第46話 結婚式

 ――お祖母ちゃん……!


 初まりは、祖母の死からだった。


 葬儀に遅刻してしまった自分が情けなく、後悔してもしきれない時に、祖母からの手紙を開いた。


 梨理の思い入れがあるピアノの存在を知り、最初は半信半疑だったものの、実際にピアノを弾いて時を跳んだ。


 それからは、秀真と出会い彼と幸せになるために必死になった半年間だった。


 実際はもう一度〝やり直し〟をしたので、もっと長い時間に思えた気がする。


 今は、梨理が自分に与えてくれたチャンス、奇跡に心から感謝している。


 何をすれば彼女への恩返しになるかいまだ分からないけれど、彼女に誇れるよう堂々と胸を張って幸せになりたいと思っていた。


 祭壇の前でシルバーのタキシードに身を包んだ秀真と、ヴェール越しに目が合った。


 幸せと心地いい緊張に包まれたまま、梨理は牧師の言葉を聞き賛美歌を歌った。


 オルガンの音色を聴くたびに、祖母が自分たちの結婚式の一端を担ってくれているのが堪らなく嬉しくなる。


 そして牧師に問いかけられた言葉に、花音は責任と強い意志を持ってハッキリ応えた。


「誓います」


 隣で秀真が微笑んでくれたのが分かった気がする。


 それからこの日のために秀真がオーダーメイドで頼んでくれた結婚指輪を交換し、彼が花音のヴェールを厳かに上げた。


 二人の視線が交わされ、どちらからともなく微笑み合う。


 秀真の顔が傾き、花音も顔を上向けて目を閉じた。


 チャペルの中で祭壇近くは天井がドーム状になっているため、目を閉じているとまるでオルガンの音色が真上から降り注いでくるように感じられた。


 目を閉じたまな裏に、外から差し込む光がステンドグラスに反射し、七色に光っているのも分かる気がする。


 永遠とも思える一瞬が終わったあと、二人は目を開け唇を離してまた微笑み合った。


 誓約書にサインをし、牧師が二人が夫婦になった宣言をしたあと、閉式となり二人はフラワーシャワーが降り注ぐなか笑顔でチャペルをあとにした。





 そのあとの披露宴も、夢のような心地のままあっという間に時間が過ぎ去った。


 花音はお色直しで、鮮やかなリラ色のドレスを纏った。


 元々花音がピンクや、ピンクに近い紫色を好んだ事もある上、二人が札幌で出会った時にライラックが咲き誇っていたのが印象的だったからだ。


 胸元にはピンク、白、青みがかった紫の小花の刺繍が施され、ウエストから裾に向かっても、チュールにライラックとも藤とも思えるデザインで、小花が零れ落ち咲いているように刺繍が施されていた。


 余興ではワンピースに着替えた洋子が優雅にお辞儀をし、披露宴会場に特別に搬入してもらったグランドピアノを演奏してくれた。


 二人の祖父母の年代の招待客は、ちょうど洋子が華々しく活躍していた時期を知っている人たちだ。


 あの海江田洋子の演奏を知り合いの孫の結婚式で聴けるとは……、と、あとからお祝いのメッセージと共に礼が送られて来たほどだ。


 美味しい料理も振る舞われ、二人の披露宴は盛況に終わった。





 そのままホテルに一泊し、翌日二人はハネムーンでイギリスに向かう事になっていた。


「疲れたね」


 すっかり秀真に対し砕けた口調になった花音は、左手の薬指に嵌まっているリングを見てニヤつきながら話し掛ける。


「今日は早めに寝よう」


 一泊しかしないから勿体ないと言ったのに、秀真はこの日のためにスイートルームを取ってくれた。


 加えて札幌から来る家族や親戚たちの部屋も、彼がポケットマネーで支払ってくれたというので、感謝しきりだ。


 二人で夜景を見下ろすバスルームでジェットバスに入り、そのあと秀真がマッサージ師を呼んでくれ、ベッドで施術を受けたあとなので、もう眠たくて目がトロトロしている。


「明日……一日移動か……。飛行機の中だから疲れちゃうね」


「ファーストクラスだから、フルフラットで眠れるし、きっと大丈夫じゃないかな?」


 キングサイズのベッドの中で二人は言葉を交わし、お互いの体温を感じながら夜が更けるのを惜しんでいる。


「ファーストクラス……初めて。……楽しみにしてる……」


「うん……」


 そのうち花音の意識は眠りの淵に落ちてしまい、寝息を立て始めた。






 夢の中で、花音は自分と秀真の結婚式を俯瞰して眺めていた。


「きれい! お嫁さんきれい!」


 隣から女の子の無邪気な声が聞こえ、ふ……とそちらを見ると、洋子の家の写真立てにあった梨理と同じ顔をしている子がいた。


 夢なので彼女を見て驚く事もなく、花音は自然と彼女と会話をする。


「ありがとう。思い出に残るとっても素敵な式だった」


「梨理ね、お母さんと一緒にオルガンを弾いたんだよ」


「うん、聴いてたよ。とっても綺麗な音だった」


 花音が頷くと、梨理は嬉しそうに相好を崩した。


「楽しかったぁ……。お嫁さんのためにオルガンを弾くのがずっと夢だったの。花音ちゃん、私に『じゃあ、私がお嫁さんになってあげる』って約束してくれたよね。守ってくれてありがとう!」


 記憶をたぐらなくても、自然と子供の頃のある日の思い出が浮かび上がる。


 一人で祖母のピアノ教室に向かった花音は、その当時よく同い年ぐらいの女の子の姿を見ていた。


 最初は生徒の一人と思っていたが、彼女はいつも暇そうにしている。


 ピアノに向かっている時もあったけれど、どうやら彼女は音が出せないようだった。


 練習室Cでたびたび彼女を見かけ、花音は自分の練習もある手前「どうしたの?」と話し掛けたのだ。


 彼女――梨理は花音に話し掛けられて嬉しそうに反応し、それから沢山の話をした。


 祖母である洋子が梨理の母だと言い、自分が我が儘を言ってピアノのレッスンから飛び出したせいで、事故に遭ってしまい洋子はとても悲しみ――後悔しているとも聞いた。


 花音は祖母の家にある写真立ての子だと理解し、それでも恐ろしさは感じないので普通に接していた。


 そんな中で、梨理が自分の夢として結婚式のオルガニストになりたかったという話をしていたのだ。


『でも、私はもう夢を叶えられないからなぁ』


『私のいとこのお姉ちゃんなら、先に結婚するんじゃないかな?』


『その人知ってるけど、私の事が見えないもん。〝約束〟できないと私はこの家から出られないし』


『そっか……。じゃあ、私が結婚した時に弾いてよ』


『本当!?』


 花音の提案に、梨理は顔を輝かせた。


『私ね、私を見られる人の夢の中に入れるの。だからお母さんにも色々伝えられるけど、生きてる人には夢でしかないから、起きたあとは覚えてたり覚えてなかったり……。それでも、私の望みが叶えられるんだって信じたい』


 梨理は心の底から嬉しそうに笑い、花音に抱きついた。


『花音ちゃん、花音ちゃんが結婚できるように、私はできる限り力を貸すからね? 大人になって私の姿が見えなくなっても、このピアノ越しに気持ちを込めてくれたら伝わるから』


 梨理は生前彼女専用のピアノとして洋子が購入したアップライトを差し、薄い胸を張って得意げに告げた。


『うん、分かった! 約束!』


 その後、花音は練習室で眠っていたのを洋子に見つけられ、少し怒られてしまった。


 けれどその当時、子供の頃の花音は梨理との会話をしっかり覚えていたのだ。


 だが子供が大人になって様々な記憶を忘れ、現実を生きると夢の世界を忘れてしまうように、花音は自然と梨理との約束を忘れてしまっていた。


「忘れちゃっててごめんね」


 結婚式を見下ろしながら、花音は梨理に謝る。

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