第16話 大聖堂にて

 清浄を表す白で塗り固められた大聖堂の周囲には、清教会の関係者と思しき黒装束の面々が並び、口々に祈りの文句を唱えている。全体的に年齢層の高い彼らは落ち着いた佇まいだったものの、かつての英雄である二人を見つけた時だけは多少ざわついていた。なるほど、確かに勇者エミリア一行の活躍を肌で感じた世代はこの辺りだ。その中にいた老人の瑞々しさの失われた顔から、失礼にもそのようなことを考えてしまう。俺自身も中年だが、より自らの老いを実感するのはやはり他者を捉えた時らしい。


彼らの間を突っ切る形で葬列は速度を落としながらアーチ状の正面入り口をくぐり、中央通路を進んでいく。燭台やステンドグラス、聖像などその場に置かれた一つ一つのものからこの施設の重みを感じながら、奥へと進む棺の後へ続こうとしたその時。

 

「……ッ」

その荘厳な施設の内部に足を踏み入れた瞬間、背筋にぴりっと衝撃が走った。

魔力の防壁が反応したのか、それともこの場所が持つ聖性によるものか、原因は分からない。辺りを見回しても、「うえっ」と声に出して露骨に嫌そうな反応を見せたジンジャーを除いて、葬列に加わっている者は誰も気にしていないようだった。


信都で礼拝を行った時も似たようなことがあった気がする。あの時も俗世離れした施設に侵入した瞬間妙な感覚を覚えたが、ジンジャー以外の仲間は首を傾げるばかりで俺たち二人の感覚は理解されなかった。頑固司教なんかは「信心が不足しているから」などと言っていたが、今思えば案外それも正しいのかもしれない。


昔の記憶を蘇らせながらぼうっと歩いていると、前を悠然と歩いていたはずのレッケンがいきなり前につんのめる形で転び、危うくこちらも巻き込まれかけた。どうやら足元の絨毯に蹴躓いたらしいが、これでは戦士長としての面目丸つぶれだ。ここぞとばかりに思いっきり大笑いするジンジャー以外にも、四方からクスクスと笑い声が聞こえてきたが、彼は顔を赤らめる以外何もできないようだった。


 先ほどまでよりずっと小さく見える戦士長の後ろを歩いていると、再び人の密集した空間へと入る。比較的高級そうな衣服を着た彼らはどうも貴族階級の人間らしく、身に着けたネックレスや手に持った聖典などを握りしめながら棺へ向かって祈りを捧げている。その区画を抜けると、今度は整列した少年聖歌隊が現れた。白い服で統一された彼らは、こちらに背を向けた指揮者が手を挙げると同時にその口を一斉に開く。


『清らかな御光に導かれ 我ら人は築きたる……』

 葬列の進む速度に合わせるかのように、ゆっくりとした調子でコーラスが始まる。彼らにしてみれば突然の出番だというのに、その美しい歌声は見事というほかない。王都の聖歌隊は大陸で最も素晴らしい声を響かせるとどこかで読んだが、その看板に嘘偽りなしだ。変声期を迎える前の少年たちの合唱に思わず聞き入っていると、早く歩けと言わんばかりに袖をぐいとジンジャーに引っ張られた。


「後ろがつっかえてるでしょ、おバカだな」

 確かにそうだが、迷惑が服を着て歩いているようなエルフに指摘されるのも癪だ。俺は首を伸ばして葬列の先頭を眺めようとしながら言い返す。

「もう着くし関係ないだろ」


 俺の言葉通り、数十秒後に葬列は停止した。そして列の外側に待機していた兵士や教会関係者たちがこちらに歩いてくると、持ってきた純白の布や聖具を広げだす。

「国旗はこちらへ、そこの花は動かさず、代わりにこの燭台を移動させてスペースを——」

その作業を指揮しているのは、見知った顔の大司教。そしてその傍らで羊皮紙を広げているのは、ほかならぬレーネだった。いつにもまして顔を強張らせている彼女はこちらに視線を向けることもなく、キルゴールと何かを話しながら仕事を続けている。


「見習いってよりほぼ右腕だよね」

「ありゃあ、よっぽど期待してんだな」

 その様子を眺めながら口々に呟く前の二人だが、俺も全くの同意見だった。昨夜大司教は彼女を自らの後継とすることには否定的な調子ではあったが、内心では応援しているのかもしれない。今自分の傍で仕事ぶりを見せつけているのも彼女に対する配慮だろう。


数々の燭台やランタンによって煌々と照らされている大聖堂最奥の壁には、清教会のシンボルである円と三角形、そして三本の線。大陸に伝わる神話を表したその図形が見守るような場所に設置された棺台の上に、ゆっくりと棺が置かれる。作業を終えた持ち手たちが離れると、その上からは純白の布が被せられ、さらにその上から紺色の布で覆われる。それぞれ教会と王家を表す二枚の布の上を色とりどりの花で彩り、正面には献花台も設置された。


「準備は終わったかな?」

 確認の声がした方を見ると、そこには椅子に座る国王がいた。葬列には不参加であるとは事前に聞いていたが、どうやらこの建物内でずっと待機していたらしい。

「……ある程度は。残りの部分は徐々に整えればよいでしょう」

 キルゴールの返答に、陛下は満足そうに頷いてから立ち上がる。

「では、お疲れであろう賓客たちを席へ案内してくれ」


 その命令に、待機していた兵士や神官たちが一斉に動きだす。昨日葬儀についての発表を受けて幸運にもこの場へたどり着くことのできた賓客たちは、献花台の近くに並べられた長椅子へと案内される。どこかの村の代表という体で参加している俺もそちらに行こうとしたところで、レッケンの太い腕に引き留められた。

「お前はオレらとおんなじ場所だ」


 でも、と口にしたところで、視界の端にレーネがこちらへと歩み寄ってきているのが見えた。彼女は俺の隣にいたパスカルに目配せしてから、こちらへと言って献花台の横に設置された席へと案内する。そっと背中を押してくるパスカルの手によってなし崩し的にそこまで連れてこられ、他の賓客のそれよりも上等そうな椅子へと渋々腰を下ろした。

「……いいのかよ。悪目立ちするぞ」

 そう問いかけたが、彼女は最初に会った時のように事務的な相好を崩さない。

「キルゴール様のご命令ですので」


「自意識過剰だな、じっとしてなよ」

「アイツとオレらがいいって言うんだからいいんだよ」

「ちゃっかり私も来てしまいましたし、一人増えたところで大差ないですよ」


 残りの三人からの援護射撃もあった以上、何の権限も持たない俺がわざわざ気に病む必要もないのだろう。黙って座ることにしたこちらの姿を確認してから持ち場へ戻っていくレーネと入れ替わる形で、今度はキルゴールと国王陛下が棺の前へ出てきた。どうやら、献花を始める前に何か言葉を述べるらしい。段取りについてあまり聞かされていないこちらとしては、その手の儀礼は本葬の際にまとめて行うと思っていたので少し意外ではある。


 棺を背にする形でこちらへ向いた陛下は、一つ咳払いをしてから声を張る。

「急な知らせにも関わらず、これほど多くの人々が集まってくれたことに感謝したい」

 そう前置きしてから棺へと向き直り、今度は勇者の亡骸へ向けて語りかける。

「勇者エミリア、貴女は勇ましく、そして美しかった——」


「……ねえ、何か妙な気配がしない?」

 陛下が滔々と言葉を紡ぐなか、不敬にも口を開いたのはジンジャーだった。

「あ? お前の気のせいじゃねえか?」

 そう言いながらもキョロキョロと周囲に気を配るレッケン。

「後にした方が……」

 そう制そうとした瞬間、背筋に悪寒が走った。

 瞬間、全身の毛が逆立つ。心臓が早鐘を打ち、熱い血液が体中を駆け巡る。無意識のうちに筋肉に力が入るこの感覚は、紛れもなく戦いを、それも命を懸けた血戦へと臨む際に何度も味わってきたものだ。


「いや、確かに何か……」

 戦士長も同じ感覚を味わったのか、腰を上げる。それまで所在なく動き回っていた彼の視線が徐々に定まり、上方、ステンドグラスが何枚もはめられた窓の方へと固定された瞬間、轟音が響き渡った。


「なっ——」

 誰かの叫び声が掻き消され、建物全体がグラグラと揺れる。その場へかがみながらチラリと棺の方を見やると、バランスを崩しかけた国王を支えるキルゴールと目が合った。何か声を掛ける間もなく、再びの振動。


「カミル様、あれを!」

 動転して声が裏返りそうになっているパスカルの指差す先には、一枚のステンドグラス。かつての聖人を描いた装飾の間には、得体のしれない黒い影があった。次第に近づいてはっきり見えてきたその影は人型で、やがて背中から漆黒の翼が生えているのが見えるようになった。

 頭部に生えた二本の角が見える前に、誰かの金切り声が大聖堂に響き渡る。

「魔人だ!」

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