第14話 回想:始まりの出会い

 その日は、早朝から小雨が降っていた。

 人通りの少ない道を小走りで進み、冒険者ギルドでいつものように新規の依頼を物色。魔王軍の侵攻が激化して以降、この王都周辺でも魔人の目撃情報が増加していた。各地を護る兵士として、あるいは魔王を討つべく旅へ出る勇者として多くの人間が王都を去ったことも相まって、報酬の相場も上がっていた。つまるところ、俺のような半端な冒険者でもまとまった額を稼げるチャンスが到来していた。


 王都近くの農場を荒らす魔人をその腐食液攻撃に手こずりながらもなんとか倒し、ギルドへ戻って報告と引き換えに金貨を数枚受け取る頃には夕方になっていた。討伐のついでに半壊した物置小屋から人を救助したこともあって、報酬には少しだけ色が付けられていた。これだけあれば、大の大人でも数週間は食っていける。懐が温かくなったのを感じながら、俺は水溜りにはまって金を落とさないよう慎重に、しかし軽い足取りで自らの居住区へと戻る。


 打ち捨てられた木材の山に、腐った生ごみの臭い。そして罵声と何かが壊れる音。

俺の住む裏地区の日常は、概ねこのような要素で構成されていた。

 国王や街の人々に見放されたいくつかの細い路地に居を構えるこの地区の住民は、ここのモノと同じく壊れ腐りきった人間が大部分を占めていた。酒に溺れた中年や高利貸から逃げてきた破産者は珍しくない。四肢の何本かを戦場に捧げた元冒険者も両手の指では足りないほど知っているし、精神を病んで一日中絵を描いてはすぐにそれを消して一人笑っている元宮廷画家でさえ特異な存在ではない。

娼婦を奪い合って殺し合いを始めるような男たちには関わらず、違う通りへと移動する際はそこの元締めにいくらかのチップを渡すこと。このようないくつかの注意事項にさえ気を配っていれば寝床くらいは確保でき、そうでなければ死ぬ。酒と暴力の支配するこの地区はそのような原理で動いている。勿論、俺もその社会に組み込まれた歯車の一つにすぎない。


ルールを遵守しながら自らのねぐらへと帰還した俺は、ポケットに入れていた金をもう一度数える。そして脳内でどう分けるかの計算をしながら濁ったワインを口に含み、喉の渇きを潤す。わずかに体力を回復させたところで再びこの場を離れ、近くにある馴染みの場所へ足を運ぶ。昔は宿屋として運営されていたらしい建物の扉をノックすると、すぐに見知った中年男性の顔が現れた。


「おお、カミル君か」

 促されるままに中に入ると、宿屋の名残がある内装が目の前に現れる。周囲で遊んでいたらしい子どもたちと目を合わせないよう努めながら、俺は持ってきた金貨をカウンターの上に出した。

「これ、今日の分です」

「いつもすまないね。こんなに分けてくれるのは嬉しいけど、自分の取り分はちゃんと残るのかい?」

 援助に対する感謝とこちらの懐事情に対する気遣いの言葉に対し、俺は自分でも分かるほどぎこちなく口角を上げながら彼を安心させるべく言葉を返す。


「最近儲かるんで大丈夫です」

「……まだ若いのに負担ばかり掛けて申し訳ない。私が少しでも稼げるとよかったんだが……」

 目の前の杖をついている男は、数年前に魔人と戦闘した際に右膝を潰されて冒険者としては再起不能となったらしい。不自然に曲がって痛々しいその脚から視線を逸らし、ここの住民にしては珍しいその人のよさそうな顔を見つめる。


「また明日か明後日に来ます、それでは」

 早口で別れの挨拶を告げながら外に出て、後ろ手で扉を閉める。もう数えきれないほど行ってきた金を渡すやり取りだが、どうしても慣れない。次の拠点へと移動しながら、俺は改めて会話の段取りを呟きながら確認する。



 ようやくすべての場所を回り終わって外に出ると、雨は一段とその勢いを増していた。冷たい水滴に全身を打たれながら誰とも会わないままねぐらの近くまで戻ったところで、粗末な居住空間の前にフードを被った人間が一人きりで突っ立っているのを視認した。

 こんな時間に、しかも大雨の中俺を訪ねてくるような人物には当然心当たりはない。真っ先に物盗りの可能性が頭に浮かび、警戒しながらゆっくりと近づいたものの、水面を弾くこちらの足音に反応してか、背を向けていたその人物はこちらを振り向く。


「お仕事ご苦労様」

「……誰だよアンタ」

 謎の来訪者はこちらの質問には答えず、代わりに俺が左腰にさげた剣に目を落としながら透明な声で質問を返してきた。

「カミルという剣に秀でた少年がいるって聞いてやってきたんだけど……キミで間違いない?」

「確かに俺はそんな名前だけど」

 だからなんだよ、と口にしようとしたところで、向こうはフードを外した。途端に、肩まで届く長く豊かな銀髪が露わとなる。この掃き溜めとはあまりにもアンバランスなその輝きに目を奪われていると、彼女は自己紹介を始めた。


「私はエミリア。一応王都出身で、歳はキミより三つほど上かな」

 その年齢に比べてあまりにも大人びて、そして美しい顔に微笑を湛えながら、エミリアと名乗る少女は続ける。

「私、一緒に冒険に行く仲間を探してるんだよね。今のところ私含めて四人なんだけど、できればもう一人欲しいなって」

「四人もいるなら十分だろ。多すぎても困る」

 冒険者ギルドには気心の知れた仲間と組んで難易度の高い依頼をこなす人間もいるが、彼らのほとんどは三人か四人で、五人パーティは少数派だ。勿論、一人当たりの取り分を多くするという経済的な理由も少なからず関係しているだろうが、少人数の方が連携が容易になるというのもある。


 しかし、エミリアは俺の言葉にすぐに反駁してくる。

「でも、旅の仲間は多ければ多いほど楽しいじゃん」

 身も蓋もない、言い返すのも馬鹿らしくなるような理由は、それにと続けられる。

「私たち、まだ魔人と戦った経験が少ないからさ。戦闘経験が豊富なカミルが入ってくれると助かるな」

 そう言ってから、彼女はその整った顔に屈託のない笑顔を浮かべる。その明るさに心が揺らぎかけたが、すぐに気を取り直す。


「ずいぶん調べたんだな。それじゃあ聞いてるんだろ、俺の過去の事も」

 この裏地区で生まれ育ってきた俺の、口にしたくもない過去。これまでもこれからも背負っていかなくてはならない、自らの犯した大罪。それを知っている人間ならば、俺のことは嫌って当然だ。


「うん、知ってるよ」

 すんなりとそう肯定した彼女に対し、続けざまに言葉を浴びせる。

「だったら——」

「でも、それはキミをパーティに迎えることとはなんにも関係ないよ」

 蒼く澄んだ瞳が俺を捉える。彼女はそのまま、優しい口調で言葉を続ける。


「昔犯した罪は取り返しのつかないものかもしれない。償おうとしても償いきれないその過ちに縛られているのかもしれない。自分は幸せになってはいけないと決めつけてしまっているのかもしれない」

「それでも、私は今のキミと旅がしたいんだ。旅の中でともに笑って、泣いて、成長して、そうやって少しずつ返していけばいいと思う。ちょうど今、キミが孤児院に寄付しているようにね」

 どうしてそれを。そう口にしようとしたが、何故か言葉が出てこない。代わりに漏れたのは、自分でも情けないほどの嗚咽だった。同時に、頬を熱い液体が伝う。

 どうやら、自分は泣いているらしい。いつぶりかも定かではないその感情に困惑していると、目の前にいた彼女が無言で抱きしめてきた。そのローブは雨粒に濡れてひんやりとしているはずなのに、上半身にはこれまで味わったこともないような温かさを感じた。


 しばらくその温もりと柔らかさに包まれているうちに、感情の波はいつの間にかすうっと引いていた。唇の震えももう収まっている。

自分を認めてくれた相手の優しさと、そしてこれからとるべき選択を再確認するように、俺は口を動かした。

「……旅の目的は?」

 彼女は俺の背中に回した腕にわずかに力を込めながら、まるでこの先に待ち受ける困難には負けないという決意を示すように、力強い調子で言葉を紡ぐ。


「魔王を倒す。そして、世界を救う勇者になってみせる」

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