オリオン座をさがして

@zawa-ryu

オリオン座を探して

 吐く息が白い。

 胸を膨らませ口をすぼめて少しずつ息を吐きだすと、気霜はふわっと宙に浮かび、しばらく漂ったあと12月の夜空の中に消えていった。

 幼いころ、冬になるとそれが楽しくって何度も繰り返していたことを思い出す。

 私はあの頃と同じように胸を躍らせて空に息を吹きかけ、一人はしゃいでいた。

「お待ちどうさま」

 先生の声に振り返ると、見事に組みあがった天体望遠鏡がそこにあった。

「うわぁ立派ですね。さすが天体観測のプロ」

 私がおどけて言うと、

「プロとまではいきませんけどね」

 先生は少し自慢げにそう言って、曇った眼鏡をハンカチで拭いた。


 学校から車で30分ほど山に向かって走り、そこからさらにドライブウェイを進むと、頂上付近に展望台がある。クリスマスも近いので時期的にもう少し賑わっているのかと思ったが、平日の夜だからか展望台に来ているのは私たちだけだった。

「準備に時間がかかって申し訳ない。寒かったでしょう、車で待っていればよかったのに」

「寒くなんかありません。ぜんぜん大丈夫です」

 私はプレゼントの包装を解く子供のように、早く早くと先生を急かした。

「じゃあ、さっそく観てみましょう」

 先生はレンズを覗くと、うんと頷き

「これがペテルギウス。一等星です」

 さあ、どうぞと促した。

 私は少し腰を屈め、望遠鏡の胴体から飛び出た丸いレンズを覗きこんだ。

「どうです?美しいでしょう?」

「この卵の黄身みたいなやつですか?」

「卵の黄身……」

「うーん、きな粉餅のほうが近いかなぁ」

「……そうですね、一つの天体だけだとよく分からないかもしれないな」

 先生の声が、ワントーン低くなった。私の正直すぎる感想に落胆したのかもしれない。

「では、これで覗いてみてください」

 先生は首にかけてあった双眼鏡を私に手渡した。

「あっすごい。こっちの方がキレイ」

「見えますか?」

 そう言うと先生は双眼鏡ごと私の頭を動かして方角を定めた。

「今見えているのが、さきほど観た星。ペテルギウスです。周りの星たちよりも一際明るいでしょう?」

「ホントだ。すごくキレイに光ってる。さっきと違って真っ赤に見えますね。周りの星もすごくキレイ」

 私はしばらく、宇宙という暗闇の中で放たれる不思議な輝きに見とれていた。

「ペテルギウスは一等星なので、非常に明るい星です。肉眼でもある程度は見えますよ」

 先生にそう言われて私が双眼鏡を外すと、いつの間にか夜空には無数の光が瞬いていた。

「うわぁ素敵。星ってこんなにキレイに見えるんだ」

「目が慣れてきたのでしょう。ここは山の中だし街の灯りも邪魔しませんからね。ほら、あれがペテルギウス。その右下に三つ並んだ星が見えるでしょう。それがオリオン座ですよ」

 私は、教えられた通り星をたどっていった。

「えーっと、ああなるほど。へえこれがオリオン座なんだ」

 オリオン座。星座に疎い私でも聞いたことがある。

「あれ?その下にもキレイな星がありますよ?」

 私が言うと、先生は不思議そうな声をだした。

「どこですか?」

「ほら、あの下にある星」

 私が指さすと、先生は思わず苦笑いした。

「ああ、わかりました。あなたが今見ていたのはポルックスですね。ふたご座です」

「えっ?」

 夜空を指したままの私の手を先生が優しく握った。

 急に先生の手が触れて、私は真っ赤になって下を向いた。

「その下がペテルギウスでオリオン座ですよ」

 先生はそのまま私の手をそっと右下に向けた。

 先生がこんなに近くにいる。そう思うと心臓の音はどんどん早くなり、ますます顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。私は思わず目を逸らしながらも、重なった先生の手から伝わる優しい温もりを感じていた。


 十一月になり学校が後期課程に入ると、選択科目の授業が始まった。

 先生は初めての授業で登壇するなりこう言った。

「私の授業はややこしい話が多いかもしれませんが、頑張ってついてきてください。趣味は星を観ることです。どうぞよろしく」

 短い脈絡のない自己紹介は、私に風変わりな先生だなという印象を抱かせた。

 先生の授業は本当に難解だった。

 私は自分なりに一生懸命授業に耳を傾け、板書された内容をノートに書き写した。

 しかし、家に帰って復習してみても、教科書に書いてあることの半分も理解できなかった。

 このままでは授業についていけないどころか単位を落としてしまうかもしれない。そう不安になった私はクラスメートに相談したが、返ってきたのは意外な返答だった。

「何言ってるの?あの先生の授業は出席さえしていれば単位がもらえるのよ。テストだってもう何年も同じ問題だってさ。知らなかったの?」

 クラスメートからそう聞いて安堵するとともに、私は、通りで先生の授業は居眠りしている生徒が多いはずだと合点がいった。しかし同時に、なんとか先生の授業を理解してみたいという思いがふつふつと沸いてきた。負けず嫌いな私は、その日から理解できなかった箇所に鉛筆で線を引くと、放課後先生の部屋を訪ね、直接教えを乞うた。

 最初は棒線だらけだった教科書も、足しげく通ううちに少しずつ理解できるようになり、絡まった糸がするするとほどけてていくように読み解けるようになった。

 私があまりにも先生の部屋に通うので、そのうちクラスメートから変な噂がたつようになった。あの二人はデキてるだの変人に惚れただの、私は全く気にしなかったけれど、それで先生に迷惑がかかるのは嫌だなと思っていた。


 ある日の放課後、私がいつものように教科書を持って先生の部屋をノックすると、いつも聞こえてくるのんびりとした「はーい」という返事がその日は聞こえなかった。

 私はそっとドアを開け、「失礼します」と小さな声で挨拶して先生の部屋に入った。

 アンティーク調の机や本棚には、難しそうな書物がきちんと整理され並べられている。

 薄茶色の優しい色味で統一された、どことなく品がある先生の部屋を、私はいつも素敵だなと思っていた。先生の部屋は、私のお気に入りの場所だった。

 その部屋の中に、見慣れぬ白く細長い望遠鏡が三脚に据えられていた。

「オブジェかしら?」

 私はなぜそんなものが先生の部屋に置いてあるのか、その時はピンとこなかった。

「おや?」

 ふいにドアが開いて先生が戻ってきた。

「あっ、すみません勝手に入ってしまって。失礼しました」

 慌てて頭を下げる私に先生はいえいえと手を振った。

「いえ、所用で少し席を外していました。今日もご質問ですか?」

 部屋に勝手に入ってしまった後ろめたさを感じていた私は、少しもじもじして望遠鏡の方に目をやった。

 先生は私の視線に気づき、人差し指で眼鏡をあげると、

「これ、いいでしょう?」と歯をみせて笑った。

 その時先生が見せた、少年のような笑顔に私はドキッとして、先生の顔をまともに見ることができなくなった。私の胸は、まるで耳元で鳴っているかのようにドキドキと音を立てた。

「家庭用ではなかなかのシロモノですよ」

 先生はそう言うと、望遠鏡を愛おしそうになでた。

 私はようやくその時、先生が最初の授業で星を見るのが好きだと話していたことを思い出した。

「あの、先生はこの望遠鏡で星を見ているんですか?」

「いえ、これは今日届いたばかりなんです。自宅にはもう少し大きな、天体観測用のものがあります。組み立てるのが大変なんですが、普段はそちらを使っていますね」

「へえ」

「星を観たことはありますか?」

 先生はふいに、私に尋ねた。

「眺めたことはありますけど。真剣に観たことは無いです」

「ぜひ観て下さい。きっと、何もかもほっぽり出して忘れてしまうぐらい夢中になれますよ」

 私は、先生がそこまで言うなんて「星を観る」ということは、どれほど素敵なことなのかと心引かれた。

「先生、連れて行ってもらえませんか?私に星を見せてください」

 私が勢い込んで言うと、先生は少し驚いたような顔をしたが、ポケットからスケジュール帳を取り出すと、

「じゃあ、再来週の月曜日。空けといてください」

 そう言ってまた、嬉しそうに望遠鏡を撫で、私に優しく微笑んだ。


「ペテルギウスはオリオン座を探すのに非常にわかりやすいので、よく覚えておいてください」

 先生はまるで授業で話すように教えてくれた。

「しかしペテルギウスは短命で、間もなく超新星爆発を起こして消えると言われています」

「ええっ?じゃあどうやってオリオン座を見つけたらいいんですか?」

「オリオン座だけでなくプロキオン、シリウスとともに冬の大三角形を構成している一つですので無くなってしまったら非常に困りますね」

 先生はそう言って笑った。

「まあ、短命と言っても星の寿命の話ですから、明日なくなるかもしれないし、何万年先のことなのかもしれません」

「そうなんですね」

 不思議な感じがした。いつまでも、まるで永遠にそこにあるかのような星たちも、いずれその輝きが褪せ終焉の時を迎える。当たり前と言えば当たり前の話しだが、その時の私には、当たり前に存在していると思っていた物もいつかは消え去ってしまうということに、いまひとつ実感がわかなかった。

 

 帰り道の途中、自動販売機に立ち寄って、先生は私にココアを、自分にはコーンポタージュを買った。私はひそかに先生が何を飲むのか注目していたが、予想外なチョイスに驚いて、先生が缶をちびりちびりと啜る様子をじっと見つめていた。

 私がじっと凝視していることに気づいた先生は、

「これ、好きなんです」

 そういって照れ笑いした。

 私は、授業中一切表情を変えない先生が時折見せる、少年のような微笑みに胸をときめかせていた。


 山道を下って街への入り口が見えてきたところで信号に引っかかった。

 信号待ちの間、私は勇気を振り絞って連絡先を交換していただけませんかとお願いした。

「先生、あの、ご迷惑じゃなければ、なんですけど」

 先生はすぐには答えなかった。

 私は、ああしまったと浅はかな自分の思いを恥じたが、

「電話番号ですか?申し訳ないですが自分の番号を覚えていないので。これどうやって表示させるんでしたっけ?わかりますか?」

 そう言うとスマートフォンを私に差し出した。

 私は先生が自分の電話番号を覚えていないことに驚いたが、それよりも、こんなにもあっさりと先生と連絡先を交換できたことに拍子抜けしてしまった。

 私は先生からスマートフォンを受け取ると、お互いの電話番号を入力し、ちゃっかりSNSにも登録しておいた。

「ありがとうございました」

 私が満面の笑みでスマートフォンを返すと

「いえいえ、こちらこそ」

 先生は何事もなかったようにそれを受け取りポケットにしまった。


 その時だった。


 何かがものすごい速さでこちらに近づいてきたと思ったら、辺りが急に光に包まれた。眩しさに目を細めた時、フロントガラスにトラックの正面が、今度はゆっくりとスローモーションのように迫ってくるのが見えた。

 私が「いや、こないで!」そう思った次の瞬間、バキッという音が聞こえたあと、

私の目の前は真っ暗になった。


 集中治療室のベッドで私がぼんやりと目を覚ますと、看護師さんは大慌てで父と母を呼びに行った。部屋に入るなり私の体にすがって泣く父と母を見て、私はそうだ、事故に遭ったのだと思い出した。

 ただ、頭では心配をかけて申し訳ないと思っていても、まだ口を開く気力がなく目を閉じるとすぐにまた眠ってしまった。

 数日が経ち、だんだんと起きていれる時間が長くなると、ぐるぐるに巻かれた包帯や、体につながれた管の数も少しずつ減っていって、私は個室に移された。

「ここは401号室です」そう書かれたプリントを手渡され、担当医と名乗る若い医師からケガの程度や状態、今後の治療方針について長々と説明があった。

「何か質問はありますか?」

 医師は最後にそう私に聞いた。

 私は自分の病状よりも、家族にも尋ねられぬままにいた、どうしても聞いておきたいことがあった。

「すみません。教えていただきたいのは、あの、あの事故のことなんですけど」

「えっ?ああ、はい」

「あの時、私の隣にいた……」

 医師は一瞬ハッとした顔になった。

 そしてしばらく黙ったあと、絞り出すように声を出した。

「大変な、とても大変な事故でした。本当にお気の毒としか言いようがない。あんな事故に巻き込まれて、あなただけでも助かったのは奇跡ですよ」

 私は思わず振り返って奥に座っていた母を見た。

 母は表情を変えず、洗濯物を畳んでいた。

「では、私はこれで。明日からはリハビリも開始します。頑張りましょう」

 医師は努めて明るい声を出し部屋から逃げるように出て行った。

 閉まっていくドアを見ながら、私はそのまま凍りついたようにじっと固まっていた。

「ほら、新しいパジャマそこに置いといたからね。私も今日はこれで帰るけど、何かあったらまた電話してちょうだいね」

 母は呆然と病室の白壁を見つめる私の肩をさすると、そう言って私を一人にしてくれた。

 わたしはやがてベッドに寄りかかるように倒れこんだ。

―あなただけでも助かったのは奇跡ですよ―

 頭の中で反芻するその言葉の意味を正しく理解したとき、両頬を涙が伝った。

 やがて涙は心の奥の泉から、湧き出るようにとめどなく溢れだした。

「先生、先生……」

 私は顔を枕に押し付けて、声を殺して泣いた。

 どれぐらいの時間泣いていたのか、私はやがて泣き疲れて、自分でも知らぬ間に眠ってしまった。


 次の日から警察の人や弁護士さん、保険会社の人が入れ代わり立ち代わりやってきた。

 私はその人たちの話から、先生は本当にもうどこにもいないのだと思い知らされた。


 リハビリも順調に進み、点滴も中止になると食事が開始になった。

 初めはお皿に茹でたブロッコリーが一つだけという何かの冗談かと思うようなメニューだったが、数週間ぶりに口に入った食物は、感動するほどおいしかった。

 やがて徐々に品数も増え、少しずつ食べれる量も多くなると、私は医師から大部屋に移るように言われた。

「いやあ、驚異の回復力ですよ。やっぱりお若いですからね。退院まではまだ少しかかりますが、明日からは大部屋の方に移っていただいて治療を進めましょう」

「よかったね」

 母は涙を浮かべ私に微笑むと、それではと退室する医師に深々と頭を下げた。


「今日でこの部屋ともサヨナラか」

 特に何の思い入れがあるわけでも無かったが、私はそう呟いた。

 ベッドから降りて、窓際に向かう。もう体には何の痛みもなくスタスタと歩行もできるようになっていた。

 病室から外を眺める。少しずつ夕闇に染まる空に一つ、星が見えた。

「……ペテルギウスだ」

 先生に教えてもらった一等星があの日と同じように、見上げた空に輝いている。

 先生は今どこにいるのだろう。私からはもう見えなくなって、この世界中のどこからも消えてしまって、夢の中でしか会えなくなってしまった先生。

 また涙が出そうになるのをこらえ、私は窓を開けて夜空に向かってシャッターを押した。

 私はSNSを開くと先生とのトーク画面を表示させてみた。

 結局、一度もやり取りすることは無かったけれど、私は何も書かれていないその画面に、

「先生、オリオン座がキレイです」

 そう書き込むと写真を添付して送信ボタンを押した。


 消灯時間が来て、病室の明かりが順番に消えていく。

 私の部屋が真っ暗になった時、常夜灯が点くより早く、枕元に置いていたスマートフォンがチカチカと点滅した。

 画面には「新しいメッセージがあります」そう表示されていた。

 母からだろうか?なんだろうこんな時間に。

 アイコンをクリックし、表示された画面を見た私は、

「えっ?」

 と思わず声をあげた。

 先生とのトーク画面。そこに、

「無事だったのですか?大丈夫ですか?」

 先生からの返信があった。

「なんで?なんで?ウソなんで?」

 私はパニックになってそう叫んだ。パニックになりながら震える手で素早くメッセージを打ち込んだ。

「先生!今どこにいるんですか?」

 心臓が激しくドクドクと脈打っている。私の打ち込んだメッセージにすぐ既読という文字がついた。

「僕は今、市民病院の401号室に入院しています」

 市民病院の…401?401ってここじゃない。待って、どういうこと?

「私も市民病院に入院しています。401号です」

「怪我の具合はどうですか?」

「順調です。先生はどうですか?」

「思ったより早く回復に向かっています」

「良かった。私は明日から大部屋に移ります」

「僕も明日から大部屋です。食事は摂れていますか?」

「少しずつ食べれるようになってきています」

「僕もなんとか食べれるようになりました。最初に出てきた食事はブロッコリーでした」

「私もそうですよ。ブロッコリー美味しかったですよね」

「僕は少し食べて吐き出しました」

「えっ?大丈夫だったんですか?」

「いえ、元々苦手なのです」

 私は思わず吹きだした。

 私は今起こっている不可思議な現象よりも、目の前の先生とのやり取りの方にすっかり夢中になった。

「なぁんだ、びっくりしました。先生は今何をしてますか?」

「何って、あなたとSNSでやり取りしています」

「ごめんなさい。お部屋でどう過ごされてたのかなと思って」

「ああ、こちらこそすみません。質問の意図を汲み取れませんでした」

「いいえ、言葉足らずでした」

「僕は」

「僕は、星を見ていました」

 先生のそのメッセージを見て、私は胸の奥が疼いた。

「私も、夕方星を見ていました。写真見てくれましたか?」

「ええ、拝見しました。そうだ、ちょっと言いにくいのですが」

「なんですか?」

「この写真に写っているのは、オリオン座ではありません」

「えっ?」

「あなたが見ていたのポルックス。ふたご座です」

 ポルックス?そういえばあの日、同じようなやり取りをしたことを思い出す。

 違うのは、あの日は先生の温もりがそこにあったこと。

「先生、私また間違えてしまいました」

「無理もないですよ。窓の近くに来れますか?」

 窓?私は慌ててベッドから起き上がると、スリッパも履かずに窓の外を眺めた。

「ちょうど向かいの建物が邪魔して、この角度からはオリオン座が見えません」

 本当だ。窓の外には真向いの病棟があって視界を遮ってしまっている。

「残念です。もう少し向かいの棟が低かったら見えそうなのに」

「ここからなら、そうですね。もしかしたら、デイルームからは見えるかもしれません」

「えっ?デイルーム?」

「ちょっと移動してみましょう」

「私も行きます」

 私は急いでスリッパを履くと、そっと病室の扉を開き、スマートフォンをパジャマのポケットに隠して、足音を立てないように病棟のデイルームに向かった。


「思った通りです。ほら、ここからならオリオン座が見えます。わかりますか?」

デイルームに着くと、視界を遮っていた建物の角度が微妙に変わり、窓のむこうには夜空が広がっていた。

「あなたが写真に写したポルックスから右下にある一等星がペテルギウス。さらに右下に三つ並んだ星が見えるでしょう。それがオリオン座です」

 先生はあの日と同じように私に丁寧に説明してくれた。

「ええと、あの右下ですよね」

「そうです。見えましたか?」

「はい、見えました」

「良かった」

「キレイです。すごくキレイ」

 星座はあの日と同じように美しく輝いている。星はずっとそこにあって少しも変わっていないのに、私たちはもうあの日と同じように並んで星を眺める事は叶わないのだろうか。

 あの時のように優しく私の手を握って、私のそばにいて、また私に教えて欲しい。

「先生、あの」

「なんでしょう?」

「また、一緒に星を観てくれますか?」

 私は祈るようにそうたずねた。

「ええ、もちろんです。春にはまた、冬と同じように春の大三角形があるんですよ」

「春まで待てません!」

 私は必死だった。

「私は、私はまた先生に、オリオン座を教えてほしいです」

 私はずっと、この先もずっと先生と星を観ていたい。      

 先生と一緒に、何もかも忘れるぐらい夢中になって、二人で望遠鏡をのぞいて。

 こぼれ落ちそうになる涙をこらえながら、

「先生、私のペテルギウスになって、これからもオリオン座を教えてくれませんか」

 私は願いをメッセージに託した。

 涙が一滴、スマートフォンにこぼれ落ちる。

 こらえきれなくなった涙は、ポタポタと続けざまに落ち、メッセージ画面が涙で滲んでいく。

 少しの間をおいて、先生から返信があった。


「私は、あなたがいつでも見つけられるように、どんなときでもそこにいますよ」


 それを見た私は、もう溢れ出る涙をこらえる事はしなかった。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、先生のメッセージを、心の中に大切にしまい込んだ。

「約束ですよ」

「ええ、約束です」

 私は袖口で涙をぬぐうとスマートフォンをぎゅっと抱きしめた。


「さて、そろそろ部屋に戻りましょう。看護師さんに迷惑をかけてもいけませんし」

 気づけばデイルームの時計は11時を指していた。

「そうですね。ねえ先生、さっきの約束忘れないで下さいね」

「ええ、忘れません」

「絶対ですよ」

「絶対です」

「絶対の絶対にですよ」

「絶対の絶対に」

「嬉しい。安心しました」

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 私はベッドに戻ると、夢をみていたようなフワフワとした感覚で、そのままスマートフォンを抱きしめて眠った。


 次の日、目が覚めた私がトーク画面を開いてみても、先生とのやり取りは一つも残っていなかった。そこにはただ、私が残した写真とメッセージだけが表示されていた。

「……夢、だったのかな」

 いや、そんなはずはない。あの時、私は確かに先生と約束した。

 先生は、いつでもそこにいる。私にそう約束してくれたのだ。

 

 今夜もまた、見上げる空に赤い一等星が輝く。

 私が間違えないように、ペテルギウスはあの日と同じようにそこにあって、

 私を照らすように一際明るく輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オリオン座をさがして @zawa-ryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説