第13話 先代たち

 「王都に魔人、ですか』

 俺が報告を終えると、キルゴールは掃除を終えたモノクルを装着しながら呟いた。


 本と書類を収納する棚がいくつも置かれているこの部屋は、目の前の大司教の執務室として使われているらしかった。いかにも彼らしい実用性を重視した空間では、俺をここまで連れてきたジンジャーと道すがら遭遇したレッケンも残って俺の話を聞いていた。あの旅を思い出す顔ぶれだが、今はそれどころではない。


「にわかには信じがたい話ですが……あなたが言うのなら真実なのでしょう」

「違いねえ」

「おバカだけどつまらない嘘をつくタイプじゃないしね。おバカだけど」

 最後のエルフは一言余計だが、俺の証言は意外にもすんなりと受け入れられてしまった。こちらの心中を見透かすように、椅子に座った老司教は羊皮紙の束をトントンとまとめながら言う。

「苦楽を共にした仲間の言葉を信用しない人間はいませんよ」

「……そうか」

 三十年姿を見せなかった俺のことを今でも仲間と思っていてくれるのは素直にうれしい。思わず熱いものがこみ上げてきそうになったところで、話題を魔人へと戻す。


「よくあることなのか? その、この街に魔人が侵入してくるというのは」

「だいたい月に一度って感じだが、あるにはあるな」

 今度はレッケンがその豊かな口髭を揺らす。

「群れからはぐれたやつが兵士のチェックをすり抜けて入ってきやがる。でもまあ、そういう手合いはすぐに街中で騒ぎを起こして、駆けつけたオレらに倒されるんだけどよ」

 ただ、と首を傾げながら戦士長の言葉は続けられる。


「そのジッカなんちゃら? ってやつはこれまでのとはちょいと事情が違う気がするな。魔人の間で決められた階級かなんかだろうが、そういうのは聞いたこともねえ」

 十戒輪。イザイアと名乗った魔人が口にしたその単語には、さすがの王都戦士団長も覚えがないらしい。残りの二人にも視線を送るが、どちらも知らないようだった。


「よく分からないけれど、わざわざ名乗るってことは、同族の中ではそれなりに偉いやつなんだろうね」

「後ほどパスカルにも尋ねてみましょう。魔人に関しては、彼の方が我々よりもずっと詳しい」

 キルゴールの言う通り、昼間会った彼の魔人研究に対する知識と情熱は相当なものがあった。まだ若いのに大した奴だ、と老人めいた感想を抱いていると、その父親は何かを思い出したかのように話題を切り替えた。


「そういえばお前たち、今日訓練場に来てくれたんだよな。どうよ、俺の自慢の息子の、ヒルデの腕前は?」

「あー……」

 帰り際に少しだけ『意見の相違』があったことを思い出し、どう答えたものかと考えているうちに、同行していたジンジャーが代わりに答える。

「素質は認めるよ。きっと誰かさんに似たんだろうね。でも、あのままじゃ使い物にならないよ」

「つまり、上出来ってことだろ」


 大魔法使いの率直すぎる感想を受けたレッケンは、しかしその口元をニヤリとさせる。その様子に呆れた調子でジンジャーはその小さな口を再び動かす。

「耳が遠くなったの? だからあのクソガキは——」

「問題ねえよ。あいつはこれから成長するんだから」

 しかし、彼は自信満々に続ける。


「あいつは俺よりも強くなる。まだ青臭いガキには違いねえし、初めのうちは苦労するかもしれねえが、無事に旅を続けていけばおのずと力はつくだろう。帰ってきた時には大戦士ヒルデベルトの誕生よ」

 そう上手くいくだろうか、と思ってしまう。長く険しい旅になることは確かだし、その旅程で命を落とさないとも限らない。しかし、目の前の戦士は自らの息子に全幅の信頼を置いているようだった。ならば、これ以上俺がどうこう言えるはずもない。間近で見守り続けてきた彼がそう言うのならば、きっと願望以上の何かがあるのだろう。

「まあ、腰の曲がったじいさんを派遣するよりはマシか。じゃあそっちはいいや」

 ジンジャーも俺と同じように考えたのか、ちくりと毒づくだけでレッケンの選択自体には反対しない。しかし、代わりにその矛先は別の方へと向けられたようだった。

「キルゴール」

 彼女に名前を呼ばれた大司教は、まるで次の言葉が分かっているかのようにその皺の多い顔を微かに強張らせた。


「お前、レーネを指名したいんじゃないの?」

「……朝にも述べた通り、誰を指名するかは未定です。彼女はあくまで候補の一人にすぎません」

 彼にしては歯切れの悪い返答。それを自らの問いに対する肯定と受け取ったのか、エルフの女は話を続ける。


「さっきあの子の魔法を見せてもらったけど、かなりの腕前だよ。氷魔法は若い頃のお前と遜色ないし、回復魔法には疎い私でも十分すぎる力は感じられた。欠点もあるけれど、レッケンの息子ほど致命的じゃない」

「お前がそんなに褒めるなんてよっぽどだな」

 思わず口をついて出た俺の感想に対し殺意のこもったひと睨みが返ってきたが、あくまでもいい意味だ。彼女が他人を、しかも魔法に関する能力を称賛することはあの長旅の間でも極めてまれなことだった。そんな彼女も認めるほどにあの見習い神官の力は優れているらしい。


「……彼女を指名するべきだと、そう言いたいのですか?」

「うん」

 当然のように頷く彼女とは対照的に、キルゴールは悩まし気にこめかみに手を置く。

「……レーネが優秀であることは重々承知しています。おそらく、数年後には魔力量において私を上回るでしょう。魔王討伐のみを考えるならば、回復役としては彼女が最も相応しい」

 ですが、と彼は顔を上げる。その表情には、迷いや躊躇いといった感情が滲み出ている。


「あの子は色々と気負いすぎています。見習いとして神官職に叙せられてからは、固陋な教会内部から厳しい視線を向けられるようになってしまいました。そのような状況に追い込んだ責任者として、私はこれ以上彼女に重荷を背負わせたくはありません——たとえそれが、彼女の夢を打ち砕くことになったとしても」

「夢?」

 薄々予想はついていたが、俺がそれを口にする前に大神官自らが答える。


「女性初の大司教、つまり私の後継者となること。それがあの子の幼い頃からの夢です」

 その言葉を聞いて、レッケンも顔を曇らせる。俺も何も言えない中、ただ一人エルフだけはキョトンとした顔で俺たちに確認してくる。

「それって難しいの?」

「困難というか、不可能に近いな」

 俺の悲観的な言葉を、残りの二人も否定しようとしない。


 教会創設以降、その中枢は常に男性によって占められていたとされている。その風習は現在も変わらず、女性は修道女として教会の周縁部での奉仕活動のみを許されている。見習いとは言えど神官になっているレーネは既にイレギュラーな存在ではあるが、さらに上を目指そうというのは無謀な挑戦としか思えなかった。


「……昔っから聞いてはいたけどよ、いくら無理だと思ったって、面と向かって夢を否定するなんて真似はオレにはできねえよ」

 息子の時でさえ辛かったのに。おそらくは自らの長男を想いながらの一言を付け加えたレッケンに続けて、彼女の師は険しい表情のまま口を開く。

「教会内では未だに女性を聖職に就けるのに反対の声が大きいのです。時代遅れと言えばそれまでですが、彼らにも積み重ねてきた伝統に対する敬意があるのでしょう」

 その伝統とやらに、彼女は阻まれようとしている。彼は振り返り背後にある窓の向こうへ、曇った夜空へと視線を送る。


「……あるいは、魔王討伐の栄に浴することで、風向きは変わるやもしれません。ですが、我々が道中潜り抜けてきた数々の試練を思い返すと、あの子にはこの王都で平穏に過ごしてほしいと願ってしまうのです」

「……レーネは選んでほしそうだったけど、それでも?」

 祈るような調子で発せられたその言葉には、普段は舌鋒鋭い魔法使いも丸い言葉遣いとなった。

 それでも、と強い決意が大司教の口から発せられると、それっきり全員が口をつぐみ、沈黙が室内を支配した。


「……まあ、代わりが見つかるならそれでいいんじゃないか。こっちは収穫ゼロだぞ」

 重苦しい空気に包まれた場を和ませようと、俺は口を開いて自虐を試みる。


「お前今日一日なにやってたんだよ」

「おバカな人間の周りにはそれ相応の人間しか集まらないよね、おバカ」

「カミルが優柔不断なだけではないのですか?」

……しかし、三者三様の批判が飛んできて、げんなりしてきた。


「……一応聞くが、もし見つからなかったらどうなる? 打ち首とか?」

 別に見つからないと決まったわけではないが、万が一、いや十に八くらいはそういう事態となった場合の事も考えておかなくてはならない。恐る恐る尋ねてみると、キルゴールは真顔で首を傾げながら言う。

「陛下もそこまで鬼ではありませんよ。そうですね——精々代わりに魔王討伐へと赴くように仰るだけでしょう」

「ああ、それ名案だね」

 とんでもないことを口にした彼に、賛同するジンジャー。レッケンもまた満足そうに大きな頭を揺らす。


「オレやキルゴールに比べればお前はまだ若いし、長旅にも耐えられるだろうな。いよっ、勇者カミル!」

「自分は行かないからって調子のいいことばっかり言いやがって……」

 恨み言を口にしながらも、俺はあの旅の始まりを思い出していた。まだ勇者ではなかった、一人の少女との出会いのことを。

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