第9話 勇者の不在
サケバナブタ、という豚がいる。
主に王国南部で飼育されているこの動物は、その地で自生しているサケバナと呼ばれる黄色い野花を好んで食べることからその名がつけられた。この花は名前の通り酒の匂いを漂わせて動物たちをおびき寄せることで花粉を運搬させるのだが、それを食べた豚の肉も仄かなアルコールの風味が含まれるようになり、まことに美味であることから当地の特産品となった。
そのサケハナブタのソーセージを木串に刺したものを五本買ってきたジンジャーは、広場のテーブルで待っていた俺たちに一本ずつ手渡していく。
「私がわざわざ並んで買ってきてやったんだから、感謝して食べなよ」
「金は俺が出してるだろ」
あとでキルゴールにでも請求しようと思いながらソーセージを口に入れ、そして歯を当てる。よく焼かれた肉は弾けるような食感を与え、それから口内に芳醇な肉汁が浸透していく。思わず溜め息をこぼしてしまうほどの至福の味だ。
「……やっぱり美味いな」
思わずそう呟いたが、彼女はその反応がやや不満だったらしい。余った一本をこれ見よがしに小さな口に迎え入れてから、そのまま喋る。
「ほうひょっほほほりょひふぁよ」
「一旦飲み込んでから喋られた方がよろしいかと」
レーネのフォローにうむと頷き、喉を動かしてから再び口を開く。
「もうちょっと喜びなよ。大好物だったでしょ」
「よく覚えてるな」
確かに、サケバナブタのソーセージは好きだ。旅の途中でもよく口にしていたし、森で暮らしていたころも、幾度となくエドモンに取り寄せてもらっていた。
エルフの記憶力に対して素直に称賛の言葉を送ったが、しかし今は喜びを表明するのは憚られる。俺の気持ちを代弁するように、パスカルが後ろを振り返ってから呟く。
「……ご馳走してもらった身で言うのはよくないですが、もう少し賑やかなときに食べたいものですね」
市場を抜けた先であり王都カイガウの中心部でもあるこの場所は、朝来たときはとても賑やかな場所だった。しかし現在はやや活気に乏しく、行き交う人々は浮かない表情を浮かべたり何かひそひそ話をしている。どうやら、早朝に王宮の者が街に伝えた勇者の死去という特大ニュースが、時間をかけてようやく人々に広まってきたらしい。
父親から一足早くその情報を入手していたらしい長男は、半分ほど残っている自らのソーセージを一瞥してから続ける。
「……しかし、王都の皆さんが活力を失う気持ちも痛いほど理解できます。私もエミリア様のおかげでこの仕事を始めましたし」
「というと?」
彼は魔人研究家を自称していたが、どのような仕事をしているのかあまり見当がつかないので、初めて聞いた時から興味はあった。それに、エミリアについての話を聞くチャンスでもある。俺が話を促すと、彼は一つ咳払いをしてから回想をはじめた。
「このひ弱な体では戦士になれそうもないと分かった時期、私は自らの身の振り方が分からず苦しんでいました。母は落ち込む私を励ましてくれていましたが、父はご存知の通り素直な人ですから、とても落ち込んでいるのがこちらにも伝わってきていて……」
「ひどい奴だな」
自分に優しく他人に厳しい魔法使いの非難に対し、パスカルはいえいえと笑いながら首を振った。
「戦士という職業に生涯を捧げている人ですし、やはり息子も二人とも戦士に育て上げたかったのでしょう――ともかく、幼い頃からの夢を諦めることになった私は、これからどうすればいいのかと途方に暮れていました。そんな時、エミリア様が家を訪ねてきてくださったのです」
彼は数瞬目を瞑り、そして再び話しだす。
「雪の日の夜でした。遠征から王都へ帰還したエミリア様は、直接こちらに足を運んできてくださったようで、その美しい銀色の髪が湿っていたのをよく覚えています。突然の訪問に頭が真っ白になっていた私に対し、あの方は優しく微笑みながら道を示してくださったのです。『魔人の研究に興味はないか』と」
そう言って懐から取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。小さい字で書かれた長文のその下には、勇者のサインが記されている。そのやや個性的な筆跡には、確かに見覚えがあった。
「王宮が管理している図書館の入館証です。研究の際は自由に使っていいと仰っておりました。そして、『国を護るのは戦士だけじゃない、知識でも国に貢献できる』と私を激励してから、一緒に帰ってきていた父と奥の部屋で何か話をしておられました。それが終わってお帰りになる頃には、父も難しい顔をしながら『お前が決めろ』って言ってくれました」
エミリア様に言われた時にはもう決意していたんですがね。そう言って苦笑いを浮かべてから、パスカルは羊皮紙をしまう。
「それから王宮の方々の助けもいただいて、今は王宮近くの研究施設で魔人の生態や文化について研究しています。魔人についてはまだまだ謎に包まれている部分も多いですが、将来的にはそれらも明らかになればと思っています」
「研究って……具体的に何をしているんだ?」
俺がさらに興味を示したのが嬉しかったのか、彼の話す速度がやや速くなった。
「まずは各地に残る伝説や文献の収集と解読、それに魔人と遭遇した冒険者などからの情報収集ですかね。実際に魔人を捕獲しての研究はなかなかハードルが高いのが現状でして……。たまにこの近くで魔人を捕らえたという情報も寄せられるのですが、研究員を派遣しても大抵は既に処分された後で空振りに終わることが殆どですね」
魔人はその領土だけでなく、人間側の支配領域にも少なくない数が生息している。時々そうした存在に人間が襲われることもあるが、魔人領のそれよりも魔力が少ないため大抵は現地の自警団たちで返り討ちにすることができる。そうした魔人たちにパスカルも興味を示しているようだが、残念ながら彼らが息絶えるとその肉体は黒い粘液となってしまうため、その構造について調べるのは容易ではないだろう。
ともあれ、研究を進めることで魔人についての知識が増えると、それによって彼らに対処する方法も新たに増えるかもしれない。エミリアの言葉通り、確かに彼の仕事は国に貢献する重要なものだと思った。
「研究の成果はまた今晩にでも詳しく聞こうかな。よければ私の知識も貸すよ」
「お願いします。エルフの書物はなかなか手に入りませんので、お話を聞けるだけでも助かります」
ジンジャーの申し出に感謝を述べたパスカルは、仕事に戻るのでと言って王宮の方へと歩いていった。その少し弱々しく、しかし背筋の伸びたその背中を見送っていると、手を振っていた隣のレーネが話題を戻す。
「……それで、勇者探しはどのようになさるのですか」
「そこなんだよなあ……」
食事中は考えないようにしていたが、新たな勇者を探すための策は特に思いつかない。戦士団を見学に行った際はヒルデベルトの姿を見ておくついでに有力候補が見つかればと甘い期待を抱いていたが、どうも彼以上の人材は見当たらなかった。そもそも、それほどの資質を持った人間がいるならば、レッケンが息子のついでに推薦しているはずだとは薄々思っていたが。
とにかく、勇者の葬儀が終わるまで今日を入れてあと四日。しかも、葬儀を中座するような薄情なことはできない。となると、今日中に目星をいくつかつけておきたいところなのだが、闇雲に探したところで勿論見つかるはずもないだろう。単に腕っぷしだけでなく、魔人に立ち向かう勇気や人々を惹きつけるカリスマ性などがなければ王は納得しないだろうが、そんな人間がそう簡単に見つかるはずもない。
頭を悩ませていると、かつての勇者パーティの魔法使いは不思議そうな顔をしながら口を開いた。
「こうなったらもう、あそこで探すしかないと思うけど。この街で強い奴らが集まる場所なんて、もうそこくらいしかないことはおバカなカミルでも流石に分かっているよね」
「あそこな……」
彼女が指している場所は何となく見当がついた。ただ、正直なところあの場所には近付きたくなかった。それは単純に治安の悪さもあるが、なにより俺の後ろ暗い過去にも少なからず関係しているからだ。
「どこですか?」
そういった俗っぽい無縁であるはずの見習い神官が首を傾げるのに対し、ジンジャーはその施設の名前を告げる。
「冒険者ギルドだよ。夢と金を追い求めて、命知らずのおバカたちが集まる最悪の場所さ」
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