第11話 挑戦者たち
ジンジャーの話から十分も経たないうちに、ギルドの受付前には即席の闘技場が形成されつつあった。倉庫に放置されてあったと思しき資材や空いた酒樽で大理石のタイルを円形に囲み、その外には血の気とその他諸々に飢えた男たちが今か今かと自分の番を待ち望んでいる。魔法使いの右腕の座を欲する彼らの標的はただ一人、この俺だ。
「どうしてこんなことに……」
ぼやきながら慣れ親しんだ愛剣を抜き、準備運動として数度振る。自室に置いてきたはずのこれを回収して渡してきたのはジンジャーなのだが、偶然にしてはあまりにもできすぎている。おそらく、王の話を聞いてすぐにこうなることを見越していたのだろう。思えば、最初にここの名前を出して誘導してきたのも彼女だった。
性悪エルフの戯れにまんまと嵌められたのは癪だが、決まった以上は仕方がない。それに、これが勇者探しの近道であることは同意せざるを得ないところだ。手になじむ柄の感触を味わいながら自分にそう言い聞かせていると、いつの間にかレーネがこちらの顔を覗き込むようにしていた。どうやら、俺の心配をしてくれているらしい。
「ご安心ください。骨の二、三本程度ならすぐに治せますし、手足が少しでも繋がっていればくっつけますので」
「ボロ負けを前提にしないでくれ」
やはりキルゴールの愛弟子なだけあって、回復魔法には長けているらしい。できることならお世話になりたくないが、と心中で付け加えながら、俺はひび割れた木材を跨いで闘技場の中に足を踏み入れた。
「へへっ、五秒でカタをつけてやるぜ」
威勢のいい言葉とともに俺の前に現れたのは、茶髪を後ろで束ねた痩身の男。湾曲した剣を持つ手をだらりと下げて脱力しながらも、その切れ長の目はギラギラとした光を放っている。
「早いもの勝ちだから、お前が勝ったら助手は決まりってことでいいよ。あと、場外に出たら負けね」
受付のカウンターに腰かけているエルフの少女は投げやりな口調でそう言うと、その細い腕を真上に伸ばし、そしてよく通る声で告げる。
「それじゃ、よーい、はじめ」
「よっしゃ!」
開始の合図と同時に勢いよくこちらへ飛びかかってきた男は、スピードに乗った振り下ろしの一撃を放ってきた。それに対し、こちらは半身になって斬撃を躱しながら、左足でがら空きのその背中を蹴飛ばす。
「がふぅ!」
直前までの活きのよさはどこへやら、男は情けない叫び声を上げながら木箱の山へ頭から突っ込み、すぐに見えなくなった。
「……次の方どうぞ―」
順番を管理していた受付の女性の案内があり、間髪入れず次の挑戦者が闘技場へ入ってくる。大柄で筋肉質の男は、これまた大きな戦斧を肩に担ぎながらゆったりとした足取りでこちらに接近してくる。
「……おい、休憩とかはないのかよ」
連戦になるとは聞いていない。ジンジャーの方を向きながら苦情を申し立てたが、彼女は平気な顔で俺の意見をはねつける。
「時間が勿体ないからなし。ほら、とっととやっちゃって」
「喜んでぇ!」
強面の挑戦者は少しニヤつきながら、その斧を横薙ぎに振るう。遠心力も加わった重い一撃を俺は剣で受け止め、そして跳ね返す。心地よい鉄の音が響き、反動でよろめく男。その懐に飛び込んでからショルダータックルを入れると、鳩尾に入ったらしい相手は得物を手放し、悶絶しながら床に倒れた。
「早くどかして。ほら、さっさと次」
周囲にいた冒険者たちがその巨体を脇に引っ張っていくのを眺める暇もなく、長槍の突きが放たれてきた。上体を傾けながら初撃を避け、二撃目を弾いてから素早く接近し、ぽかんとしたその顔を眺めながら剣の柄で首筋を殴る。鈍い音と悲鳴を残して男は膝をつき、同時に挑戦資格を失った。
あっという間に三人が敗れたことで、こちらが手強いことにようやく気付いたらしく、順番待ちの冒険者たちの間でざわめきが広がる。俺に対する感嘆や恐れを見せる者が半分、逆にあっさり負けた挑戦者たちを嘲笑う者が半分。そしてそのどちらにも、骨のある相手と戦えることに対する悦びの色が確かに浮かんでいる。
「……そうでなくちゃ」
冒険者とは、否、危地に身を投ずるものとは、そうであるべきだ。彼らの姿勢に感服しながら呼吸を整えようとしていると、好機とばかりに黒光りする棍棒による一撃がこちらに迫ってきた。
正面からの斬撃を躱して前蹴り、右からの突きを弾くと同時に頭を下げ、背後からの攻撃を回避してお返しに肘打ち。前後に余裕ができたところで、勢いよく回し蹴りを放って左右の敵を吹き飛ばす。体勢を戻しながら闘技場を見渡すが、まだ数十人が残っている。
「まだいるのかよ……」
盾を構えた男による猛突進を避けながらぼやいてみるも、当然挑戦者の数が減るわけでもない。既に倒した数も含めると、最初ギルド内にいた人数よりも明らかに多いが、きっと騒ぎを聞きつけて飛び入り参加してきている人間もいるのだろう。
二十人ほど退けたところで面倒になったのか、「三人くらい同時に済ませてよ」という魔法使いの号令がかかり、それもすぐに形骸化して全員で襲いかかってくるようになった。あくまでも魔法使いの助手という地位(あるいはそのハート)を奪い合う烏合の衆なので連携も取れていないのだが、やはり数の暴力は厳しい。
せめて少し休むだけでもかなり違うのだが。肩で息をしながらこの無秩序な空間を作り出したエルフに対する恨みを増幅させていると、空気を切り裂くようにして何かが飛んでくる気配がした。咄嗟に身を翻すと、弓矢がローブを掠めて飛んでいき、そのまま背後の酒樽へ突き刺さった。
「飛び道具は無しだろ!」
いや、確かにルールでは武器は自由だった。しかし、この混戦だと狙いが付けにくいし、仮に命中したとしても急所に当たらなければ膝をつく可能性は低く、弱ったところを誰かが横取りしていく可能性の方がはるかに高い。ただの嫌がらせだろと思いながらも、射手を見つけてそちらへ走る。進路上にいた何人かを薙ぎ倒し、小柄なその男が次の矢を放つ直前にその腕を取ると、すかさず足払いによって尻餅をつかせた。
とりあえず、面倒な敵が一人減った。慌てて円の外へと走り去っていく後ろ姿を横目で見ながらそう考えていると、反対方向から悲鳴が聞こえた。そちらを向くと、太ももの辺りから血を流しながら跪く冒険者がいた。
そしてその横には。
「揉め事はあまり好きではないのだが――」
黒鉄色の大剣を引きずるように持つ男がいた。その頬に刻まれた深い十字の傷を見るに、どうやら先刻ジンジャーに質問をしたコレクター気質の男のようだ。
「目的のためには手段を選ばない。強者とはかくあるべきだろ?」
「さあ。その強者とやらに聞けよ」
こちらへの質問か、はたまた自らのポリシーの再確認か。俺はそれに返しながら、彼とその周囲に意識を向ける。
跪いている人間のほかにも、彼の周囲には何人かの冒険者が倒れている。大剣から滴っている赤い液体からして、彼が斬ったらしい。わざわざ直接攻撃という選択をしたのは、目障りだったというよりもむしろ獲物を横取りされたくないという支配欲の発露の結果であるように思えた。
「これだけ倒しておいて、自分は強者ではないと? ――まあいい。私が倒せばすべて解決するのだから」
勝手にそう納得してから、彼は重たそうなその得物を中段に構える。全身から放たれているその気迫に呑まれたのか、周囲の挑戦者たちは身じろぎもせずに俺たちの決闘を見届けようとしている。一対一の方がまだ楽なので、こちらとしては大歓迎なのだが。
「誰か知らないけど頑張れー!」
それまで退屈そうに寝そべっていたジンジャーも、いつの間にか身を起こして声援を飛ばしている。俺ではなく相手を応援しているらしいのも腹が立つが、それよりも先刻言葉を交わしたはずの彼女にすっかり忘れられていそうな彼に対する同情の方が強い。
「か、カミル様もどうかご無事で……」
心配そうにこちらを見つめるレーネの姿を確認してから、俺は目の前の相手に再び意識を集中させる。右手の剣を下段に構えて切っ先を床に向けながら、もう片方の手でかかってこいとジェスチャーを送ると、それに応じた向こうが突撃してきた。
作法から斜めに振り下ろされた重い一撃をパリィし、僅かに火花が散る。今度は縦振りを躱し、リーチの長い敵の弱点である懐に潜り込む。相手も追い出そうと膝蹴りを放ってきたがこれを剣の柄でカウンターし、続けて顎に拳をお見舞いする。ぐらつくその身体をポンと押すと、とうとう耐えかねたように男は背中から崩れ落ちた。
「……ちょっと手こずったな」
そう振り返りながら周囲を見ると、残りの挑戦者たちはこれ以上戦う気がないらしく、武器を捨てて手を上げたりその場に跪いたりして各々降参の意思を示していた。どうやら、今の一戦で敵わないと判断されたらしい。手間が省けて嬉しい気持ちと彼らの不甲斐なさに呆れる気持ちが入り混じって複雑な心境でいると、扉の開く音がして受付の方から誰かが歩いてきた。
「……派手にやったのう」
現れたのは、禿頭の老人だった。腰が曲がっており長剣を杖代わりにして歩いているものの、全身からはただものではないオーラを放っている。おそらく、彼も現役の頃は凄腕の冒険者だったのだろう。その証拠に、チュニックの袖から伸びる枯れ木のような腕には生々しい傷跡が多く残っている。
介助しようとすぐに駆け寄ってきたレーネを制しながら、彼はおもむろに口を開いた。
「おぬし、カミルじゃろう?」
「……どうしてその名を」
老人が俺の名前を告げた瞬間、警戒心から思わず納めていた剣に再び手をかけてしまった。彼はその非礼を気にせず続ける。
「昔何度か顔を合わせたことがあるんじゃよ。もっとも、この老いぼれのことなど覚えていなくて当然じゃが」
記憶を引き出そうとする俺の試みをやんわりと否定する言葉。そして何かを懐かしむように、白い顎髭に手をやる。
「……あの少年も、こんなに立派になったのじゃな」
「おじいさん、ギルド長でしょ?」
魔法使いが機を見てそう切り出すと、老人はいかにもと頷いた。
「ジンジャー様が仰りたいことは存じておりますぞ。なにせ、上の階で一部始終を見ておりましたからの」
そう言って皴の多い指を上に向けながら、脇に退いている冒険者たちに聞こえない程度の声で話す。
「探しているのは助手ではなく、勇者の再来ともいえる人材、ですよな?」
「……え、知ってるんだ」
「ワシにも色々と情報網があるのですよ」
珍しく驚きの色を浮かべたジンジャーに対して笑みを浮かべるギルド長。ならば、話は早い。
「俺より強い冒険者を教えてくれ。今日居ないやつの中に何人かいるだろ? 交渉はこちらで――」
「おらん」
こちらの言葉が終わらないうちに、彼は妙な言葉を口にした。
「は?」
「すみません、聞き間違えかもしれないのでもう一度よろしいですか?」
俺の代わりにレーネが行った丁寧な確認に対しても、その返答は変わらない。
「だからおらんのじゃ」
ギルド長は、王都で最も冒険者に詳しいはずの人間はもう一度そう口にして続ける。
「おぬしより強い冒険者は、少なくともこの王都にはおらんよ」
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