第10話 依頼と報酬

 王都の中心部からやや南、建て替えが進んでいないのか、やや古めかしい建築物が並ぶこの地区の一画に、冒険者ギルドの本部はあった。

 目の前にある薄黄色の大きな建物もその例にもれず、その外観はかなり年季の入ったものとなっていた。垂直に伸びた石造りの建物に見られる細工は風化によって繊細さを失ってはいるが、各所にはめ込まれたガラス窓も相まって風格を保っている。中央の入り口の上には、初代ギルド長のものらしい雑な字で『王都冒険者ギルド』と記された看板が掲げられている。

 数百年もの間、この周辺で危険を冒して冒険に挑む者たちが集い、互いに支えあってきた象徴でもあるギルド本部は、三十年前と全く変わらぬ威厳を放ってそこに構えていた。


「いつ見てもボロい建物だね。金はあるんだし早く建て替えればいいのに」

 長命の種族であるエルフの少女は歴史など知ったことかと言わんばかりにそう言い放ち、近くの柱に施された魔法使いと思しきローブ姿の人間が象られた細工へと目を移す。

「この人間、多分大魔法使いアーディンだよね。時間魔法に長けた男だったって私のおじいちゃんがよく褒めてるよ」

「千年ほど前に活躍された方ですが……」

 スケールの違いに困惑の色を浮かべるレーネ。


「お前、今何歳だっけ?」

「うろ覚えだけど、三百歳くらいかな。まだまだうら若き少女だよ。エルフ基準ではね」

俺の質問にそう返しながら、ジンジャーはさらに柱細工を夢中で眺めている。その口からは歴史上の人物名が更にいくつか飛び出したが、今は昔話を聞く余裕はない。

「早く用事を済ませるぞ」

 ここに来た目的を思い出させようと急かしてから、その様子に尊敬の眼差しを向けていた少女にも改めて注意喚起する。

「まさか大聖堂の人間に手を出してこないとは思うが、ここのやつらは色々と危険だから気を付けておけよ」

 彼女が頷くのを確認してから、扉を押し開く。


 外観と同様に、中のつくりも三十年前とほぼ変わっていなかった。正面に設置された夥しい数の依頼書がピン留めされている掲示板の奥には、その依頼の詳細を説明する受付。その横には素材を買い取る出張商人や鍛冶屋への取次、そして一仕事を終えた男たちが楽しむ酒場まで入っている。初代ギルド長が掲げた『冒険者の冒険者による冒険者のためのギルド』という理念は今もなお健在のようで、多くの冒険者たちが活発に歩き回っているため広い一階ホールがやや手狭に感じられるほどだ。


 三人で足を踏み入れた途端、いくつかの視線がこちらに向けられているのを感じた。普段見ない顔に対する警戒心かと思ったが、それにしてはさほど敵意を感じず、むしろ好意すら読み取れる温かなものだ。一つ一つの視線の先を確認すると、どうやらその注目は連れのエルフに集中しているらしい。


 当の彼女は慣れているのか、気にする素振りは一切見せない。

「……で、勇者探しの策とかはあるの? まさかフィーリング?」

「いや、まずはここの人間から情報を集めるつもりだが」

 このギルドが扱っている依頼には、実績を積んだ人間や認可されたパーティのみが受けられるものも多い。つまり、ギルド内部には冒険者たちの経歴や実力についての情報が蓄積・共有されているはずなので、そこから候補者を絞ろうというのが俺の考えだった。


 俺の説明に対し、魔法使いはあからさまに大きな溜め息をついて見せた。

「まどろっこしいな……レーネもそう思わない?」

「はい?」

 急に話を振られて困惑していた彼女だが、やがてこちらを一瞥してから気まずそうに口を開く。


「……カミル様のお考えは間違っていないと思います。ただ、その選考方法ですと時間がかかりすぎます。それに、実際に見て確かめるのが一番だと思いますが……」

 確かに、多くの情報を吟味しなければならないこのやり方は、残された三日という時間を考えるとやや厳しい。今この施設内にいる人間だけでもざっと五十人、それよりもはるかに多い人間の経歴をいちいち調べるのも骨が折れる。

加えて、彼女の指摘の通り、推薦者の俺自身が実際に候補者と会い、話をし、その資質を確かめるのが最も確実だろう。昼前にはヒルデベルトの剣技を見学したが、勇者候補に立てる人物に対してもそれなりの態度で臨まなくては、無責任と揶揄されても仕方がない。

 

 ただ、他に方法が思いつかないので仕方がない。指摘してくれた彼女には悪いが、当面はこの方向で検討していこう。そう思いながら受付へ向かおうとしたところで、ジンジャーが俺の腕をぐいと引っ張ってその場に留めようとしてきた。

「可愛い女の子の意見はしっかり参考にしないといけないよ。勿論、私も含めてね」

「……じゃあどうしろと」

「私はカミルと違って賢いから、とっくの昔に妙案を思いついてるけど。一肌脱いであげるから感謝するんだよ」

 そう言って彼女はかつかつとブーツの音を響かせながら歩きだす。その歩みは掲示板の前で止まり、くるりとこちらを振り返ってから可憐な声を響かせる。


「冒険者諸君、ごきげんよう。私はジンジャー。ご存知当世最高の魔法使いだよ」

 その声に対し、先ほどと比較してもより多くの意識が彼女に集中する。オーディエンスを獲得した彼女は周囲を見渡して、ざわつきが収まるのを待ってから口上を続ける。

「毎日多忙でスケジュールがみっちり詰まっているこの私が今日わざわざここにきてやった目的は、ずばり助手探しさ」

 その言葉と同時に、彼女の頭上に光が生まれた。細長い羽ペンのような形状をしたその輝きは、光の粒子を漂わせることによって空中に文字を書いていく。旅の途中にも何度か見たその魔法から視線を移すと、周囲の人々は呆気にとられた様子でただその筆跡を目で追うことしかできていない。


「仕事内容は私の身の回りの世話と、一部の不届き者たちからの護衛。エミリアの葬式が終わったら少し旅に出るつもりだから、それにも付いてきてもらおうかな。条件は……私の傍に立つに相応しい強さと、あとは最低限の常識があればいいや」

 どうやら、助手探しと称して勇者候補を集めてくれるらしい。旅の詳細について伏せる辺りは少々狡い気もするが、彼女なりの誤魔化しだろう。なにより、あのジンジャーの助手という肩書は魅力的だ。これなら金と名誉を重んじる冒険者たちも我先にと食いつくはずだ。

 俺の予想通り、聴衆たちは頭上の文字を読みながら内容を確認したり、隣の仲間とひそひそ話し出したりして彼女の求人に興味を示している。彼らの表情には例外なく、強い好奇心と突然目の前に現れたチャンスに対するギラギラとした欲望が見える。冒険者とは良くも悪くもそういう人種なのだ。


 さて、とエルフは話を再開させる。

「定員は一人だけ。そして気になる選考方法だけど……護衛も兼ねることになるし、やっぱり戦ってもらおうかな」

 そこで彼女の視線は何故かこちらに向いた。急にどうした、と怪訝に思っていると、その白く細い人差し指が真っすぐ俺に向けられる。

「そこのおっさんと戦って、一度でも膝をつかせたら採用って感じで」

「……は?」

 突然の指名。どういうことだ、と情報の整理が追い付いてない俺をよそに、ジンジャーはどんどん話を続けていく。

「武器はなんでもあり。多少傷つけるくらいなら私が許すよ。今日は優秀な神官もいるしね。場所は――このフロアで問題ないかな?」

 そう確認された受付の女性は、暫しの間上司がいると思しき背後のドアに目を向けていたものの、彼女の威光に圧されたか小さく首を縦に振った。


「じゃあ、時間がもったいないし早速選考を始めたいんだけど、何か質問ある?」

 一応の確認程度に口にしたであろうその言葉に対し、いくつか手が挙がった。彼女は気だるげな表情を浮かべながら、その中から一人を指す。

「そこの人、手短にお願い」

 周囲の視線を集めたのは、背中に黒鉄色の大剣を背負っている男だった。頬に十字の傷が残る彼は魔法使いを前にしても物怖じしていないようで、はきはきとした声で彼女に尋ねる。


「報酬についても教えてほしい」

「え、お金なら決まった後に交渉してよ」

 金銭的には不自由してないであろう彼女が適当にそう答えたが、男はその答えだけでは満足できなかったらしい。茶褐色の長袖から伸びた手を自らの胸に当てながら、彼はなおも回答を求める。

「魔法使いであるあなたならば、他に何か特別な品を用意できるのではないだろうか。私はそういった珍奇な物を集めているので、何か提示してほしい」

 どうやら、彼はコレクターらしい。無骨な風体からは意外な一面ではあるものの、そういった趣味を持つ人間は冒険者にも多い。各地の魔人やその他の魔獣を討伐する中で稀にそういった物品が見つかるし、依頼の報酬に設定されていることもしばしばある。特に魔法使いは自らの魔力を高めるためにそういったものを用いることが多く、目の前の彼が尋ねた理由もきっとそこにある。


 ジンジャーは困ったように少し首を傾げてから再びこちらを見てきたが、生憎俺はそのような珍しいアイテムは持っていないし、知識も乏しい。こちらが出せるものは何もないことを伝えようと首を何度か振ったが、彼女は大剣の男に向き直ってから思いもよらぬ一言を放った。

「渡せるものは何もないんだけど……一つだけ言うことを聞いてあげるくらいならいいよ」

「え?」

 今度は男が困惑の色を浮かべる。周りの人間も彼女の言葉の意味が図りかねたのか、落ち着きかけていた雰囲気がざわつき始める。


「なんでも、ってわけじゃないよ。君たちのために命を捨てるような真似はしたくないし、私にだってできないことはあるからね」

 そう補足してから、彼女はやや遠回しな言い方で続ける。

「ほら、私って誰がどう見ても美人でしょ。どうせ君たちなんていつもは酒場の女たちにも相手にされてないだろうから……例えば、一晩をともに過ごすくらいなら全然いいけどね」

 おお、とどよめきが起こる。聴衆全員が彼女の言葉の意味を理解したのだろう。彼らが常に抱いている欲望が変化し、より強まっていくのが容易に見てとれる。普段は向こう見ずかつ野蛮な人間として街の人間からあまり好ましく思われていない冒険者が、目の前のエルフと一夜を過ごす。ひどく下卑た発想だが、彼らの置かれている境遇を考えると致し方ない反応かもしれない。

 色めき立つ人々の中で、質問をした大剣の男は動揺を見せていたが、やはり徐々にその口元をほころばせる。その表情を了承の意思表示とみなしたのか、ジンジャーは再び周囲に確認する。


「質問は……ないようだね」

 それじゃ、早速はじめようか。そう言って、ジンジャーは魔法を解除しながら希望者のみがこの場に留まるよう指示を送る。それが終わって俺たちの前に戻ってきた時には、誇らしげな表情を浮かべていた。


「ね、いい案でしょ」

 エルフは自信満々にそう言い、薄い胸を張る。確かに、実際に技量を見ることはできるが、それよりも優先度の高い話題がある。

「お前、自分で何言ったか分かってるのか?」

「夜伽の話?」

俺の確認に対し、けろっとした顔でそれを口にする。レーネはその言葉に反応したのか、顔を真っ赤にしながらやや大きい声を出す。


「卑猥な発言はやめてください! 一肌脱ぐってそういう意味だったんですか!」

「え、いや、それはちょっと考えすぎだよ……」

そのすごい剣幕にたじろぐ魔法使い。続けて、盛り上がっている希望者たちの方をちらりと見てから、声をひそめる。

「もし頼まれても普通に拒むに決まってるでしょ。男なんて酒と金、それに女のことしか頭にないおバカだから、少し煽っただけだよ」


 それに、と今度はこちらを見ながら続ける。

「ここにカミルより強い人間はいないから、レーネは安心して私と見物していよう」

 レーネはその言葉に驚きながらこちらを向く。ジンジャーは「でしょ?」とこちらに話を振りながら、なぜか笑みを浮かべていた。

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