エピローグ

 エンジンを止め軽自動車を降りるが、相変わらず村唯一の小さな駅には人影は少ない。停留所の端にタクシーが一台停まっていたが、一向に利用客が訪れないことに辟易したのか、運転手が人目もはばからず堂々とシートにもたれかかり、仮眠をとっている。

 どこまでも昔のままな田舎の姿に苦笑してしまう優司だったが、彼の隣に立つ真琴が後部座席に置いていた紙袋を取り出し、差し出してくる。


「優ヤン、これ! 染谷夫婦からのお土産だよ。帰りの新幹線の中で食べて、ってさ」

「お土産だって? そんな、わざわざ悪いな……何から何まで、気を使わせちゃってさ」


 受け取ってみると、染谷夫妻が店で焼き上げたであろう、ホカホカのパンがいくつも入っている。小麦の香ばしい香りがなんとも食欲をそそるが、一方でこんな量を食べきれるのかと、少し圧倒されてしまった。


「二人も本当は、見送りに来たがってたんだけどねぇ。店のほうを空けるわけにもいかないから、せめても――って」

「いやいや、本当にありがたいよ。真琴こそ、わざわざ送ってくれてごめんな。非番の日だってのに、足に使っちゃってさ」

「いいよ、そんなの。ここまで優ヤンは本当に頑張ってくれたんだからさ。せめて、これくらいのことはさせてもらいたいの」


 自然体で笑い返す優司に対し、やはりどこか真琴の表情は晴れない。もの悲しい眼差しを少し伏せ、彼女は続けた。


「本当、大変なことになっちゃったよね。すべては終わったはずなのに、本音を言えばなんだかおさまりが悪くって、色々と引きずっちゃう部分があるんだ。もっとどうにか、できなかったのかな、って」


 真琴の姿を見つめたまま、優司も両手で紙袋を抱えながら思いを馳せる。もともとは同窓会に参加するための短い帰省だったはずが、気が付けばもう一ケ月以上、この故郷の村に滞在していたのだ。

 

 “タケ爺”に――春日岳道という老人にまつわる“復讐劇”は、実行犯である純の死亡という形で幕を閉じた。あれからも優司らは警察の事情聴取を受けたり、病院で怪我を診てもらったりと大忙しで、自由になるまで随分と時間がかかった。


 純はあの場で、事切れてしまっていた。“なにか”が肉体から抜け出た反動か、はたまたとうの昔に限界を迎えていたのか、優司にはなった一言を最後に絶命してしまっていたのである。

 死因は急性心不全と判断されたが、あの場にいた優司らはその真の理由を知っている。だが、それを警察の面々に言ったところで、きっと信じてはくれないのだろう。


 優司は首を横に振り、なおも穏やかな笑顔で真琴を励ました。


「真琴はやっぱり、根の部分は真面目なんだよな。だからきっと、そうやってあれこれ悩んじゃうんだと思う」

「なによ、“根の部分は”って……」

「ごめんごめん。けれど、俺も同じ気持ちさ。きっと、ぶーちゃんや凛音も同じなんだと思う。どうにかしたかったことだらけだけど、今回の一件に俺らはあまりにも無力だった。それほどまでに、この村で起こっていたことは、俺達の――いや、人間の手に負えるようなものじゃあ、なかったんだろうさ」


 純の始めた“復讐劇”は、必ずしも彼が抱いた恨みのみに根差したものではなかった。彼の祖父に宿り、そして純へと受け継いでしまった存在が、その裏には関わっていたのだろう。

 視線を持ち上げる真琴に、優司はうなずく。ため息をつき、肩の力を抜きながらあくまで優しい眼差しで返した。


「それでも俺は、やっぱりあいつが――純が“復讐”に狂った、ただの殺人鬼だなんて思えないんだ。あいつは最後の最後まで、俺に謝ってくれた。あの時見せた笑顔は、昔から変わらない――俺らのクラスメイトの純だったんだよ」


 その一言に、真琴は口元をキュッと結び、湧き上がってくる感情に耐えた。少しうつむき目頭を押さえた後、「そうだよね」と呟く。


 失ったものはあまりにも多い。多くのクラスメイトが命を落とし、一連の事件は村全体に不穏な影を落とし続けた。たとえこれ以上の凶刃が振るわれることがなかったとしても、人々の心に残った傷跡は容易に消えはしない。


 昼過ぎの野風が吹き抜け、二人を撫でる。優司は視線を持ち上げ、駅の向こう側に見える田舎の風景を眺めた。

 広大な田んぼにあぜ道、ぽつぽつと建った民家同士を繋ぐように老朽化した電柱がたわんでいる。舗装されていない道を進んでいく軽自動車と、犬の散歩をする老婆の姿が見えた。


 幼少期に臨んだそれとまるで変わらない景色に、優司は口の端に笑みを浮かべながらため息を漏らす。そんな彼の横顔に、真琴はどこかぎこちなく語りかけた。


「えっと……本当に色々とあったけど……でも、だからって――優ヤンにはこの村のこと、嫌いにならないで欲しいんだ」


 思いがけない一言に、優司は目を丸くする。真琴は珍しく、物悲し気なまなざしを浮かべていた。

 だが、彼女の真意をすぐに悟り、優司はうなずく。必要以上にあれこれと背負い込もうとする同級生の肩の荷を下ろすべく、胸を張って答えた。


「もちろんだよ。どれだけ離れていたって、痛ましい事件が起こったとしたって、やっぱり俺にとっての“故郷”はこの村なんだ。過去に何があったかとか、“鬼”がいようがいまいが、関係ない。俺はこの村で、皆と一緒に育ったんだからな。だからかならずまた――戻ってくるよ」


 優司の笑みが、真琴の心を激しく揺さぶる。感極まった彼女はほんのわずかに目を潤ませたが、それをすぐに拭い、またいつも通りの痛快な笑顔へと戻った。


「その時は絶対に連絡してよね。ぶーちゃんや凛音にも――他の皆も集めて、またやろうよ。私たちの、“同窓会”をさ」

「ああ、楽しみにしておく。それまで真琴も――元気でな」


 二人はそれ以上、多くは語らなかった。優司はそのまま予定通りの時刻の電車に乗り込み、故郷・穏月村を後にする。優司の電車が見えなくなる最後の最後まで、真琴は駅の側に立ち、しっかりとその行方を見送った。


 がらがらの車内で手ごろな席に座り、優司は車窓ごしに流れる田舎の風景を見つめる。夏を前にした故郷はどこもかしこもが緑に包まれ、田んぼにはところどころ水が張られていた。太陽を反射する水田の風景が、これから来るであろう懐かしい暑さを予感させる。


 これからも変わらず、この地で多くの人々が暮らしていくのだろう。真琴は警察官として奔走し、学と凛音はパン屋を切り盛りしていく。他の同級生らも、それぞれの人生を、各々のリズムと緩急で送っていくのだ。

 ときには痛みを負い、人々の命が散る瞬間すら目の当たりにした。だがそれでも、なぜか優司はただ心穏やかに、頬を撫でつける優しい風の感触に身をゆだねることができる。


 それは優司が、“彼”の本心をしっかりと知り得ていたからだろう。

 故郷の村には“鬼”がいた。

 そしてその“鬼”が宿った一人の男は、最後の最後まで優司の“友”であり続けてくれた。


 その名を思い出すたび、わずかに胸の奥が締め付けられる。だが、どれだけ懐かしんでも、悔やんでも、彼らが戻ってくることなどない。

 この場所が――穏月村が名を変え、形を変え、今日まであり続けたように、そこで生きる人々もまた、いつだって立ち止まることなく進み続けていくしかないのだろう。


 そんな当たり前の事実を胸に抱き、優司は目を閉じた。目的の駅に着くまでのほんのわずかな時間、程よい疲れに包まれながら、思いを巡らせる。

 自身が帰るであろう都会の雑踏を思い描き、また一つため息を漏らした。


 きっと、忘れることなどないのだろう。

 この地であったすべてを抱いたまま、優司はまた変わらぬ明日へと歩んでいく。

 残った人々も、去ってしまった人々も、そのすべてを心の側に連れたまま。




 ***



 

 念仏を唱え終わったことで、ようやく和尚は目を開いた。目の前に転がる無数の石片を夕焼けが染め上げ、いくつもの細かな陰影を生み出している。

 粉々になってしまったかつての“祠”を前に、和尚はほうとため息をつき、振り返った。野山の中腹から、夕暮れ時の穏月村の姿を見下ろす。


 また一つ、この村全体を包んでいた“氣”が、色を変えたように感じた。彼にはその理由は相変わらず分からなかったが、それでも以前よりもわずかばかり、無色透明の大気のなかから“濁り”のようなものが消えたように思う。


 和尚は手にしている木札を――神社が代々、その製法を受け継いできた剣型の“護符”を眺めながら、思いを馳せる。

 彼らはなにかにたどり着いたのか――かつてこの神社を訪れた、若き男女たちの顔を思い出していた。この村の過去を探り、とある“老人”にまつわる痛ましい事件について探る彼らのことを、しっかりと覚えている。


 しかし、和尚はその先を知り得ることはできない。

 彼らが何者で、何を探っていて、そして何にたどり着いたのか。

 あくまで全貌は分からないが、今はただ、ほんのわずかに浄化された村の姿に安堵する他ない。


 和尚は“護符”を懐にしまい、神社に戻るために歩き始める。肩の力を抜き、背筋を伸ばし前を向きなおした。


 数歩、足を出したところで、激しい風が吹き抜ける。

 ざああと揺れる木々のざわめきの中に、どこか聞き慣れた“音色”が響き、思わず足を止めて振り返ってしまった。


 和尚のほかには、誰一人いない。相変わらずの山の中腹には、共同農園に続く道と、その脇に転がった“祠”の残骸が見えるのみだ。

 立ち尽くしたままの和尚の頬を、汗が一筋伝っていた。確かに聞こえた“それ”の正体を探るべく、視線を必死に動かしてしまう。


 遠くから響くカラスの鳴き声。

 村を駆け抜ける風と、それを受けて互いをすり合わせうなる野山の木々。

 その中に、わずかに聞こえた――老人の“歌声”。


 どれだけ目を凝らしても、何も見つけられない。

 延々と広がる野山の緑は、相も変わらずざわざわと不規則なリズムで揺れ、どこかけだるそうにうなり声をあげている。


 その姿がどこか不気味だったが、和尚は迷いを断ち切るように首を横に振る。再び前を向きなおし、足早にその場を立ち去った。


 穏月村が茜色に染め上げられ、そしてやがて夜が訪れる。

 夕と夜が移り変わるそのはざま――逢魔が時のそのわずかな隙間に、地獄の釜の蓋が開く。

 現世で生きる人々と、異界で生きる“なにか”が交わるその時間帯に、耳をすませばあの“歌”が聞こえてくるような気がした。


 しゃがれた老人の声色で。

 若き青年の声色で。

 あるいは――人ならざる“なにか”の、声色で。


 わるいこはみな、それおとそ。


 “おに”がついたら、くびおとそ。

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穏れ月の里 創也 慎介 @yumisaki3594

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