各々の成果

 ドプン、とまるで沼にでも飛び込んだかのような奇妙な感触が乾の全身を通過した。下へ下へと進み続けているが、落下しているというよりは水に沈んでいるのに近い。しかし息はできるので水中にいるわけではないようだった。

 しばらくすると眼下にぼんやりとした灯りが見える。それは徐々に輪郭をはっきりとさせていき、乾は何かを認識する。

 人間の塊だ。多くの人間が円形にひしめき合うような形でまとまっている。何人いるだろう、ざっと見ただけで百人以上はいそうだ。表面には骸骨から半分皮膚の避けたような状態まで様々だが、苦痛に満ちていることだけは共通していて、もがき苦しむような唸り声も発している。

 注視してみれば事前に資料で見た行方不明者が混じっているのがわかった。生贄としてここに放り込まれてからは延々と生命力を吸われ続けているのだろう。そして現物を見て確信した。これがあの特異体の核に当たる部分だと。

 塊の中の一人と目が合った瞬間、密集している人々は一斉に乾を見た。直後に塊からは無数の腕が伸びて来て、乾の全身に掴みかかり塊の方へと引っ張っていく。

 抵抗もせず、引っ張られるままに人々の密集体へと接近する。そうして乾は塊の中に名原がいることに気が付いた。

「くるしい、どうして、こんなはずじゃ、たすけて、たすけてぇくれ」

 取り込まれて時間が浅い分、まだ自我が残っているのだろう。それとも全員、自我は残っているが発狂しているのだろうか。自分勝手な物言いの名原へ――いや、取り込まれた人々へ乾は笑いかけた。

「今、解放してあげるからね」

 直後、乾の顔は巨大な犬と化し、大口を開けて人々へと噛みついた。


 未来の戦いを見守っていた美濃坂は神社の方角から地鳴りのような声を聞く。それに合わせて、未来を投げ飛ばした特異体が胸元を抑えながら苦しむ素振りを見せ始めた。

 安藤たちの仕業だと直感する。核を見つけ、破壊を始めたのだ。

 未来は特異体の異常を見逃さずに反撃を開始する。苦しみで動きの鈍くなっている相手の首元へ容赦なく噛みつき、背後の山へと押し倒した。特異体も抵抗して未来を引き剥がそうとしているが、力が弱まっているようで、押し返す腕力すらなくなっているようだった。

 ミシミシッ、と巨木が折れるような音を響かせながら未来は特異体の頭を嚙みちぎる。胴体から引き剥がされた頭部は、未来に放り投げられて村の家屋を数件押し潰した。頭を失っても特異体は消滅しない。がむしゃらに暴れ、拳がたまたま未来の顔に入ってしまい、よろけるようにして未来は特異体から離れた。

 特異体は手探りで立ち上がると頭部を拾いに歩き出す。未来は殴られたことが気に入らないようで、怒りに燃えた眼差しを巨人へと向けていた。

 不意に未来の胸元が光り始めた。人工的な明かりではなく、もっと原始的な、赤く禍々しい灯り。

 未来は一度、大きく息を吸い込む動作を挟むと巨人へ向けて熱線を解き放った。

 太陽に照らされるが如く村全体が明るく灯される。頭部もなく、避ける動作すらせずに特異体は熱線の直撃を受けた巨体は山へと倒れ込み、炎上する。

 業火が体を焼く苦痛にむがく動作を見せた後、ぴたりと特異体は動かなくなる。そして体は崩れ始め、山肌に大きな人の形を残して完全に消え去った。未来の炎は周辺の木々に燃え移ることなく、特異体と共に消失した。

 村へ放り投げられた頭部も、徐々に形を失い始める。本来であればあの状態でも再生ができただろうが、形を保てなくなっているということは核が破壊されたのだろう。勝利を確信する美濃坂の前で未来は頭部へと近づき、踏み潰した。

 未来は美濃坂の方へ振り返ると、のっそのっそと彼の元へ歩いて行く。そうして先ほど自身を変身させた位置まで戻って来ると未来の体は縮み始め、美濃坂は彼女の元へ上着を脱ぎながら駆け寄る。あっという間に元の幼い少女の姿へと戻った未来の一糸まとわぬ体へ、優しく自分の上着を羽織らせた。

「お疲れ様。未来みく、よく頑張ったね」

 ぎゅっと抱き締め、未来の頭を撫でながら美濃坂は囁くように労いの言葉を口にする。興奮したように荒い呼吸を繰り返していた未来は徐々に落ち着きを取り戻していき「カオル……」と唸るように呟いた。その言葉を確認して、美濃坂は彼女の首にチョーカーを装着する。

「歩ける? とりあえず、車の中で二人の帰りを――」

「ぐうぅ……」と未来は歯を剥き出し、威嚇するようなうなり声を発すると何かを睨み付けた。美濃坂もそちらへ視線を向けると、どこにいたのか、避難しはずの村人たちは特異体が現れる前と同じように遠巻きにこちらを眺めていた。

 違うのは彼らの瞳に敵意はなく、むしろ羨望の色が滲んでいることだろうか。

 この後の展開を予期して、美濃坂はさっさとこの場を離れようと折れて痛む左腕を鑑みずに未来を抱き上げた。

「ま、待ってくれ!」

 立ち去ろうとする美濃坂たちを村人の男が呼び止める。そのまま無視して歩き進める美濃坂に構わず、男は続けた。

「あなたこそ我らの守り神だ! どうか、山の神に代わり村をお守りください!」

 あまりにも身勝手な物言いに呆れながら、美濃坂は相手にしていられないと車へ急ぐ。

「ふざけるな」

 不意に未来の発した声に、美濃坂は思わず足を止める。声量は全くないはずなのに、未来の声は腹の底まで潜り込むように周囲の人の耳に届いた。

「いつまでも他者に依存せず、自らの力で生きていけ」

 まだ特異体化の影響があるのか、その物言いに幼さはなく、乱暴でぞんざいな言い方だった。それでも男は怯むことなく懇願する。

「で、ですが! 今さら国からの支援なんて受けられません! 我々はここまでそうして生きて来たのに」

 要は国の統治下に入るのは嫌だと言うことだ。意地かプライドか何かは知らないが、孤立地域でたまに起こる事象だ。

「だったら、好きにすれば。わたしは知らない」

「そこをなんとか……」

 あまりにもしつこいのできっぱりと断ろうと美濃坂は振り向きかけたが、その前に未来が言い放つ。

「うるさい、それ以上なにか言ったら踏み潰す」

 あまりにもドスのきいた声に男も美濃坂も息を呑む。先ほどの戦いを見ていることもあり、小さな女の子の脅し文句には妙な説得力があった。

 そんな緊迫した空気の中に一台の車が入り込む。黒の軽自動車は村人たちを避けるように走行し、美濃坂たちの前に停車した。

「お待たせ、迎えに来たよ! 乗って乗って!」

 助手席から乾が二人に声をかける。美濃坂たちが車に乗り込む間も、未来が村人たちに睨みをきかせていたおかげか邪魔が入ることはなかった。

「なんか面倒なことになってるみたいだな。乗れ、いったん帰還するぞ」

 そう言って車は発進する。村人たちはその背中を、ぼんやりと見送った。

 村を出て、山道に入る頃には未来もいつもの調子を取り戻したようで、大きなため息を吐きながら愚痴をこぼし始めた。

「はぁ~、疲れた。ねえ、安藤! この後なにか食べさせて。お腹空いた」

「私もおなかぺこぺこ~。あ! 駅前でケーキバイキングやってるからそこに連れて行ってよ!」

「ケーキバイキングもいいけど、先にがっつりしたの食べたいわ」

「だったら、この近くに美味しいラーメン屋がありますよ。安藤さん、まずはそこへ」

「帰還が先だろうが! お前、怪我してんの忘れてんのか? というかその格好の未来を連れ回せるか!」

「じゃあ、ちょっと眠るから着いたら起こして」

「美濃坂さん、今回も未来ちゃんの活躍すごかったんですよね? また話してくださいよ!」

「それなら記録があるので観ますか?」

 運動会での娘の勇姿を自慢するような軽さで、美濃坂はタブレット端末で先の未来と特異体の戦いを再生させながら生き生きと解説を始める。

「ちょっとやめてよ! 恥ずかしいから!」

 そんな彼を必死になって止めようとする未来の姿は娘にぞっこんな父親が嬉しくも恥ずかしい、と言った様子だった。

 そうやって騒ぎながらトンネルを潜り抜け、一行は平穏な日常へと帰還する。

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特別有事防衛隊〜怪物少女はなに思う〜 猫柳渚 @nekonagi05

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