも声を出して笑っていた。私を生け贄にした、家族の楽しい団らんの一時だ。


「話は以上だ、アリシア。さっさと仕事に戻れ。いつでも輿入れできるように準備をしておけ! 分かったな!?」

「……はい」


「お姉様、お風呂の準備をしておいて頂戴。ぬるくかったら承知しないわよ?」

「はい」


「アリシアさん。廊下の花瓶の花がしおれかけていたから、あなたが換えて変えておいて頂戴。バラ園に咲いている赤バラを、今すぐ摘んでいらっしゃい」

「はい」

「それから……」

全ての要求に、「はい」と答えた。異を唱えることを、彼らは決して許さないから。


たっぷり仕事を命じられ、私は食堂から追い出される。冷たくて暗い廊下で、寒さのあまりガチガチと体がふるえた。

食堂の中からは、楽しげな声が響き続けていた――。


   *


あっという間に、輿入れの日がやってきた。

「さっさと行きなさい、アリシア」

「経験豊富なご老人に、たっぷり可愛がって貰いなさいな」

「お姉様なんてすぐに捨てられちゃうでしょうけど、ここには戻ってこないでね?」

婚礼用具も持たされず、侮蔑の言葉を浴びせられながら私は馬車に乗りこんだ。そして馬車は走り出す。

ひとりぼっちの馬車の中、私は……。




私は、くすりと笑っていた。



  ***



5日ほどの旅程を経て、アラベル子爵領へと到着した。

領主邸で馬車を降りた私を、足早に出迎えてきたのは――


「アリシア!!」

歓喜に声を震わせて、豊かな黄金色の髪の美青年が私の名を呼んだ。

「ランベール様!」

私も思わず、彼へと駆け寄る。力強い腕が私を抱きしめ、そして両腕で高く私を抱き上げた。


「アリシア、私の愛しいアリシア! どれほど君に会いたかったか……!」

春の日差しのように温かくて甘やかな彼の微笑みに、私の胸は高鳴ってゆく。


「本当にあなたの元にこれるなんて。夢のようです……!」

「夢なものか。ようこそ、アラベル領へ」

ランベール様は私の手を取り、エスコートしてくれた。

「さぁ、屋敷へ。父も母も、君に会うのを心待ちにしていたよ」


アラベル子爵邸は、白を基調とした壮麗な邸宅だった。

実家と違って華美な印象はまるでなく、歩を進めるたび洗練された美に感嘆の息がこぼれそうになる。


応接室で私を迎えてくれたのは、温もりのある笑みを浮かべた70才近い老紳士と、三十代後半くらいの穏やかな貴婦人だった。


「父のエマヌエルと、母のユヴェラだ」

ランベール様に紹介されて、わたしは二人に深く礼をした。

「お初にお目にかかります。ダスク伯爵家長女、アリシアともうします」


「よく来てくれたね、アリシアさん。息子から話は聞いているよ」

「アリシアさん、どうか楽になさって。……これまで、大変だったわね。これからは、私たちを本当の家族と思ってくださいね」


お二人はこちらに歩み寄って、私の手をしっかりと握ってくださった。


「……本当の、家族?」

思わず呟いた私の肩に、ランベール様は優しく手を置いて笑いかけてきた。

「そう。これから今日からアリシアは、アラベル家の一員だ。アリシアを世界一幸せな花嫁にすると約束するよ」


涙が勝手にあふれ出す。力が抜けてしゃがみ込んでしまった私を、ランベール様が優しく抱きしめてくれた――。


   *




「やはり彼らは、アラベル家の当主交代を知らなかったようだね」


応接ソファに腰をおろした老紳士――エマヌエル=アラベル様は、ゆったりとした口調で言った。

息子ランベールが当主となってからまだ1ヶ月。王家や縁の深い貴族にしか、代替わりの件は伝わっていないはずだ。それが幸いしたようだね」

白髪の老紳士の物腰はとても真摯で、『好色』などという言葉はまったく似つかわしくない。


「ランベール。おまえの『計略』が成功してよかった」


ランベール様は「父上……」と声を詰まらせ、深く頭を垂れた。

「半年前、私はアリシアに出会って恋に落ちました。アリシアを妻に迎えるためならどんな争いも辞さない気でしたが――父上のおかげで穏便に事が進みました。本当にありがとうございます」



――そう。

私とランベール様は、半年前に出会っていたのだ。

社交場にも出られず実家で働きづめだった私が、どこで彼と出会えたかというと……。



   *


貴族は「高貴たる者の義務」として、教会を通して慈善活動を行うのが一般的だ。近年では金品の寄付のみならず、使用人を人的資源として提供して、教会の奉仕活動に参加することも多くなってきた。

ダスク子爵家も年に一度は数十人からのメイドや下男を王都の教会に派遣して、貧困地区の炊き出しや病人の看護などをさせていた。

その中の一人が、私だったのである。


『貧乏人の世話なんて、お姉様にぴったりじゃない! お姉様はどうみても貴族の令嬢には見えないし。ねぇ、行かせてあげましょうよ、お父様お母様!』


そんな理由で送り出されたけれど、課せられた大事な役目だ。心を込めて仕事に当たった。

使用人たちが嫌がっていた、病人の看護活動に精を出していたとき、偶然出会ったのがランベール様だった。




「まさか使用人ではなく、貴族ご自身が奉仕に臨んでいらしたとは思いませんでした」

「民の暮らしを知るためにも、奉仕活動にはできるだけ自分で行くようにしているんだ。献身的に看護に当たる君を見て、目が離せなくなった」


言葉を重ねるうちに、私たちは心を通わせていった。


「アリシアがどのような身分の女性でも、私は絶対に妻に迎えたいと思ったんだ。だが、アリシアが伯爵家のご令嬢だったと聞いて驚いたよ」


語らううちに、私は彼に自分の身の上について話していた。

ダスク伯爵家の長女でありながら、虐げられて使用人以下の扱いをされていた私の境遇を聞いて、ランベール様は心の底から憤ってくれた。


――『アリシア、どうか私と結婚して欲しい。君をダスク家から、絶対に救い出してみせるから。どうか、私を信じて待っていてくれ』

そのとき彼は、そう言った。




「ダスク家に直接結婚の申し入れが来るとは思わず、本当に驚きました。でも、妹のカトリーヌが嫁いできたらどうするおつもりだったのですか?」

ランベール様ははっきりと首を振った。


「いや。ダスク家の実状は君の話で理解していたし、父エマヌエル=アラベルの名義で『娘をくれ』と書いた以上、ダスク家がカトリーヌ嬢を差し出す可能性はゼロだと思った。……それでも何かの間違いでカトリーヌ嬢が来たら、慰謝料を支払って送り返す気だったよ」


君以外の女性を私が妻にするなど、絶対にありえない――と、ランベール様は言ってくれた。


「父上にご協力いただき、助かりました。……大変な非礼を、どうかお許しください」

「構わんよ。世間の大半は、未だにわしを『色狂いの成金子爵』としか思っておらんからな。だが、そんな不名誉な『称号』でも、息子の幸せに役立つのなら光栄だ」


「失礼ですが……エマヌエル様が、その。好色家だというのは根も葉もない噂としか思えませんが」


エマヌエル様は、奥様であるユヴェラ様と目を見合わせてうなずいてから、私に言った。


「アリシアさん、あなたには話しておこう。『好色家』も『爵位を金で買った』も、真っ赤な嘘だ。世間には長く伏せられていた事実だが、実は私はの庶子なんだ。だから現国王とは、叔父・甥の関係に当たる」


「!?」


「庶子の私を捨て置けばよいものの、先々代国王は思いのほか私を可愛がってね――公爵位を与えようとしてきたが、私は権力闘争に巻き込まれることを望まなかった。だから『素性不明の成金子爵』という肩書きとともに、辺境で密やかに暮らすことを選んだのさ。そして、面倒な婚姻をすべて遠ざけるために、『好色家』を演じることにした」


当時のエマヌエル様は、『娼婦を買っては遊び呆けている』という悪い噂を流させて、ひとり静かに生きていこうとしていたらしい。

そんな彼を変えたのが、使用人として雇い入れたユヴェラ様との出会いだったそうだ。30歳年下のユヴェラ様との出会いによって愛を知ったエマヌエル様は、彼女と結婚。

そして生まれたのが、ランベール様だったという。


「ユヴェラと結婚したのは20年以上前のことだが、未だに世間からの私の評価は『成金の好色家』だ。私自身はそれで構わないが――、息子や君の名誉を地に落とすことだけは避けたいと思っていた。だが、今回ランベールがすばらしい知らせをもたらしてくれたんだよ」


エマヌエル様の言葉を継いで、ランベール様が私に言った。


「アリシア。実はね、アラベル家の陞爵が決まったんだ」

「え……?」

「当家はもうじき、公爵家になる」

「公爵……!?」


思いがけない話に、私は声を裏返らせた。


「私は宮廷政務官でもあって、厚生局長の役職を預かっているんだ。貧困地区の衛生管理と医薬品開発での評価を得て、国王陛下より陞爵のお話をいただいた。もともと当家は王家の血を濃く継いでいるし、父が望めばいつでも公爵家として迎え入れると言われていたのだが。君を妻に迎えるにあたり、陞爵の件をお受けすることにした」


どうか公爵夫人として、私を支えてくれないか。――ランベール様は私の前にひざまずき、真摯な瞳でそう告げた。


「でも、私はマナーも教養も不十分です。実家では、母が亡くなって以来教育を受けることができませんでしたので。こんな私では、アラベル家のご迷惑になってしまうのでは……?」


「そんなことはない。君はとてもすばらしい女性だし、必要な知識はこれから補っていけばいい。家族一丸となって協力するよ。だから、どうか――」


彼は私の掌に、そっとキスを落とした。

「私の妻になってくれ。アリシア」




   ***



一年後。

公爵夫人になっていた私は、ぱちぱちと燃える暖炉の火の前で揺り椅子に揺られて刺繍を楽しんでいた。


「アリシア」

夫のランベール様が、気遣うような声で私を呼んだ。

そっと私に寄り添って、言葉を選ぶようにして切り出してくる。


「明るい話題ではないのだが、少し良いかな。大事なことなんだ」

そう言って、彼が話し出したのは私の実家――ダスク家のことだった。


「……ダスク家が、破産したよ。もともと領地経営で火の車になっていたところに、脱税が明るみに出て追徴課税で再起不能になったらしい」


結婚支度金としてアラベル家から与えられた大金も、浪費癖の前では焼け石に水だったらしい。


「脱税の罪でダスク家一同は捕縛され、生涯労役を課せられることになった。……君が嫁いだあとで本当に良かったよ。もし結婚が遅れていたら、君まで罪人になるところだった」


「本当ですね……」

私は握られていた手をしっかりと握り返した。


「辛い話を聞かせて、済まなかった」

「いいえ、大丈夫です。大切な話ですから。……おなかの子にも、きちんと聞かせてあげないと」


そう言って、私は自分のお腹を見つめた。

ランベール様も、愛おしそうに私のお腹に触れた。


「この子には、優しく元気に育ってほしいです」

「本当だね。誰かを貶めたり、悪評に踊らされたりすることなく。自分の目で真実を見つめて未来を選べる子になってほしい」


私には、家族がいる。

温かな夫と父と母。そしておなかに宿った新しい家族。


暖炉のパチパチと燃える火が、私達を優しく温めてくれていた。


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