第8話 戦士ヒルデベルト

 王都戦士団。数百年前、小国が乱立し絶えず争いが続いていた時代において王都を護る盾として設立されたこの組織は、今もなお魔人や他国との戦いに備えて活動を続けている。入団試験の倍率は非常に高いもののあらゆる身分にその門戸を開いているため、冒険者と並んで立身出世を目指す若者の羨望を多く集めているらしい。


 確かに、活気に満ちている。訓練に打ち込む屈強な男たちの姿を見ながら、俺はその熱心さに心の中で拍手を送る。

 練兵場は、市場から三十分ほど歩いた場所にあった。この都市の北西部を横断するように流れている川沿いに広がるその土地では、剣術や槍術、馬術の練習や集団突撃の演習など様々な訓練が行われていた。


鎧や武器を身に着けたまま動き回り、時には指導役と思しき比較的年配の男たちからの理不尽な鉄拳制裁が入れられるが、そのハードな訓練の中でも彼らは決して弱音を上げない。その目にはぎらぎらとした輝きが宿っており、筋骨隆々の全身から放たれる闘気からは彼らが長い間積み重ねてきた鍛錬の成果がうかがえる。


興味本位でパスカルの提案を快諾してここまで足を運んだが、彼らの熱意をこうしてじかに見ることができただけでも来た甲斐があった。感心していた俺に、ジンジャーが冷や水を浴びせてくる。

「こういう汗臭い空間は苦手だな。美しさに欠けるよ」

 じゃあなんでついてきたんだよ、とツッコミを入れようとしたが、パスカルは茶色の長髪をそよ風に靡かせながら苦笑いを浮かべた。

「確かに男臭いですが、国や愛する人を護ろうと励むその志には頭が下がる思いですよ。わたくしには到底できないことですから」

 

 道すがら、彼の経歴などについては色々と聞いていた。レッケンの長男として生を受けた彼だったが、その生まれつきの体の弱さは成長しても克服できず、父のような戦士になる道は諦めざるを得なかったという。現在は王宮の支援を受けながら魔人の生態などについて研究しているらしい。

「パスカルさんの研究だって素晴らしいものだと思いますよ」

 レーネのフォローに対し、パスカルは微笑を浮かべながら感謝を述べる。

「ありがとうございます。レーネさんも立派にお勤めを果たしているようですね」

「そ、そんなこと……」

 頬を赤らめる彼女の反応を気にしていると、ジンジャーはまるで昼食の献立について聞くような調子で二人に尋ねる


「仲良さそうだけど、二人って恋人?」

「ち、違います……」

 さらに顔を真っ赤にしながら消えりそうな声で否定する少女。「本当に?」とさらに追撃をかけてくるエルフに、代わりにパスカルが説明する。

「ただの友達ですよ。彼女が大聖堂で修練を積み始めたころにキルゴール様が私たちの家に連れてきて、そこから仲良くなったんでしたっけ。今でもたまに食事を共にしますが、それだけです」


 ふーん、と意味深に二人を交互に見つめていたジンジャーは、なぜか俺の方を指差した。

「まあ二人がそう言うならこれ以上は言わないけどさ、結婚するなら早めにね。遅れるとこいつみたいな侘しい中年になっちゃうよ」

「し、神官は生涯独身ですので……」

 制度を引き合いにして否定する見習い。


どうせなら後半部分もまとめて否定してほしかったが、しかし彼女が感情を表に出しているのは喜ばしいことだ。馬上槍の稽古をしている方を見つめながらジンジャーと何か話しているレーネを見ながら、俺はなぜか少しだけ安堵していた。いつも窮屈そうに過ごしていたが、どことなく朗らかな様子を見せている今の方がむしろ素に近いのだろう。レッケンとの夕食の時と言い、どうもプライベートでも仲のいい人間と話すときは余所行きの仮面を外すことができるらしい。


 そんなことを考えていると、パスカルがある一画を示しながら声を出す。

「あそこにいるのが弟のヒルデベルトです」

 見ると、小さな柵で仕切られた空間の中には、軽装の鎧を着た二人の男が向かい合っていた。二人は髪をそれぞれ青と緑に染めており、両の手には木剣と皮の盾を備えている。青髪の男はじりじりと距離を図りながら左右に動いているのに対し、相手は剣を中段に構えたまま動かない。どうやら練習試合をやっているらしいが、周囲で見物している数人の仲間たちの囃し立てる声はまるで実戦に臨むような血の気を含んでいる。


「緑髪の方か」

「そうだよ」

 両者の動きを見ていれば、すぐに予想がつく。俺の呟きをすぐに肯定するジンジャー。パスカルとは以前に何度か会っているらしいが、きっとその弟とも面識があるのだろう。


その言葉を合図としたように、青髪の男は一気に間合いを詰めると木剣を勢いよく振り下ろした。鋭い一撃は相手の剣で弾かれ、反動でわずかに仰け反る。すぐに立て直して剣を横に薙ぎ払うが、緑髪の男は既に懐に潜り込んでいた。

「もらったあ!」

 勝利の雄たけびとともに、盾を押し込むようにしてボディブローを放つ。無防備の腹部に喰らった相手は吹き飛ばされ、柵で背中を強打してのびてしまった。


「……強いな」

 剣を天に掲げる勝者に対し、称賛の拍手が四方から浴びせられる。俺もそれに倣って小さく拍手を送りながら感想を述べると、彼の実兄も頬を緩ませながら手を叩いていた。

 あっけない幕切れの感もある試合。だがそれは、二人の力量差があまりにも大きかったことを表していた。どっしりとした構えもさることながら、的確な防御から攻撃への切り替えの早さや最後の一撃の強さ、そして何より、間合いが縮まる前の構えに自信が満ち溢れていた。勝負の世界に絶対はないが、剣を交える前から彼が敗北するビジョンは見えなかった。


 レッケンが推薦するのも納得だ。後衛を護る盾と同時に活路を拓く橋頭堡としての役割も求められる戦士だが、彼ならあるいは父の代わりとして前衛を務めることができるかもしれない。頼もしい戦力だと認めると同時に、彼と同等以上の強さを持つ勇者を探さなくてはいけないことに暗澹たる思いを抱かざるを得なかった。

 頭を悩ませていると、ヒルデベルトが剣を収めて軽快な足取りでこちらに歩いてきた。遠目から推定していたよりもやや小柄で壮年の戦士たちに比べると細い体だが、それを補って余りある活力が全身に満ちている。


「兄貴にレーネ、ジンジャーさんもどうも。オレの勇姿を見に来てくれたんだろ?」

 くだけた口調で話すヒルデベルト。だが、女性陣の反応は冷ややかなものだった。

「馴れ馴れしく呼ばないでください」

「ジンジャー『様』だろ。躾のなってないガキだな」

 ……後者はともかく、いつも礼儀正しい見習い神官が敵意を向けているのは意外だった。彼もそれを不服に思ったのか、そちらに言い返す。


「なんだよカリカリしてさ。幼馴染みたいなもんだろ」

「それとこれとは話が別です」

 まあまあ、とパスカルが取りなそうとしたので彼女はそれ以上何も言わなかったが、なおも冷ややかな目を向け続けている。その反応に驚いていると、パスカルが小声で理由を話してくれた。

「二人は同い年なのですが、お互い相手をライバル視しているのかしばしばこんな感じに言い争いをするのです」

 それに対し、二人とも不満を表明する。

「パスカルさん、私は意識しているわけじゃなくて、ただこの人の幼稚さを指摘しているだけです。あと私の方が誕生日は早いですし」

「先に突っかかってきたのはこいつだろ。いつも堅苦しすぎるんだよこのトンカチ頭」


 互いに睨みあうその姿を見ながら、エルフは楽しそうにケラケラ笑っている。そういえば、旅の時もしばしばこの構図は見られた。厳格なキルゴールと大雑把なレッケンが対立し、それを止めようともしないジンジャー。二人とも父親や師匠に似ているな、と在りし日を懐かしんでいると、ヒルデベルトが急にこちらに視線を移してきた。

「あんた、カミルだろ?」

「……知ってるのか」

 急に話を振られて驚いていると、彼は続ける。


「さっき親父が来て、近いうちにオレに大仕事を任せるって教えてくれたんだよ。その時にあんたの話もちょっとしてた。昔、あの勇者と冒険したんだって?」

 そこでオレの全身をざっと観察してから、一言。

「正直、あんまり強そうには見えないけどな」

 失礼な物言いだが、それを否定できるほどの力はあいにく持っていない。元々成り行きで冒険に参加したのだし、あの頃からずいぶん年を取った。今の俺はしがない狩人だ。


「うん。こいつは弱いよ」

 かつての仲間であるジンジャーも彼の言葉を肯定する。しかし、彼女の言葉にはまだ続きがあった。

「でも、実戦だとこのおバカもお前よりはずっとましな働きをするだろうね」


「なっ……!」

 あまりにも予想外の評価だったのか、絶句するヒルデベルト。彼と対立していたはずのレーネも少し意外そうな表情を浮かべる。彼らの反応を気にも留めず、エルフの少女は「だろ?」と俺に同意を求めてきた。

「お前も薄々気付いてるだろ? こいつには重大な欠陥があるって」

 確かに、彼の戦いを見ていて一つ気になる点はあった。俺が躊躇いがちに頷くのを確認したか、青年は眉をひそめながらジンジャーに尋ねる。


「なあ、オレのどこが問題だってんだよ」

「うーん、あえて言うなら――自分で一度考えてみたりせずにすぐ聞いてくる、その恥知らずなところとかかな」

 煙に巻くような発言だが、彼女の場合はただ悪口を言いたかっただけの可能性もある。

「いざ魔人と戦う時が来たら分かるかもね……レーネ、私お腹がすいたから市場で何か買い食いしたいな。パスカルも一緒に食べようよ、そこの冴えないおじさんが全額払うからさ」

 勝手なことを言いながら、ジンジャーは出口へ向かっていく。慌ててその背中を追いながらちらりと振り返ると、若き戦士は手に持った盾の表面を見つめながら悩ましげに首をひねっていた。

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