怪獣

「乾! そいつらの縄を解いてやってくれ! 俺たちもここを離れるぞ!」

「わかった!」

 言うや否や乾は男たちに駆け寄り、縄を引きちぎって解放してやる。解き放たれた傍から逃げ出す男たちに「一人忘れてるよ!」と、未だに気絶したまま放置されそうになった一人の存在を思い出させてから、乾も車へと向かった。

 ポツンと独り、取り残された未来は身体を丸めて蹲る。ウゥゥ、と歯を剥き出しにして獣のような声で唸りながら震えている。

 そんな彼女の身体が、服の下で盛り上がった。そのまま身に着けていたスーツを破り捨ててもなお、小さな身体は体積を増やしていき、腕や脚の筋肉は何倍にも膨れ上がり、肌が鱗のようなゴツゴツとした物に覆われていく。

 あっという間に未来の体長は十メートルを超した。さらに成長を続けていくのに合わせて尻尾が生え、顔は前へと伸びていき、大きな口からは鋭く強靭な牙がはみ出し、目は黄色く染まると爬虫類を思わせるような鋭さを帯びていく。

 安藤たちが車へ辿り着くころには、未来みくは30メートルにまで成長を遂げており、羽こそ無いものの西洋に伝わるドラゴンに酷似した姿へと変貌を遂げていた。

 だが、その容貌は漫画やアニメで見られる勇ましさはなく、ましてや小さな女の子であった愛らしさなど微塵もない。

 凶悪で全てを破壊し尽くさんとする、まさに”怪獣”然とした姿であった。

 未来はスラブ神話に登場する”火の蛇”を召喚する媒体として選ばれ、実際にその身に宿すこととなった。

 未来は自身の内に宿した力を駆使し、これまで数々の怪獣を屠って来た実績がある。

「グオォォォォオオオッ!!!」

 空気や大地を揺らすほどの咆哮をあげながら未来は特異体へと突撃していく。対して特異体は未来を受け止めようと身構えるも、巨体の突撃に耐えきることができずに押し倒された。

 規模の違う戦いを横目に見ながら、安藤は美濃坂を車に押し込もうと後部座席の扉を開ける。

「いつ見ても凄いな。ここにいたら巻き込まれそうだ。早く離れるぞ」

「僕は残ります」

「はぁ!? なに言ってやがる! 死にたいのか?」

「未来にだけ任せて逃げることはできませんよ。だって僕は彼女の監察官ですからね」

 確かに監察官の任務は相方の監視である。そしてああなった彼女を止められるのは美濃坂しかおらず、美濃坂を未来から離すのは得策でないのも事実だった。

 だからと言って怪我人をこんな所に置いて行けるほど、安藤も薄情ではない。

「安藤さんは村人たちの避難誘導をお願いします。あそこでボケッと見物されてたら未来が戦いに集中できないと思うので」

 説得を口にする前に、美濃坂からまっとうな指示を受けてしまっては安藤としても否定することはできなかった。

「危なくなったらもう一台の車ですぐに逃げろよ。片手でも運転くらいできるだろ」

「もちろんです」

 笑いながら頷く美濃坂であったが、どれだけ自身に危険が迫ろうとも彼が逃げ出すことはないだろう。

「乾、美濃坂を任せた。俺は村の連中をここから離れさせる」

「おっけー、任されたよ! 安藤さんも一人で無茶しないでね!」

 それでもやはりこの状況下で怪我人を放置していくわけにはいかない。安藤としても乾と離れるのは避けたい所であったが、今はこれが最善手であろうと割り切って行動を起こす。

 美濃坂はまだ何か言いたげだったが、安藤はその何かを言われる前に車へ乗り込むと、さっさとエンジンを付けてアクセルを思いっきり踏み込んだ。激しく砂を巻き上げながら前進する車のハンドルを切って、安藤は未だに見物人を決め込む村人たちの集団へ突っ込む。

「おらおら! 死にたくなきゃ逃げやがれ、馬鹿どもが!」

 迫るヘッドライトで我に返った村人たちが、突っ込んでくる車を避けようと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。それでも逃げようとしない村人については、車で目の前まで接近して、全開にした窓から安藤が一喝すると、ようやく逃げ始める。

 それをしばらく繰り返し、野次馬たちが程よく離れた所で後ろから凄まじい衝撃音が鳴り響いた。安藤が顔を向ければ未来が特異体に殴り倒されて山を削っている光景が目に入った。

 繰り広げられえる大怪獣バトルは、初めこそ互角の戦いを見せていたものの徐々に未来が劣勢になっているようだった。

 やはり純粋な殴り合いでは体格差で負けてしまうのか。そもそも力技で勝てるかどうかもわからない。

 ピピピ、と安藤の携帯が鳴り、ハンドル片手に通話ボタンを押すと乾の声が受話器から聞こえて来た。

『安藤さん! 美濃坂さんが、このままじゃ未来ちゃんが勝てないだろうから神社に行って特異体の核を破壊してきてくれって!』

 やはり未来に任せるだけじゃ駄目だったか。特異体の核があの神社にあると確定しているわけではないが、別の場所を探している時間もない。

「わかった。乾、こっちに来てくれ。車で行く」

 美濃坂を一人で残すのは不安だが、核を破壊するのは昼間に確認した状況を見る限り安藤だけでは不可能だろう。村人も追い払ったし自力で生き残ってくれることを祈るしかない。

 そうしている間に乾が追い付き、助手席に飛び乗ると同時に神社へ向けて車を走らせた。村を疾駆し、軽自動車の小回りを駆使して隠された山道を突っ切り、鳥居の手前まで来ることができた。

 停車すると共にエンジンも切らずに安藤と乾は同時に車から降りると石段を駆け上がり鳥居を抜ける。予備のペンライトで先を照らしてみれば、神社の扉が開いているのがわかった。拳銃を構え、安藤が先行しながら室内を照らすと、驚いた顔で振り返る名原と目が合う。

「まさか、すでにここを見つけられていたとは……特防隊とはよほど優秀な組織のようですね」

「山の神を呼び出したのはお前の仕業か?」

「ははは、ご冗談を。神を操ることなんてできるはずがないでしょう」

「なら、ここでなにをしている」

 拳銃を向けられているにも関わらず名原には余裕が見られた。そんな名原の態度に不気味さを感じながらも、安藤は毅然と問いを投げかける。

「最後の仕上げです」

 昨日会った時とはまるで別人のように、名原の表情は恍惚に満ちており正気を失っているのではないかと疑いたくなるほどに眼がキマッていた。

「なにをするつもりかは知らないが、無駄だ。大人しくこちらへ来い。さもなければ発砲する」

「我らが崇拝する山の神が、私を糧に、この世界で真の神になるのですよ! 見ていてください! 私が、人類の秩序を取り戻す礎に!」

 安藤の警告などまるで聞こえていないかのように名原は意味不明なことを叫ぶと、その勢いのまま大穴へと飛び込んだ。

「あ、おい待て!」

 即座に安藤と乾は神社の中へと駆け込むが間に合うはずもなく、二人が穴を覗き込んだ時にはすでに名原は闇の底へと消えていた。

「チッ、馬鹿なことを……」

 ピピピ、と安藤の携帯が鳴り、確認してみれば美濃坂だった。嫌な予感を覚えながらも通話に出ると、淡々としながらも焦りを帯びた声音が鼓膜を揺する。

『安藤さん、そっちはどうなっていますか。特異体が、さらに大きくなって。このままでは未来が負けてしまいます!』

 力が増した。その原因は先ほど名原がここへ飛び込んだからだろう。やはり、この穴は特異体と繋がっており何かしら重要な場所であるようだ。

「私が中に飛び込むよ! だから首輪を外して!」

 戦況を聞いた乾が叫んだ。気は進まないが、迷っている暇もない。

「ヤバいと思ったらすぐに戻って来いよ」

 安藤は乾の首からチョーカーを外しながら告げる。少女はにこりと笑いながら、

「ヤバいのは承知の上だよ。じゃ、行ってくるね!」

 特異体化も始まらない内に穴の中へと飛び込んだ。

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