第18話 戦場よ久しぶり
「ギィィィィィ!」
耳元まで裂けた口から悲鳴を漏らしながら反撃を試みてくる眼前の敵に追撃。その一突きで息絶えた魔人が霧消する様を眺める余裕もなく、すぐに攻撃を躱すべく前転。そのまま懐へ飛び込み、鱗に覆われたその体躯に一太刀を浴びせる。黒々とした血を浴びながら横から襲い掛かってきた小さな蜥蜴頭に蹴りを入れて吹き飛ばし、いくつか飛んできた弓矢は敵を肉の盾と扱うことでなんとかやりすごす。
仲間の仇を取ろうと続けて振るわれた何重もの斬撃を仰け反りながら回避し、そのまま身体を捻って後ろへ走ることで兵士たちの密集する地点へと戻ることに成功した。
「カミル様、腕が……」
一息ついていると、師の指示に忠実に従っているらしいレーネがこちらの姿を見てすぐに駆け寄ってきた。その優しい手つきで触れられてようやく、黒く汚れた自分の左腕から出血していることを知った。最後に浴びた斬撃を躱しきれていなかったのか、肘の近くに指一本分ほどの長さの切り傷ができて赤い液体がポタポタと地面に零れている。
「大した傷じゃないさ」
出血も酷くないので放置しても大丈夫だと自己診断したが、目の前の神官にとってはそうではなかったらしい。少し慌てた調子で「いま治しますね」と告げてから、メイスをかざして呪文の詠唱を開始する。
「神の秘蹟を――」
回復魔法。通常の魔法とは異なり、人を癒す際は起句として信仰する神への祈りを口にする必要がある。そうして神的な力を借用することで初めて傷を塞ぎ病を克服することが可能になるという。
効果は魔力の多寡のみならず信仰の篤さによっても左右されるため、大抵は魔法使いよりも聖職者の方が回復魔法の術者としては優秀とされている。今頭上を飛び回って大暴れしているジンジャーでさえその例外ではなく、その回復魔法は一般人と大差ない。彼女の場合、道徳心を生まれ故郷かどこかに置き去りにしている節があるので当然とも言えるのだが。
メイスから非幻想的だが温かい光が放たれ、傷がみるみるうちに塞がっていく。治癒の速度には術者の力量が表れるというが、その点目の前の彼女は優れているらしい。ひねくれ者のジンジャーが素直に褒めていたのも納得といったところだ。周囲の混乱した状況を忘れて暫し感心していると、背後を護る兵士の一人の悲鳴交じりの声が耳に飛び込んできた。
「デカブツが来やがった!」
確かに、その魔人は巨大だった。馬車を縦に二つ重ねたほどの高さの位置に頭部があり、ワイン樽のような体型故横にも大きい。そのでっぷりとした腹からは海棲生物のようなぬめぬめとした触手がいくつも伸びており、接近してきた人間を絡めとろうと手ぐすね引いて待ち構えている。
怪物はその体躯に見劣りしないほど大きなハンマーを片手で振りかぶると、そのままぶんと眼下の兵士たちへ一薙ぎする。何人かは武器を構えて受け止めようとしたが、轟音とともに襲いくるその衝撃に耐えかねて得物もろとも吹き飛ばされ、地面へと突っ伏すこととなった。
「カミル様――」
言葉と同時に、レーネの腕がわずかに俺に触れた。その強張った感触から、不安と格闘しているさまが伝わってくる。無理もない。これまで魔人との戦いは経験していないだろうし、もしかすると戦闘そのものも初めてなのかもしれないのだ。彼女を少しでも安心させようと、治してもらったほうの腕を小さく挙げながら言葉を紡ぐ。
「俺に任せろ。レーネは倒れたやつらの治療を」
小さく頷くのを確認してから、再び走りだす。目標は勿論、大物討伐だ。
兵士たちが対処する中、巨大な魔人は気にせず重い一撃をもって次々と防衛線に風穴を開けていた。大楯でも防げないことをいいことに暴れまわるその背後を突いて、俺は挨拶代わりの一撃を見舞った。
「グガァァァイ!?」
顔をしかめたくなるほどの耳障りな悲鳴をあげた敵だが、動きはほとんど鈍らなかった。こちらを振り返ると、すぐに腹の触手を伸ばしてくる。そのうちの数本を斬りつけ、今度は脇腹の辺りに二連撃。だが、お返しとばかりに大槌が振るわれ、直撃はしなかったものの風圧で距離を取らざるを得なかった。
「全員近寄るな! 周囲の敵にあたれ!」
原始的だが凶暴なその攻撃から他の人間まで守るのは困難と考え、横から好機を窺っていた槍兵たちに退避を促す。その間隙を縫って図体に似合わぬ俊敏さで接近してきた怪物が振り下ろしてきたハンマーを躱すと、衝撃で地面に亀裂が入った。
お互い体勢が崩れたが、小回りの利くこちらの方が有利だ。屈んだところから地面を滑るような感覚で低い姿勢のまま突進し、足めがけて一撃。背中から倒れ完全に無防備となった相手の首元に剣を突き刺すと、ようやく沈黙した。
はあはあと口から荒い息が漏れる。エミリアたちと別れてからも鍛錬を怠ったことはないが、やはり久しぶりの実戦では感覚が異なる。あるいは、加齢のせいか。頭に浮かんだその言葉を打ち消すように首を振っていると、視界の隅にこちらに駆け寄ってくる人物が映った。
「お怪我はないですか?」
「パスカル、ここは危険だから――」
丸腰の一般人が飛び込んでいい場所ではないし、身体の弱い彼ならなおさらだ。しかし、彼は制止しようとした俺の声を無視して話しだす。
「魔人の様子がおかしいです」
「は?」
今さら何を、としか思えない。そもそも、彼らが魔人領から遠く離れた王都のど真ん中に出現しているこの状況こそが異常なのだ。当たり前だろと返したものの、パスカルは切迫した様子で続ける。
「違います。彼ら、統制が取れていません」
その言葉に驚きながら、周囲の状況をもう一度観察する。開始当初から押し込まれていた兵士側は落ち着きを取り戻し、死守している入口を中心に複数で連携して戦うことで徐々に押し戻しつつある。
対する魔人側は固まって動いてはいるものの、あくまで個人での突撃に終始しており、連携しようとする姿勢は見られない。それどころか、勝手に退却したり仲間を巻き添えにしたりと足を引っ張りあっているような印象すら受ける。
「確かに、知能の低い個体ばかりだな」
魔人の能力には個体差があり、とくに知能面ではそれが顕著にみられるというのは俺も経験則として理解している。優れた個体は人語を流暢に話し本を著すことさえできるが、俺が倒した巨大な個体のように獣のような声しか発せない魔人も多い。
警備の厳重な王都にここまでの勢力で侵入してくるためには相当な知力や計画性が求められるはずだが、今相対している魔人たちからはいずれも感じられない。つまり、彼らだけではこの攻撃は不可能なはずだが。
「……十戒臨か」
そう呟いたところで、それが正解だと本能が囁いてきた。
昨日遭遇した、イザイアと名乗った魔人。人語を解し街の内部にも詳しい様子だった彼ならば、きっとこの獣じみた集団の指揮を執ることもできるだろう。それに、『いずれまた』と彼は言っていた。それが今日、どこからか勇者の死と葬儀の予定を知り、神聖な場である大聖堂を攻めることで様々な意味で王都に打撃を与える計画を立てていたこの日だとしたら。
「その推測は正しいかと」
口にせずとも、パスカルが肯定する。
「しかし、そのイザイアらしき人物の姿は見当たりません。おそらく、既に別の場所へと移動しているのだと考えられます。指揮官を失った魔人たちが混乱しているのもそのせいでしょう」
じゃあどこへ、と問いかけようとしたところで、脳内にとある光景が思い浮かんだ。腐ったゴミの散乱する細い路地。王の威光も届かない、人の欲望と業の詰まった弱肉強食の世界。思えば、イザイアと遭遇したのもその近くだった。
「『裏地区』……」
俺がその場所を口にすると、パスカルはその細い目をいっぱいに見開いて驚きを示した。
「確かに、魔人を目撃した辺りですが……でも魔人がどうしてそんな場所に?」
「それは分からない。だが、調べてみる価値はあると思う」
現在もなお激しい戦いが繰り広げられているため、捜索に人手はあまり割けない。しかも、相手はおそらくかなりの手練れ。生半可な力量では返り討ちに遭うのがオチだ。
いや、それはただの後付けの理由にすぎない。内心では自らの言葉を否定する声が響く。十戒臨とやらに対峙するのは他の誰でもなく、この俺でなければならない。単なる未熟さゆえの自惚れではなく、本気でそう考えている。
かつて先頭に立っていた勇者エミリアは、もうこの世にはいないのだから。
「俺一人で探してみる。パスカルは親父のところに戻って観察を続けててくれ」
「わ、私も行きます」
それだけ言い残してこの場を離れようとしたところで、横からもう一人立候補者が現れた。どうやら、二人の会話の一部始終を聞いていたらしい。即座に却下しようとする俺を制するように黒い瞳でこちらを真っすぐ見つめながら、彼女は正当性を主張してくる。
「キルゴール様から、カミル様のお傍を離れないよう厳命されています。それに、この辺りの道路については私の方が詳しいですし、足手まといにはならないかと」
確かに、様変わりした街の大部分を把握しているらしい彼女は人探しにはうってつけの人材だ。その意志の強い視線もあって、同行を認めざるを得なかった。
「……分かった。少し急ぐから、くれぐれも逸れないように」
なるべく激戦区を避け、少しでも早く脱出できるように。刻一刻と変化する戦場を観察して辿るべきルートを計算しながら、俺は見習い神官を連れて駆けだした。
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偽りの勇者に捧ぐ。 九十九行進 @kota3156
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