第47話 時戻りのカノン【完】
「ううん。大人ってそういうものだから」
どこか達観した物言いをする梨理がおかしく、花音は思わず笑う。
「梨理ちゃんはこれからどうなるの?」
ずっと気になっていた事を尋ねると、梨理が教えてくれる。
「私ね、死んだあとにそのまま生まれ変わるはずだったの。でもあんまりにも何もできずに死んだから、神様に『大好きな人に何かさせてください』ってお願いしたの」
梨理の力の根源を知り、花音は納得する。
「だから、花音ちゃんのお願いを三つ叶えたら、私は生まれ変わるよ」
「本当? じゃあ……」
「ううん! 焦らなくていいの。私がいる〝ここ〟は時間があってないような場所だから、花音ちゃんがいつお願いを使っても全然関係ないんだよ」
「そうなの?」
「うん、だから大切な時のために取っておいて」
「分かった」
しばらく、二人は花音と秀真の結婚式を眺めていた。
「……梨理ちゃんが、お願い事をお祖母ちゃんじゃなくて、私に与えてくれたのはどうして?」
「ん? お母さんにも言ったんだけど、『私はいいの』って言われちゃった。色々、私を見られる人の話とかをしていたら、『じゃあ花音のお願い事を聞いてあげて』って言われて、花音ちゃんを見守る事にしたんだ」
「そうなんだ。ありがとう」
「ううん! こうやって私はお母さんにくっついて、結婚式で夢を叶えられたし、もう十分」
梨理は結婚式でリングガールを務めてくれた従姉妹の子のように、白いフワフワとしたワンピースを着ていた。
そのうち彼女はチャペル内に流れるオルガンに合わせ、あどけない声でメロディーを口ずさみながらその場でクルクルと回り、ステップを踏み始めた。
いつしかチャペルの中には、雪とも花吹雪ともつかない白く輝くものが舞い散っている。
ふと、梨理の命日が、札幌で桜の花が咲く四月末の頃だったと思いだす。
心の底から綺麗だなと思いながら、どこかもの悲しさを感じ、それでも梨理の生まれ変わりのために、あと一回のお願いを大切に使おうと花音は決意するのだった。
翌朝、ぼんやりと目覚めた花音は、いまだ夢うつつのままルームサービスでフワフワのオムレツをつついていた。
「どうかしたか? 起きてからずっとボーッとしてるけど。まだ疲れてる?」
秀真に心配され、花音は「ううん」と首を横に振る。
「……梨理さんの夢を見たの」
「ふぅん?」
秀真は興味を引かれたように瞬きをし、ジッとこちらを見た。
「夢の中で、彼女と沢山話した気がする。でもあまり覚えてなくて……。それでも、『これでいいんだ』って思えた」
「うん、それならそれでいいんじゃないかな」
秀真は花音がどれだけ不思議な事を言っても、すべて受け入れてくれる。
彼自身、時を超える体験をしていないのに、だ。
「秀真さん、私の言う事を全部信じてくれるよね。ありがとう」
「どういたしまして。花音の事が好きで信じているから、君が何を言っても『信じよう』って思えるだけだよ」
「ありがとう」
彼が自分を愛し、信じてくれているからこそ、今の自分たちの幸せがあるのだと思う。
「花音はあと一つのお願いで、コンクールの時に事故に遭わなければ……って思わないの?」
不意に秀真に尋ねられ、花音は曖昧に笑った。
「それ、ね。考えなかった事はないけれど、今はこれでいいと思っているの。だってあの事故がなければ、きっとお祖母ちゃんが発作で亡くなっていても、なるべくしてなったとしか受け取れなかったと思うの。『自分が世界の誰より不幸』って思っていた、どん底の私だからこそ、お葬式に遅刻して『やり直したい』って強く思ったんだと感じている」
秀真は苦笑いして、「そんな言い方をしなくていいよ」と言う。
「それに、今はお願い事なしでも自分の意思でピアノを弾けている。今はまだ、スタート地点に立ったばかりだけれど、きっとそのうち前のように日常的にピアノを弾く自分を想像できているの」
「なら良かった。新居にグランドピアノを置く部屋も作る予定だけど、花音が使ってくれるって信じてたんだ」
「もう」
彼がしてくれる十分すぎる事に感謝し、花音は破顔する。
「お願い事がなくても、これからの私は秀真さんと一緒に幸せに生きていける。梨理さんにも『もう心配しなくていいよ』って伝えたいな」
「そうだな」
頷いた秀真は、コーヒーを飲み干してから明るい声で言った。
「さて、昼前のフライトに合わせて支度をして、発つ前にご家族に挨拶もしておかないとな」
「うん!」
これからファーストクラスに乗ってイギリスに向かえるのだと思い、花音は胸を高鳴らせた。
その後、朝食を終えていつでも出発できる準備を終えると、二人は同じホテル内に泊まっている家族と会い、挨拶を交わした。
家族たちはシルバーウィークを利用して、少し東京観光をするらしい。
それは事前に聞いていて、その分の宿泊費を秀真が負担してくれている。
彼に家族たちは何度もお礼を言い、良いハネムーンになるよう祈ってくれた。
ファーストクラスは、初めての体験ばかりだった。
エコノミークラスとは違うカウンターにチェックインし、専用ラウンジでゆっくり過ごす事ができる。
やがて時間が迫って優先されて機内に案内され、二人は中央にある隣り合った席に座った。
離陸してからあと、花音は映画を見て過ごし、食事時間になると陶器の皿にのせられたフルコースのフレンチを満喫した。
フライト時間は十三時間弱で、二人は現地時間の夕方頃にヒースロー空港に到着した。
秀真は現地ガイドを雇い、資格を持った彼に詳しい説明を受けながらイギリス全土の主立った観光地を楽しんだ。
一週間かけてロンドンに戻ったあと、大英博物館やナショナル・ギャラリーをゆっくりまわり、二人はロンドン駅を歩いていた。
駅構内にはピアノが置かれていて、花音はソワリと自分の中にある〝熱〟が疼くのを感じた。
「……弾いてみていい?」
「側で聞いてるよ」
「ミスしたら、ブーイングされるかな?」
「構わないよ。俺が拍手する」
秀真の返事を聞いて勇気をもらった花音は、ピアノの椅子を調節して鍵盤に手を置いた。
何を弾くのか考え、イギリスにまつわる作曲家を脳裏に思い浮かべる。
そして彼女自身も大好きなミュージカル『オペラ座の怪人』の作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバーを思い浮かべ、有名なシーンの最初の一音を強いフォルテで弾いた。
続くおなじみの音色に、周囲にいた男性が指笛を吹いた。
やがてミュージカル歌手が歌う部分までさしかかると、その頃には周囲に人垣ができていて、全員が歌い出した。
(楽しい……!)
大好きな音楽に触れ、花音は満面の笑みを浮かべ涙を滲ませる。
生死を分けるような、あの緊迫したコンクールの雰囲気ではない。
駅の中で普通の人々が馴染み、親しんで愛している音楽。
文字通り音を楽しむ現場にいて、花音は歓喜に包まれたまま指を動かした。
自然と男性たちがファントムの役割に回り、女性達はクリスティーナの役を歌う。
クライマックスの高音を美しく歌い上げた女性に全員が拍手し、曲を弾き終えたカノンにも大きな拍手が送られる。
その後、アンコールをせがまれ、花音は仮面舞踏会のメロディーを奏でた。
振り付けを覚えている者たちは陽気に踊り出し、秀真も楽しそうに笑ってくれている。
二曲が終わって、花音はコンクールが終わったあとのように、気取ってお辞儀をしてみせた。
割れんばかりの拍手のなか、一人の老紳士が花音に英語で尋ねてくる。
『失礼ですが、あなたはショパンコンクールに出ていた、カノン・ミキでは?』
そう言われても、もう何も怖くなかった。
彼女は笑顔で頷き、しっかりと返事をする。
『はい。私はヨウコ・カイエダの孫で、カナエ・ミキの娘です』
その後、帰国して花音は日本で再びピアノを始めた。
以前の様に第一線で活躍しようと思うのはやめ、ホテルやバーなどでアルバイト的にピアノを弾かせてもらうところから始めた。
稼ぎとしては会社員として働いていた時には及ばない。
けれど秀真は花音が楽しくピアノに向き合う姿を喜び、生活費などは問題ないので、自由にやらせてくれた。
やがて花音のお腹に女の子が宿った。
その子の名前は、勿論――。
完
時戻りのカノン 臣桜 @omisakura1228
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