第12話 暗雲
西の空に、燃えるように紅い夕日が見えた。神が初めて創造した天体であると同時に一日の終わりを告げる役目を担うその灯火は、しかし今の俺にとっては憂鬱さを増幅させる単なる小道具の一つに過ぎなかった。
「……結局、見つかりませんでしたね」
前を歩いていたレーネがこちらを振り返りながら、やや心細そうな表情を浮かべてそう言った。
「せめて手がかりでも得られればと思ったのですが……」
「レーネがそう落ち込む必要はないよ。きっと巡り合わせが悪かっただけだ――多分」
気負いすぎている彼女をフォローしようと口を開いたが、やや歯切れの悪い言葉をこぼしてしまった。
勇者に相応しい冒険者は現在の王都には存在しない。ギルド長からそう言われた後も諦めきれなかった俺たちは、街を回って様々な人間から情報を得ようと試みたものの、その成果は芳しくなかった。戦士団でも冒険者ギルドでも見つけられなかったのだから当然の結果ではあるのだが、いざ目の前に突きつけられるとそれなりに堪える。それに、差し迫る期日のことを考えると明るく振舞うのも無理があった。
「そうだよ。困るのはこいつだけなんだから、気にしない気にしない」
ジンジャーはそう言って、ポケットから取り出した黄金色の粒状のものを口に入れてもぐもぐと食べる。道すがら立ち寄った店で購入していたそれは、最近王都で流行りの菓子らしかった。レーネには一つ味見をさせていたのだが、俺が頼んでも無視されたので味のほどは分からない。
「ですが……」
なおも何か言いたげにしていたレーネだったが、彼女と視線を合わせるとすぐに押し黙ってしまった。魔法使いは何かを察したのか、含みのある微笑を浮かべる。
「まあ、気持ちもなんとなく分かるけどね――それよりさ、折角だし魔法でも見せてよ」
「魔法……ですか」
急な話題転換に戸惑ったのか、見習い神官はそう聞き返した。
「回復魔法はもう食傷気味だから、氷魔法が見たいな。キルゴールから教わってるでしょ、弟子なんだし」
「お前、相変わらず人の魔法を見るのは好きなんだな。自分で使うのは面倒臭がるのに」
三十年前も、彼女はそうだった。最高の才能を持った魔法使いであるにもかかわらず、普段の彼女はそれを行使したがらなかった。
ギルドの時のようにほかに手段が思いつかないときはやむなく頼ることもあるが、特に複雑かつ大規模な魔法はめったに用いない。曰く、魔法を構築する際にかかる脳への負担を嫌ってのことらしいが、彼女の持つ膨大な魔力リソースのことを考えるとそれも眉唾物だ。単に億劫なだけだと思っている。
「いいでしょ、誰だって綺麗なものを見るのは好きなんだから。少なくともお前の仏頂面を眺めるよりもずっと楽しいよ」
悪かったな、と俺が睨みつけていると、レーネが辺りを見回しながら恐る恐る返答を口にした。
「あの、ジンジャー様にお見せしたいのは山々ですが、ここだとちょっと……」
「別に構わないでしょ。信都じゃあるまいし、街中で魔法を使っても誰も怒らないよ」
「いえ、そうではなくて……周りに被害が及ぶのではないかと……」
確かに、彼女の言う通り、仕立て屋や道具店が軒を連ねるこの通りは人の往来も多い。勇者逝去の一報を受けてか活気に乏しくはあるものの、それでも生活のために取引は行われているし、時折鎧を纏った兵士たちが明日に備えてか数人で話し合っている場面にも出くわした。
しかし、そこまで周囲に注意を払う必要もないはずだ。俺の疑問を代弁するように、エルフの魔法使いは返す。
「範囲を限定すれば大丈夫でしょ。暴走するほど未熟だとは思わないし、なんてったってあの“滅尽”のジンジャーがそばにいるんだからさ。ほら、早く早く」
そう急かされてとうとう観念したのか、レーネはやや躊躇いながらも目の前にメイスを出現させ、その柄を握ってから目を瞑った。
「冷気を生成、凝結――」
術式のイメージをより鮮明にするためか、囁くような声で彼女がそう呟くと、その周囲に水色の光とともに少しずつ氷の粒が出現する。粒は近くのものと融合することで徐々にその姿を大きく、そして複雑なものに変化させていく。視界の隅では、周囲の人々も足を止めて彼女の業に見入っていた。
そしてひときわ眩い光をメイスから放ったところで、彼女はその目を開き、前髪をさらりと払った。
「……これでよろしいでしょうか」
彼女の目の前に造られたのは、氷のオブジェだった。俺の胸元程度の高さのその像は噴水をモチーフにしているらしく、薄い氷で覆われたその中央部分には表面に小鳥が彫られた円筒が二段重ねで配置されている。しかし、その頂点からは水は噴き出しておらず、代わりに丸い花弁を持つ花が何輪も象られており、氷像全体の美しさをさらに際立たせている。
「……見事だな」
俺が思わず漏らした感嘆の声に対し、術者の少女は頬に手を当てながら謙遜する。
「キルゴール様にはまだまだ及びませんので」
「あの頑固神父、魔法使う時も変に繊細だからね」
ジンジャーは褒めてるのか貶しているのかわからない調子でそう言ってから、もう一度氷像に視線を送る。魔法によって作られたためか、既に溶けかけてその美が損なわれようとしており、石畳に滴った水滴も即座に消失していく。
「でも、本当に上手だと思うよ。初めて会った時から素質を感じていたけど、まさかここまで育つとは」
「いえ、まだまだです。もっと上達しなくては――」
褒められてもあまり喜びの色を見せることなく、その目はより高みを目指している。ストイックというべきか卑屈すぎるというべきか、と彼女の姿勢に昨日から感じている危うさを再び読み取っているうちに、オブジェはすっかり溶けてなくなってしまった。
「さてと」
それまで集まっていた人々の注目が薄れたところで、ジンジャーは伸びをしながら口を開く。
「いいものも見れたし、そろそろ帰ろっか」
「ですね。夕食の時間もありますし」
そう言って歩きだした二人に俺も続こうとしたところで、エルフはこちらを振り向いて付け加える。
「あ、カミルはついてこないで」
「は? 何言ってるんだよ。俺たち一緒の道だろ」
戸惑いながらそう返したが、彼女は俺の背後を指差しながら真顔で続ける。
「さっき食べたお菓子、美味しかったからもう一回買ってきて。お釣りはあげるから」
その言葉とともに、何かがくるくると回転して放物線を描きながら俺の胸元に飛んできた。キャッチして確認すると、先代国王の肖像が彫られた銀貨だった。どうやら、これで買えと言いたいらしい。
「そんなに気に入ったなら自分で買ってこいよ。だいたい俺には一口も寄越さなかったくせに」
「私のお金なんだから、誰にあげるかは私の自由でしょ。それに、今日一日勇者探しに付き合ってあげたんだから、お使いの一つくらいは引き受けるのが筋だと思わないかな?」
勝手についてきただけだろ、と否定しようとしたが、ギルドでの大立ち回りは手間が省けて助かったのも事実だ。何も言い返せないでいると、勝利を確認した彼女は自らの金髪をひと撫でしてから隣にいた少女の肩に手を置いた。
「じゃ、私たちは先に戻っとくから。早く帰ってこないと、メインディッシュから先にいただいちゃうよ」
それだけ言い残し、王宮の方へと歩いていく。レーネは不安げな表情でこちらを見つめていたが、ジンジャーに耳元で何かを言われると彼女に並んでいってしまった。
「骨折り損だ……」
先刻立ち寄った菓子屋は既に閉店していた。どうも、日中しか営業していないらしい。
これでは、頼まれたお使いも失敗だ。目当ての菓子が手に入らず怒るジンジャーの顔を思い浮かべたところで、そもそも同情する必要なんてないと思い直す。むしろ被害者は俺の方だし、そもそも営業時間外なのを把握しておいて俺に頼んだ可能性だってある。理不尽な推測ではあるが、あのエルフはそういう女だ。隙を見せるといくらでもつけこんでくる。
こういう時は代わりの菓子でも買ってやるべきなのかもしれないが、生憎この街は三十年ぶりなので、その手の情報には疎い。もう時間も遅いし戻ろうとしたところで、ふとかつてこの近くに存在していたある地区のことを思い出した。
「……覗くだけならいいか」
独り言ちてから歩くこと十分強、細い路地の前で俺の足は止まった。
街灯が灯されてまだ明るい大通りとは対照的に、目の前の狭い通りは薄暗く、人通りもない。整備されておらず所々剥がれた石畳の道の中央には空き樽が転がっているほか、両脇には使い古された毛布や車輪の壊れた荷車の一部も打ち捨てられている。まだ足を踏み入れてもいないのに、何かが発酵した匂いがこちらに漂ってきた。これでは通りというよりも、廃棄場といったほうが正確だろう。
いくら表が華やいだところで、王都の暗部である『裏地区』は健在らしい。折角だし、と狭い道を進もうとしたところで、俺は突如として背後から殺気を感じた。
「……ッ!」
振り向いて半身になって身構えると、そこにいたのは細身の男だった。長い金髪によく映える白いショースと半ズボン、そして紅のマントをつけたその服装は、さながら上級貴族の出で立ち。しかし、その中性的な容姿の男は、どこか人間離れした雰囲気を纏っていた。
彼は俺の姿をつま先から頭のてっぺんまで観察してから、ニヤリと笑みを浮かべる。その整った顔に浮かぶ下劣な感情の正体を推し量ろうとしたところで、向こうはこちらに背を向けて大通りを走りだした。
「おい、待て!」
俺の制止の声に耳も貸さず、彼はそのまま隣の通りへと続く道を曲がろうとする。
謎の男の正体については既にある程度見当はついているものの、だからこそこの場で取り逃がすわけにはいかない。俺もその後を追って左折し、そのたなびくマントを全力で追いかける。相手はスピードを緩めず三度ほど道を変えたところで、ふと足を止めた。眼前の道は行き止まり。つまり、俺が追い詰めた格好だ。
「おやおや、困ったな」
そう口にしながらも、男は余裕の表情を浮かべている。
「……お前、魔人だろ」
俺がそう言うと、彼は大袈裟に驚いてみせた。何もかもが嘘くさい、薄っぺらなリアクションだ。
「ほう、私の正体に勘付くとは。少々魔力を出しすぎたか」
肯定の言葉と同時に、彼の額の上からは禍々しい角が二本生えてくる。魔人は個体ごとに異なるものの大なり小なり人ならざる特徴を持っており、角というのも典型的なそれだ。普段はその魔力で人間に擬態しているが、捕食や戦闘の際にはその歪な姿が露となる。
「ただものではなさそうだが……もしかして冒険者かな?」
「どうしてここに魔人がいる」
ここは人間の領域であり、災いをもたらす魔人が平気な顔で存在していいはずがない。質問を無視してそう問い詰めるが、向こうもそれを無視して小さく息を吐く。
「まあいい。目的は果たしたことだし、日を改めるとしよう」
そう言って、魔人は後退しながら背後の壁にもたれかかろうとする。しかし、どういうわけかその身体は煉瓦の壁をすり抜け、俺の目の前から消失しようとしていた。
「待――」
「そうそう、最低限の礼儀として、私の方から名乗っておこうか」
剣を抜いて斬りかかろうとしたが、既に身体の大部分は壁の向こうへと消えていた。わずかに残った深紅の唇が、置き土産の言葉を紡ぐ。
「私は『十戒臨』の一人、“偽果”のイザイア。いずれまた会おう、人間の男」
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