エピローグ

 今年もまた、私たち夫婦の結婚記念日と逢木夏月の命日がやってきた。昨年同様、テレビのニュースでは熱中症への注意を呼びかけている。


 1年前、夏月の手紙を読んだ後、私の中に沸き起こった感情は“怒り”でも“悲しみ”でも“憐れみ”でもなく、“優越感”だった。

 大学時代、私にとって夏月は、親友でもあり、憧れの存在だった。美人でスタイルが良く、頭も良い。そのことを自覚しているのかいないのか、優れていることを鼻にかけることなく、控えめで気さくな彼女は、男女問わずに人気者だった。私は、いつも、彼女を羨ましく思い、醜い劣等感が常に私につきまとっていた。そんな私が、初めて彼女に勝てたのだという“優越感”は、私を強くした。


(家庭崩壊などさせるもんか! 私は、三島雅也みしま まさやを一生離さない。何があっても……)  


***  

 1年前の結婚記念日の夜遅くに帰ってきた雅也からは、香水の香りがした。夏月の忠告は負け惜しみの嘘ではなかったようだ。間もなくして、私は、コンビニでパートの仕事を始めた。少しずつ貯金をして貯めたお金で、興信所に夫の浮気調査を依頼した。結果は黒だった。3人の女と付き合っているようだ。薄々気付いていたので、驚きはしなかった。


 あの日から私は、“良き妻” “良き母” を完璧に演じ続けている。下手に彼を責めて、捨てられては困るからだ。


「私は、何も知らない。あなたのことを信じています」


 夜寝る前と、朝起きた時、毎日自分にそう言い聞かせるのが日課になっている。


(ねぇ、夏月。私たち夫婦は今も、これから先もずっと、ずっと、幸せよ? あなたの思い通りにならなくて悔しいでしょう?)  


 私は写真立てに大切に飾った写真に向かって、心の中で囁いた。結婚式の日に撮った集合写真。雅也の斜め後ろに写っている夏月は哀しそうに微笑んでいる。


「おい! 千春! そろそろ出掛けるぞ」

「ちょっと待って! 職場からメールが届いているの。すぐ返信しなきゃ」  


―― 千春、今日はどうしても会えないのか? 君に会えない日、俺は苦しくて死んでしまいそうだよ 。


―― ごめんね、裕太。今日はどうしても会えないの。明日は会えるから、我慢してね、お願い 。 


 私は、不倫相手に素早くメールを返信した。


「おい! 千春ー!」

「はーい! 今行くー!」

「ねぇ、夏月、私、あなたが言う通り、強い人間でしょ?」

「“正しく”はない、けど……」  


 私は、写真立てをそっと伏せて微笑んだ。



「私の、"勝ち" ね……」


                                  了


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夏月 喜島 塔 @sadaharu1031

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