第17話 滅尽のジンジャー

 聖域の高き窓に映るは、悪しき翼をもつ不浄の魔物。信仰を冒涜するその禍々しき体は、勿論この場に存在を許されるはずはない。そう、そのはずだった。今日までは。


 なおも続く振動の中で立ち上がった俺だったが、混乱する状況を整理するより前に、招かれざる客の方へと視線が吸い寄せられた。

 魔人による攻撃。つい昨日に街中でそのうちの一体と遭遇したばかりだというのに、どうしても非現実めいた事実に思考が追い付かない。俺が闇に抗うべく勇者とともにゴミ溜めから旅立った三十年前でさえ、この王都内部での攻撃は記録されていなかったはずだ。それが突然、しかも彼女がいなくなってすぐの、こんな時に限って。


 棺の方へと向きかけた俺の意識を引き戻すように、向こうの方から悲鳴が聞こえてきた。見ると、大聖堂の入り口付近では警備兵たちが集合している。よく目を凝らすと、銀色の鎧や紅いチュニックの隙間からは大きく尖った爪のようなものがちらりと覗いている。どうやら魔人は複数体いるらしい。彼らも自らの務めを果たすべく盾や得物を構えて戦闘態勢に入っているものの、遠目からでもわかるほど例外なく怯えきっており、すべてを放り出して一目散に逃げたい気持ちを忠誠心や愛国心によってようやく抑えているような有様だった。その勇気には敬意を表したいが、残念ながらその抵抗も長くは保ちそうにない。


 聖職者たちも跪いて祈りを捧げる人間が大半だが、最もパニックに陥っているのは一般の参列客だ。パラパラと降ってくる砂埃を受けながらもその場にへたり込んでしまう老人に、奇声をあげながら壁際で頭を抱える貴婦人もいる。「早く何とかしろ」と手近な人間へ当たり散らすばかりで自らは動く気のない典型的貴族たちも入り混じり、場の秩序が完全に失われようとしていたその時、威厳に満ちた声が大聖堂全体に響き渡った。


「静まれ皆の者!」

 その場にいた全員がぴたりと押し黙り、一斉に声の主――国王陛下の方へ視線を送る。傍に居たキルゴールと目配せしてから、陛下は献花台の前で再び自らの権能を開放するように声を出す。

「ひとまず落ち着くのだ! 特に貴族諸君、選ばれし地位に就いているそなたらが有事の際に慌てふためいているようでは、領民たちにも示しがつかないであろう!」

 彼らのプライドに訴えかけるような一言を挟んでから、次いで具体的な指示へと入る。より遠く、より多くの人間へと伝えようとしているためか、その身振り手振りは大きなものだ。


「女子供はこちらに集まるように! 武器を持たない男は負傷した人間をこちらへ運ぶように! 武器を持つものは兵に加勢して己が勇を示す機会だ!」

 続けるように、大司教の厳粛な声。

「魔法が使える人間は防壁魔法を展開してください。落下物から身を守るのに有用です。神官たちは私と空中の敵を――」

 爆発音と大きな振動によりその指示は妨げられる。キルゴールの周囲に数人の神官が集まってきたが、屋内から魔人たちを撃ち抜く術はないらしく、ひとまず外へ抜けようと入口の援護へと散っていった。


 ガラス越しに見える魔人の数はいつの間にか増えており、両手両足の指でも数えきれそうにない。四方八方から禍々しい光が放たれ、そのたびに大小の揺れが起こる。大聖堂周囲の防壁魔法は未だ健在のようだが、過信は禁物だ。それに、あくまでも魔法を防ぐものであって魔人そのものを跳ね除ける効果は持ち合わせていないので、地上からの正面突破策には無力だ。向こうもそれを理解しているのか、何体かはこちらに背を向けて周辺施設の方へ攻撃魔法を放っている。おそらく、非常事態に駆けつけた援軍たちを妨害しているのだろう。これでは、人員不足の地上戦が苦しいままだ。その窮状を反映するように、入口をこじ開けようとする魔人たちの雄たけびが次第に大きくなってきた。


 

「パスカル、お前はそこで救護を頼んだ!」

 息子へと指示を飛ばすや否や、戦士長レッケンは愛剣を抜きながら勢いよく入口の方へと走っていく。俺も微力ながらそちらの防衛へと加勢したいところだが、あいにく今日は剣がない。仕方がないので誰かに借りようかと手ごろな人間を探していると、横から脇腹を小突かれた。

「お探しの品はこちら?」

 そう言ってジンジャーが差し出してきたのは、まさしく俺の愛剣だった。葬列には不要だろうと自室へ置いてきたはずだが、昨日と同様に魔法で取り寄せてくれたのだろうか。しかし、この大聖堂でどうやって。

「この建物、思った通り内側では魔法が使えるらしいね。神様の粋な計らいだ。今度会ったらお礼を言わないと」

 俺の疑問に先回りするようにそう言った彼女は、続けて防御魔法の展開へ回っていたキルゴールの方へと首を回す。


「ご存知の通り、私は礼儀正しいエルフなのであらかじめ断りを入れておくけど、この後の片付けには勿論参加するし、壊した場所は自分で修復するからね」

 どう考えてもそんなタマではないはずだ。そう直感して数秒考えてから彼女の言葉の裏に隠された真意に辿り着き、やや遅れてキルゴールもすべてを察したのか眼前で発生しようとしている狼藉を未然に防ごうと声を張り上げる。

「それは流石に許容でき――」


 しかし、大司教としての制止は再び爆発音にかき消される。もっとも、今度の攻撃源は目の前の彼女ではあるが。

 近くの美しいステンドグラスがその歴史とともに粉々に砕かれ、そこに新たな入口が生まれる。上空を漂っていた魔人たちもそれに気づいて侵入を試みようとするが、そこから外へと飛び出していく魔法使いの方が速度は上だった。

「爆ぜろ紅響け雷鳴!」

 簡潔かつ乱暴な文句と同時に、彼女の周囲の空間に爆炎が出現。耳をつんざく轟音と爆風が辺りを支配し、それが薄れたころには残骸である黒い液体が蒸発しようとしていた。


「相変わらず派手だな……」

 予期していたので爆風に対する防御姿勢はとれたが、それが遅れた何人かは反対側の壁まで吹っ飛ばされている。俺の横では、いつの間にか現れたレーネが床に膝をついてそこにいた。

「今のはジンジャー様の……?」

 どうやら、彼女は一部始終を見逃していたらしい。その威力に対する驚きのあまり目を見開いているが、真に驚愕すべきはここからだ。


 数体の魔人を倒した後もなお空中に浮遊し続けているジンジャー。彼女の細い両腕は、いつの間にか長い棒状の武器を支えている。巨木を削り出して作られたその白い柄の先には、商都一の鍛冶職人が魔力を込めた三日月形の刃が備わっている。刃の根元に宝石が埋め込まれたその武器は、優れた魔法使いの象徴である杖と敵を刈り取る大鎌の二つの機能を内包している。


 仲間の仇を討とうと魔人たちの迎撃。しかし深紫色の光線を軽く躱した彼女は、そのまま敵へ突進して鎌を振り下ろし、その片翼を断ち切ってから魔法を発動する。刃の先端から放たれた白い光線によって目の前の敵を撃破すると同時にその奥の個体の片脚を捥ぎ、続けて突撃しながらの横薙ぎによってその人ならざる肉体を文字通り両断する。


 型破り。彼女の戦いぶりを初めて目の当たりにした人間は、例外なくこう感想を述べる。魔法使いは遠距離への攻撃に優れている代償として接近戦に弱いとされており、陣形を組んで戦う際も後衛として扱われる。だが、彼女はそんなセオリーなどお構いなしに敵陣へ切り込み、その大鎌と強力な魔法によって根こそぎ吹き飛ばす。つけられた《滅尽》の二つ名に恥じぬ強引かつ華やかな戦いぶりは、魔王討伐から三十年経ってむしろより磨きがかかっているようだ。


 閃光が空を白く染め、続いて黒い粘液がドボドボと地上へと降り注ぐ。この分だと空中は彼女一人に任せても問題ない。となれば、俺は予定通り地上戦に徹するべきだ。その決断を後押しするように、背後から大司教の声がした。

「レーネ、カミルの傍から離れないように!」

 それはつまり、愛弟子を頼んだという俺へのメッセージだ。任せろと叫びながら砂埃で汚れた絨毯の上を走り前線へ向かう。指揮者に先導されながら避難中だった少年聖歌隊と入れ替わる形で中央通路を進み、加速しながら低空を跳ぶ。兵士たちの盾の隙間を抉ろうとしていた魔人の骨ばった指を斬り落としてから、そのまま彼らの頭上を飛び越えて敵の赤黒い頭へと一太刀を浴びせた。



 


 

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