第15話 葬列と懸念

 賓客用の上等なベッドの上には、俺が今日着るべき服一式が置いてある。起きてすぐにはねた髪を整えていた時、名前も知らない使いの男が届けてくれたものだ。レーネが来ると思っていたので少しだけ驚いたが、どうも今日は朝から仕事に追われており、そのため代わりの人間を寄越してくれたらしかった。


 まだ覚醒半ばといった状態のまま、なんとなくチュニックや長い靴下から身に纏い、最後に黒のローブが残った。祭礼用なのか少しだけ手の込んだ刺繍がしてあったが、俺には一つ一つの模様の意味が分からない。分かるのは、死者を見送る際に黒服を着る風潮は近年形成されたものであるということくらいだ。どうやら、公の場において悲しみの感情を表明することが一般的になったのと同時期にこの色の喪服が出現したらしい。


 悲しみか。独り言ちながら、ゆったりとした袖に腕を通す。昨日は期せずして久しぶりに長時間ぶっ続けで動き回ることとなったが、疲労はそこまで残っていなかった。あの頃から歳を重ねたのは確かだが、もう少しくらいはやれるのだろうか。

少しだけ自信を取り戻したものの、すぐにかぶりを振って思考を今日の予定へと戻す。別に再び魔王を倒す旅へと向かいたいわけではない。命が惜しくなったのもあるが、これ以上戦う理由を見出せないのもある。

自分の代わりなどいくらでもいる。それは前回の旅でも同様だった。俺は最高の仲間四人に同行しただけに過ぎない。先王陛下が俺の名前を記録から抹消したのは、なにも俺の後ろめたい過去だけが原因というわけでもないのだ。


じゃあどうして、俺はあの時彼女について行ったのだろう?


 その問いと同時にこれから見送るべき勇者の綺麗な顔を思い出したところで、部屋の扉が開けられた。ノックもないその乱雑な仕草で人物を推測しながらそちらを向くと、案の定昔知り合ったエルフの魔法使いがそこにいた。

「私を待たせるなんていい度胸だね」

「開始までまだ時間があるだろ。食堂で軽く食事を摂ってから行くよ」


 今日一日の流れは一応確認してあるが、まとまった休憩は取れそうになかった。せめて人の少ないうちに腹ごしらえくらいは済ませておきたかったが、彼女の無情な言葉がそれを遮る。

「え、余ってた朝食は全部レッケンと私で食べちゃったよ」

「なっ……」


 絶句するこちらに、ジンジャーは満足げな笑みで応える。

「私もまだまだ成長期だし、しっかりと食べないとね。あ、サケバナブタのソーセージも美味しかったよ。神に感謝します」

「祈りの文句も知らないくせに……」

御年300歳越えの彼女を睨みつけるが、後の祭りだ。意気消沈する俺を底意地の悪い笑顔を浮かべながら、こちらを急かしてくる。

「早く準備をしないからそうなるんだよ。ほら、パスカルも待ってるよ」



「扉、開けー!」

 小綺麗な服を着た儀仗兵の合図とともに王宮の正面扉が開かれた。そして、数人の兵士によって担がれた白い棺が外へと運び出される。勇者の亡骸が収められたその棺桶に続くのは、かつて彼女の仲間であった戦士と魔法使い。さらに後ろからパスカルら王宮の要職に就く人間の集団が続き、そこに俺が加わる形で葬列は進みだした。


「あのさ、暑苦しいから離れてよ、レッケン『様』。できれば私の視界外までね」

「あ? このくらい我慢しねえと葬式中にぶっ倒れちまうぞ。クソガキ」

「老けて耳も遠くなったの?」

「テメエの意識も遠のかせてやろうか?」


 俺の目の前では、ジンジャーとレッケンが和気藹々とした会話を繰り広げながら歩を進めている。葬列の真っただ中での私語はご法度のはずだが、二人の放つ異様な威圧感によってか周囲の人間も口を挟めない。

きっと二人とも気を紛らわせたいだけだ。かつて同じ時間を過ごした人間として、俺はそう推測する。彼らなりに勇者の死という重苦しい事実と向き合い、沈む気持ちを周囲に見せまいとする故の口論であり、大した喧嘩ではない。そのまま気のすむまでやらせた方がすっきりするだろう。そう考えて傍観を決め込む。

王宮の敷地外に出てもなお続く応酬を止めたのは、俺の横にいたパスカルだった。


「盛り上がっているところすみません、お話したいことがあるのですが」

 おそらくは皮肉ではなく本心から発せられた言葉だろうが、こちらを振り向いた二人は不服そうに彼に視線を送る。

「パスカル。私は好きでこの引退間際の老人の駄々に付き合っているわけじゃないんだよ」

「お前には関係ないから後にしてくれ。オレはエミリアの前でこの生意気なエルフを打ちのめさにゃいかん」

 なおも継戦の意思を見せる二人に対し、まだ若いパスカルはその知的な顔を曇らせることはなかった。


「父上、エミリア様はそのようなことをお望みではないはずですよ。それに、私はキルゴール様に指示を受けているのです……例の魔人について説明するよう」

 魔人。周囲を気にしてか声を潜めながら彼が口にしたその言葉に、俺を含めた三人がピクリと身体の一部を動かした。

「……パスカル、この場でいいから話せ」

 父の言葉にゆっくりと頷いた彼だったが、そこでなにかを思い出したのか、質問を発する。


「ヒルデにも伝えておいた方がいいらしいですが……どこにいるか分かりますか?」

戦士長であるレッケンが口を開くよりも先に、ジンジャーが「あそこ」と言いながら人差し指で示す。街の中心部へと続く右カーブの道の脇には、葬列を見つめる群衆が押し寄せており、彼らを隊列へと侵入させまいと兵士たちも配備されている。その中の一人、見覚えのある緑の髪を帽子から覗かせている男の胸元が仄かな光を放っていた。

 戸惑いを見せながらこちらを認めて目を見開くヒルデベルトに対し、魔法使いは見下すような視線を向けながら鈴を転がすような声で挨拶する。

「やあ、クソガキ。家族の皆様がお待ちでいらっしゃるよ」



「急に光りだしてビビったぜ……」

「人探しの魔法だよ。最近会った人間が近くにいないか探せて便利だよね」

 昔、誰かさんにも教えたんだけどね。からかうような視線がこちらに向けられ、思わず渋面をつくる。旅の途中で彼女からこの魔法を教わった俺は、しかし全く使えず見限られたことがある。魔法の才能のなさを思い知らされたエピソードの一つだ。


 嫌な過去を思い出していると、ヒルデベルトは俺たちの顔を順番に見つめながら不思議そうに首を傾げる。

「あれ、レーネは?」

「キルゴールと一緒に大聖堂で仕事中だ。昨日警備計画の打ち合わせ中にわざわざ言ったろ。まったくお前ってやつは——」

「父親に似て物覚えが悪いんだね」

 呆れたような口ぶりのレッケンに被せるように、親子まとめて煽る魔法使い。再び漂いだした一触即発の雰囲気を打ち払うように、長男であるパスカルがわざとらしく咳ばらいをした。


「早速説明を始めたいのですが……ジンジャー様、色々と情報が洩れてはいけませんので、魔法をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「声籠りの魔法? いいよ」

 察しの早い彼女が了承の声に続けて何かを呟くと、五人を包むように半円型の障壁が瞬時に出現した。薄紫色のそれは俺が瞬きをした次の瞬間には見えなくなっていたが、それでも魔力がなおもその場に留められているような気配は感じられる。


「これで外には私たちの声は聞こえないよ。向こうに到着すると消えちゃうから、なるべく手短にね」

 この葬列の目指す大聖堂の周囲には古来より魔力の防壁で護られており、生半可な魔法は吸収されてしまうと聞く。魔法使いに感謝の言葉を述べてから、パスカルはすぐさま本題から切り出す。

「昨日カミル様が目撃したとされる魔人、イザイアという個体ですが……」

「は? 魔人? なんだって——なんかすいません……」

 事情を知らなかったのか聞いても忘れていたのか、話を遮るように素っ頓狂な声をだしたヒルデベルト。しかし全員から冷ややかな視線を浴びるとシュンとして押し黙ってしまった。その兄、パスカルは話を再開する。


「イザイアが口にした《十戒輪》というのは、魔人たちの間で最近になって作られた称号らしいです。西部で発見された魔人たちがその単語を口にしていたという情報がありました」

 そう言って彼は羊皮紙を取り出し、その内容を読む。

「魔人たちの中でもとりわけ魔法や武術に秀でた十体が《十戒輪》を名乗り、それぞれが部隊を率いて活動を行う。従来の有力魔人たちがわずかな手勢を連れて個々に動き回る無秩序な形態に比べて、統率の取れた彼らの攻撃は間違いなく脅威となるはずです。現に、魔人領周辺では既に一団となって冒険者のパーティに対して魔法攻撃を仕掛けてくるケースが確認されていると報告を受けています」


「ん? それじゃあ復活したっていう魔王はどうなるんだ? そのなんとかって強いやつらに直接指示を送っているのか?」

 レッケンの発した疑問は単純だが、確かに気になるものだった。パスカルは少々困り顔を浮かべながら歯切れの悪い返答をする。


「どうですかね……。魔王が復活して日が浅いので断言はできませんが、おそらくは一定の自由は認めながらも部下として彼らを扱うかと。ただ——」

「ただ?」

 俺が続きを促すと、ややためらいがちに再び口が動く。

「これは私の直感にすぎませんが、彼らは徐々に社会性を獲得しつつある段階ではないかと思います。魔王を絶対的頂点として崇敬していた彼らが、新たに《十戒輪》のもとで縦割り型の統治を受ける。そうなると魔王の威光は薄れ、それに従わない集団も出現するかと」

「まるで人間みたいだね」

 ジンジャーの口にしたその言葉は、単なる皮肉とも思えなかった。主君を裏切り、かつての仲間と敵対する。もし魔人が新たな社会を形成しようとするならば、それはきっと俺たち人間に似た形態になるだろう。

人間でも魔人でもない第三の存在として生きるエルフだからこそ可能だったその指摘に、これまでの魔人に対する視線や観念がぐらりと揺らぐ思いがした。


「……兄貴の話は小難しくてよくわかんねえけど、そろそろ着くぜ」

 ヒルデの言葉に顔を上げると、目前には巨大な建物が迫っていた。頂上が見えないほど高く伸びた双塔がトレードマークの大聖堂は、勇者の遺体と長大な葬列を歓迎するように、入口をぽっかりと開いていた。

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