退息所

オカワダアキナ

退息所


 わたしの釣ったうみたなごは腹がぱんぱんに膨れていた。祖父に連れられ本牧の突堤に出かけ、初めての釣りだった。風が冷たかったし、護岸も桟橋もえさのにおいがきつくて早く帰りたかったが、釣れたうれしさですっかりいい気分になった。

 祖父は、これは雌だな、子どもがいるなと言って、うみたなごの腹を絞った。ふとい指に力がこもり、尻びれの下に裂け目があったのだ、小さなさかながにゅうっと飛び出してきたので驚いた。わたしは声をあげ、祖父は笑い、うみたなごの腹からつぎつぎ稚魚がひりだされた。うみたなごは腹の中で卵を孵し、稚魚のすがたで生まれてくるという。卵胎生といってめばるやグッピーもそうだと祖父は教えてくれた。グッピーが卵を産まないのはきいたことがあったが知らないふりをした。稚魚たちはみなピンク色でぬるぬるしており、腹だけぷっくりまるかった。数えたらぜんぶで二十九匹で、すべて祖父が産ませた。わたしは一度に三十匹のうみたなごを釣ったのだと思った。祖父は母親のうみたなごだけクーラーボックスにしまい、稚魚たちはすべてリリースした。ちびは食ってもうまくないし、戻せばあとでまた釣れるからと言った。あとでというのは数ヶ月後とか数年後とか、未来の話だと思った。祖父はうみたなごのほか、あじも釣った。

 帰ってから祖母がうみたなごを煮付けにしてくれた。母も食べるだろうと残しておいたが、母は仕事の終わりが遅かったようで(帰ってきたときわたしはすでに寝ていた)、一口つまんでそのままにしたらしい。朝、皿の上で甘辛い煮汁がゼリーのように固まっていた。骨もぬめりをまとって光っていた。

 そのころわたしたちは祖父の家に住んでいた。祖父と祖母と母とわたし、父は別のところに住んではいたがちょくちょく顔を出し、そういう暮らしは父と母がびんぼうだったためだが、わたしはとくに不自由を感じていなかった。と思う。祖父は古着屋の会社をやっており、家は店とくっついている。よくわからないダンボール箱や包みがたくさん置かれた廊下が面白かった。米軍払い下げの服や輸入品を扱っているからか、ダンボールにくっついている伝票は走り書きのアルファベットのものが多く、なんとなく格好いい気がしていた。

 わたしは煮付けを食べながらピンク色の子どもたちについて考えていた。いきなり母親のおなかから外に出されてかれらは生きていけるのだろうか。もしかしたら小さい赤ん坊はまだ一匹二匹、腹の中にいたかもしれない。気づかず食べてしまった? いや、もしいたとしても、さばいたさい祖母が見つけてそっと捨てたろう。わたしはじぶんの股の裂け目についても考えた。うみたなごは赤ん坊もうんこも同じ穴から出てくるそうだが、わたしの股には三つも穴があいている。口や耳や鼻やへそも入れたらもっとだから、わたしのからだはまるでオカリナだろうか。わたしは一度に三十匹のうみたなごを釣ったのだ。それはバクダンでおおぜいひとをころすのに似ている。か? わたしは笛であり火薬であり、初潮をむかえたばかりの小学生だった。海釣り桟橋からは荷揚げをするコンテナ船やガントリークレーンが見えた。赤と白のしましまのキリンは岸壁にずらりと並び、巨大だった。

 ぶよぶよの煮汁を祖父はご飯にのせて食べた。わたしも真似したが、ふりかけのほうが好きだと思った。ずいぶん前、といっても何年か前、いやわたしにとってはむかしむかしの話だ。


 一月。インフルエンザにかかってしまった。予防接種は打ったのにどこかでもらってしまったようだ、母はまもなく臨月で、うつったら大変だからとわたしは祖父のうちに「隔離」されていた。いや言い出したのはわたしだ。母はごめんねとすまなさそうにした。何日も祖父のうちにいるのは、うみたなごを釣った冬以来だった。

 生まれてくるのは男の子だとわかっている。ふくらんだ腹にさわったりエコー写真をみせてもらったり、自分に弟ができるのは楽しみだが、十五も歳がはなれたかれとうまくやっていけるか不安だった。そうして、父と母は別居と同居を繰り返してせわしないくせ、子どもができるようなことをいまもしていたのだなあと、なんというか気まずかった。

 薬で熱はあっというまに下がり、からだじゅうしんどかったのが嘘みたいだ。でもしばらく外には出られない。だからわたしはいろいろなことを思い出したり想像したりして時間をつぶした。祖父は、店のすぐ上の部屋をわたしのねどこにしてくれた。ダンボール箱が積まれ半分倉庫みたいな部屋だが、カーテンを開けると日当たりがよかった。ホットカーペットを敷き、マットレスやふとんを重ねてくれた。このうちに住んでいたこともあったのに何年か経てばすっかりよそのうちで、なかなか落ち着かなかった。においがちがう。ふとんにくるまっているとだんだんなじんだが、わたしの体はこわばっていた。まだ少し熱っぽいのかもしれない。

 かたく縮こまったまま、祖父が用意してくれた石油ストーブのほのおを見つめていた。やかんがのせられている。やかんを船、湯気をけむりに見立ててみた。ねむりと覚醒をとろとろ行き来し、わたしは遠い港とホテルのことを思い浮かべた。ホテルは白い波のかたちをしている。ちいさな灯台がかくれている。N君が光を見上げている。いまわたしが寝そべる本牧の埠頭にも灯台はある。小さな煙突みたいなものだけどあることはある。


 いつもツイッターでN君のつぶやきをながめている。知らない男のひとだ。いや誕生日や血液型は知っている。一月十七日、O型。プロフィールにはアラサーと書かれており、ばくぜんとおとなだと思う。つぶやきを見ているだけだから会ったことはないし、本名や声は知らない。フォローはしていないからされていない。N君はわたしが見ていることを知らない。

 N君のことを知ったのは、わたしの腿に刺さっている鉛筆の芯のためだった。小さいころ刺さってそのままになっておりずっと肌の中にある。痛みも異物感もなくほかのほくろと見分けがつかないほどだが、ときどき不安にはなった。インターネットで「鉛筆 芯 刺さった」と調べ、さまざまな体験談をやみくもに読み漁った。

 そのうちのひとつにN君のツイートがあった。N君は長らく頬に埋まっている鉛筆の芯を、手術して抜くべきか迷っていた。

『痛いかな?』『いくらくらいかかるんだ』『前よりでかくなってる気がするからぜったいやばい』『ほくろくん(鉛筆の芯のことをこう呼んでいる)がガンになったらどうしよう』

 わたしはようすを見守ることにした。

 N君はスニーカー集めが趣味でいつも色とりどりの靴を履き、しょっちゅう足の写真をツイッターにあげていた。左右でべつの色のひもにしたり、変わった結びかたをしたり、インスタグラムやTik Tokにもアップした。まるっこい髪をめくると内側がピンク色で、インナーカラーというらしく、あたまの写真もしばしば流れてきた。ピンクは退色しやすいとぼやく。一度も会ったことはないし今後も会うことはない人の、靴や髪のようすを知っている。

 プロフィールにはKobeとあった。わたしは神戸に行ったことはないが、港があり中華街があり観覧車があり洋館があり、横浜と似ているように思えた。似ている港に似ている芯のほくろがある。神戸でもうみたなごは釣れるだろうか。キリンはいるだろうか。

 といってもわたしのうちは横浜駅やみなとみらいからは遠く、よく知らない。本牧からもちょっと離れている。横浜市は広すぎる。行ったことのない場所、今後も行かない場所がたくさんある。そのように認識すらできない、想像の中でさえ関わることのない場所も。でもほくろの不安が想像力の光を投げ、髪の毛の内側まで照らすこともあるのだと、なんだかどきどきした。


 祖父はかつて不良少年だったという。うそだかほんとうだかよくわからない話をいつも長々しゃべった。祖父のうちのある本牧はむかしフェンスで区切られ、大部分がアメリカの基地だったそうだ。知ってる。米軍の住宅跡はいまも根岸の崖——ほんとうに崖という感じなのだ、坂が多くて自転車で行くのはしんどい——に残っていて、何年か前に返還されたことにはなっているがいまも中には入れない。あそこはなにになるんだろうねと母が言い、どうせ公園だろうと祖父が言った。

 ベトナム戦争の時分、フェンスの向こうはアメリカで、街には米兵があふれていたという。祖父はしばしばディスコでケンカしたらしい。腕っぷしには自信があった。そのため「死体つなぎ」のバイトもしたことがあったのだと言った。

「アメリカ人は火葬しないからな、ベトナムで死んだ兵隊たちは棺に入れて海に流すんだ。死んで帰ってきて、あちこちふっとんで手足がばらばらなんだけど、葬るときには手足がそろった体にしてやるきまりだった。ホルマリンで洗って糸で縫うんだよ。たって、誰が誰の足だかわかんないから、右と左で長さがちがうなんてこともあったけど、まあ、死んだらみんなきょうだいだよな。給料はけっこうもらえた。死んだ兵隊や怪我をした兵隊たちは次々ヘリで運ばれてきて、ヘリの音がすごい日はあっちではたくさん死んだんだろうな、ひどい戦闘があったんだろうなって、こわかった」

 死体を洗ったから池の水が赤くなったとわたしをおどかし、どこまでほんとうかわからなかった。海に棺桶? 現実にあったこととは思えなかった。

「死んだひとたちの体が基地に帰ってきたのはほんとう?」

「帰ってこなかった体もあったさ」

 もともと祖父は基地の売店にコーラやジュースを届けるアルバイトをしていて、ついでに米軍住宅でハンバーガーなんかも売って小遣い稼ぎをしたのだという。工事やゴミ処理やバイトには困らなかったといい、基地への出入りが高じて古着屋を始めるに至った。「ヤンキーのジーンズだからヤンジー」、祖父は言った。おとうさんは洒落てますねえと父はしばしば感嘆した。わたしの目からみれば、祖父はちょっとワルそうな格好をしているへんな年寄りだったが、母やわたしや父に優しくしてくれるし、おこづかいもくれるのでわたしは祖父のことが好き。

 本牧の接収が解除されたのは八十年代、跡地には映画館やレストランや洒落た店が並んだと祖父は言った。さまざまな計画や実験やカネをぶちこまれた「新しい街」だったと。けれどバブル景気の崩壊とともにだんだんすたれ、いまあるのは駐車場とマンションとあんまりおおきくないイオンだ。ところどころ、五番街とかイスパニア通りとか名前だけ残っている。

 そのほか祖父が話してくれたのは、ダルマ船を覗いたことや——ダルマ船とは貨物の輸送のため大岡川や中村川に停泊していた船たちで、船の上で商売をしたり休憩所をやったり、住所を持たず暮らしていたひとたちがいたという——、米兵だらけのレストランに忍び込んでピンボールを打ったことや。武勇伝は尽きなかった。「不良少年と港湾労働者と米兵、それから華僑がくんずほぐれつの街」で祖父は祖母をナンパしたらしい。祖母は中国人だ。

 祖母は祖父にくらべて口数が少なく、日本語がそんなに得意じゃないためだろう、わたしの手をぎゅっと握ったり頰ずりしたり抱きしめたり、そういう祖母なりのコミュニケーションは嫌いではないがちょっとうっとうしい。うっとうしくてかわいい。

 日本語はへたくそだが祖母は祖父としょっちゅうけんかする。いい歳して恥ずかしいと母は言う(母と父は大げんかになるまえに距離をおくからそう思うのだろう、わたしとしてはそっちのほうがこわい気もするが)。


 そうして今朝も、祖父と祖母は派手にやりあい、ライオンのように吠える祖父の声がわたしのねどこにまできこえてきた。ダンボール箱を蹴っ飛ばし、どこかへ出かけて行ったようだった。祖母はちょっとべそをかきながら、わたしにりんごをむいてくれた。べつにりんごは食べたくなかったが祖母がかわいそうなのでぜんぶ食べた。ストーブの上、やかんのまるい腹は黒く焦げている。洗っても落ちないだろう。祖母がお茶をいれ、やかんに水を足してくれた。わたしたちはインフルエンザがうつらないように、おたがいマスクをしていた。マスクをひっぱってすきまからりんごを食べたり茶を飲んだりした。

 きょうはお店どうするのかとたずねたら、手伝いの子が来るから大丈夫だと祖母は言った。

 祖母の知り合いの親戚の知り合いの中国人で、ようするにかぼそいつながりだ、ときどき祖父が言う「同胞」のことだろうと思った(「ばあちゃんの同胞の誰それが……」)。華僑の小金持ちの三男坊でいつもブラブラしており、祖父と仲がいいからちょくちょく店の手伝いをしてくれる、釣りにつきあってやることもあるらしいと。生まれたときから日本だが、学校で習ったので中国語も話せるのだと祖母が言った。実家も学校も神戸で、いまはひとりらしい。

「——っていう子で……」

 祖母はマスクの向こうでもごもご言った。名前? ききとれなかったのでもう一度きいたがよくわからなかった。

「発音と漢字が難しいからね」

「ごめんね」

「Nicorasって英語名も持ってるから、みんなニコちゃんって呼んでるよ」

 ニコちゃん。名前をきいてどきっとした。いやさっき、祖母が神戸と言ったときからどきどきはしていた。もしニコがN君だったら? そんな偶然あるわけないのだが、わたしはふとんのなかにいるのでさまざまな想像ができた。鼻と口はマスクの下にあり、ふとんにくわえてさらに一枚、現実と隔てられている。ニコちゃん。N君。つぶやいてみた。マスクの紙とじぶんの息のにおいがした。


 わたしの腿の鉛筆の芯は、小さいころ保育園で転んで刺さったままになったものだ。すっかり皮膚になじんでほくろみたいに見える。すぐ近くに本物のほくろもあるから、ふたつ並んで顔みたいだ。わたしはときどきほくろたちの下にマジックで口を描いて遊んだ。

 でも芯が埋まったままで病気になったらどうしよう? 皮膚の下、芯は青黒くにじんで見える。芯がどんどん深くに刺さってしまったら? なぜか母にも父にも、祖父や祖母にも相談できなかった。N君のつぶやきを見ていた。

『小学校のとき、友だちと取っ組み合いして刺さったやつ』『痛かったんだと思うけど、おぼえてないや』『なんでそのままになったんだっけな……。どうして親は放っておいたんだ……』

 わたしもわたしも。痛かったのか、血は出たのか、母は驚かなかったのか。どうして刺さったままなのかおぼえていないしわからない。転んで刺さった芯だから誰の悪意もないし、母と仲が悪いわけではないと思うけど、もしかしてわたしは傷を放置されたのだろうか。

 そうしてわたしはわたしで、弟が生まれてくることを恥ずかしいことのように思っている。十五歳年下の弟が、母と父が子どもを授かったことが、自分も同じようにつくられたことが、どうしても気まずい。友だちにそんなに歳の離れたきょうだいはいないから? クラスで中国人の血が入っているのはわたしだけだから? めずらしいことは悪いことではないとわかってはいるが鉛筆の芯と同じようにわたしに刺さっている。N君のつぶやきによって発見した。

『抜こうかな。もうすぐ誕生日だし。関係ないか』『調べてみたら、二万くらいでできるらしい』『高いの? 安いの?』『手術ってしたことない。麻酔したら痛くない? 麻酔が痛い?』

 N君は神戸メリケンパークホテルというところにあるちいさな灯台を気に入っている。ホテルは港に面しており、ポートタワーや観覧車のすぐ近くだそうだ。どうしてホテルに灯台があるのだろう? 飾りではなくほんとうの灯台でちゃんと光を放つらしい。夜、白い波の形をしたホテルから緑や赤の光がまっすぐ進み、回転している。しばしば写真をアップする。N君はどこか旅行に行ったときも灯台があれば灯台を撮る。好きなのだ。肌に刺さった鉛筆の芯は夢の中でにゅるりと飛び出し、肌の上に立つ。わたしの腿、N君の頬、それぞれ芯は灯台になって光を投げる。

 本牧にも灯台がある。防波堤灯台というちいさなもので港の入り口にある。船が入ってくるときの目印で、右が赤、左が白、入り口はここですと招く。どこの港にも置かれている双子だ。N君のつぶやきにより知った。鉛筆の芯は黒鉛と粘土をこねたもので、これは自分で調べた。鉛筆の芯は弾丸に似ているか? バクダンか?

 N君、横浜にはヨットの形をしたホテルがあって、やはりまっしろでおおきなホテルです。波のホテルと似てるかもしれない。ヨットのホテルに灯台はないけど、祖父の古着屋はLighthouseという名で、灯台という意味です。


 ニコちゃんは、お昼前に店に来たらしい。シャッターを開ける音がした。顔を見たかったがわたしはインフルエンザだからだめだった。ねどこから想像した。ニコちゃんも髪をめくったなかみがピンクだったら。熱が下がったばかりのぼんやりしたあたま、ふとんのなかではいろいろな想像が可能だった。腿の芯がむずがゆい気がした。肌をやぶって突き出しそうだ。ふくらんだ母の腹にピンク色の弟がねむっている。石油ストーブは赤く燃えていた。

「じいちゃん、ニコちゃんのうちにいるんだって」

 祖母がぼやいた。ニコちゃんが白状したらしい。

「しばらく帰ってこないつもりらしいよ。困った人だね」

 家を飛び出した祖父はなにをしているのだろう。釣りか? 朝早くあるいは夕方、祖父はしばしば本牧ふ頭の海釣り施設へ出かける。D突堤から突き出た桟橋は床が鉄製の網目で、足元が透けてこわかった。

「ニコちゃんってどんな人?」

 祖母は小さく首をかしげ、笑った。

「ちょっとでぶ」

 それならニコちゃんはN君ではない。写真にうつるN君の手とか靴とかピンクのあたまの感じは、なんとなくひょろっとした男の人だと思うので。

「家はけっこう金持ちだけどね、神戸の震災で商売がいっこだめになって……」

 わたしが生まれる前の話だった。それもまた知らない痛みだろう。

 次の日もニコちゃんが来たようだった。祖父はまだ帰ってこず、祖母は愚痴を言うたびわたしにりんごをむいてくれるので、わたしは山ほど食べた。そうして、いまわたしが寝ている部屋はときどきニコちゃんが使っている部屋だということがわかった。

「よく泊まりに来るよ」

 ブラブラしていてなにをやっているのかよくわからない、ぼんくら、ごろつき、ちんぴら……祖父はニコちゃんをからかうという。つまりとても親しいのだろう。

「夏はプール行って店手伝ってくれてまた夜プール行って……」

 プールというのは元町公園のプールのことで、通称元プー。祖父のうちからは急坂だ。ニコちゃんは自転車でえっちらおっちらのぼっていくのだという。元プーはただの五十メートルプールだが、安くて空いているから気にいっているのだろうと祖母は言った。夏のあいだは夜間営業もしていて毎晩のように泳ぎに行っていると。泳いでいても太っている、泳がなかったらきっともっと太いと祖母は言った。

「この部屋をたいそくじょって呼んでる」

「たいそくじょ?」

「なんだろうね?」

 祖母は首をかしげ、やはり笑った。

 わたしはともかく夜のプールについて想像した。夏は遠い。想像は夢の中の景色と似ていた。元町公園は緑が濃く、夜の木々はざわざわ揺れ、プールの水色を隠している。明かりに照らされたプールの水面がきんいろに揺れ、ゼリーみたいだ。突堤の波とはちがう。ふとった体が水面をやぶり、悠々泳ぐ。さかなもキリンもいない水だ。

 トイレに行ったとき、店をちらっと覗いた。色とりどりの服たちの向こうにまるい背があった。ニコちゃんはたしかにふとって見えた。ダウンジャケットを着ているせいかもしれない。柄物でとても奇抜だ。N君も着そうな服だと思った。ニコちゃんはいすにすわってじっとしている。たぶんスマホでゲームか何かしている、肩がちょっと動いているから。わたしが見ているのに気づかない。わたしはパジャマの上から腿をなでた。布の下にほくろと芯がある。わざと足音をたててみたり鼻をすすってみたりしたがニコちゃんは振り向かなかった。

 部屋に戻ってN君のツイッターをチェックした。『バイトがヒマすぎてねむい』。N君とニコちゃんはべつのひとだけど同じひとでもあった。

 きょうのN君はたくさんつぶやいていた。好きなまんがとか食べたものとかガチャの結果とかいろいろ。

『終わったら退息所で寝るぞ』

 たいそくじょ? 腿でほくろと芯が目をまるくする。

 そうしてさらにツイートをさかのぼり驚いた。N君はきのう芯を除去したらしい。明日抜くとか今から手術するとか宣言はなく、きのう抜いてきたんだよねとつぶやいていた。

『ぜんぜん痛くなかったよ。手術、あっというまだった』『抜いたら抜いたでさみしいな。ほくろくんとは長いつきあいだったから』『似顔絵とか描いてもらうと、ぜったいおれの頬には涙ぼくろがあった。なくなるとおれの顔じゃないみたいだ』

 いまはガーゼが貼られているという。写真はなかった。


 わたしはバスに揺られている。いちばん後ろの座席に座っている。ひとつ前の列に男の人がいる。振り向かないがN君だとわかった。

 本牧には駅がないためバスがたくさん走っている。乗客はわたしたちだけだが重そうに揺れている。窓が結露している。外はとても寒い。早朝だ。窓の外はまだ暗く、どこへ向かっているのかわからなかった。バスは水色のくぼみを通りすぎ、冬だから水の枯れたプールだと思った。N君はガラスを指でなぞった。なだらかな山をえがき、きっと灯台のあるホテルだ。

 N君が言った。声がきこえたわけではない。ツイッターのつぶやきみたいにことばが流れてきた。

「もともとあの灯台は飾りみたいなもので、オリエンタルホテルっていうホテルにつくられたんだ。港町らしいシンボルとして、屋上にね。昭和三十九年。翌年、ベトナムでは北爆が始まった」

 ほくばくってなに? わたしの口はマスクで覆われているのでこころのなかでたずねる。リプライをとばす。

「アメリカがやった爆撃のこと。きみのおじいちゃんのほうがくわしいんじゃないかな。なにしろ五十万人の兵隊がぶちこまれた。横浜は野戦病院だったんだから」

 バスは埠頭を走っていた。わたしも結露をぬぐった。東の空は明るくなり始め、白っぽくけぶり、海との境があいまいだ。巨大なコンテナ船が接岸している。青とか緑とかピンクとか色とりどりのコンテナだ。あのなかに祖父の店で扱う服もあるだろうか。N君はうちの祖父を知っているらしい。黙ってわたしのこころのなかのつぶやきをのぞいていたのかもしれない。わたしが祖父からきいた、うそだかほんとうだかわからない話も。不良少年の祖父の頬を灯台の明かりが照らす。

 N君のひざのうえには白い花束がのせられていた。バスが揺れたので花びらがちらっと見えた。菊に見えた。

「海に流すの?」

 わたしは声に出してたずねていた。アメリカ兵が棺を海に流したという話を思い出したから。マスクの中の声だがちゃんと音になった。N君は振り向かずに答えた。

「毎年そうしてるんだ。きょうはおれの誕生日でもあるんだけどさ」

 ぬれた窓ガラスにN君の頬がぼんやり映った。表情はわからなかったが、白いガーゼが見えた気がした。花と同じ白だ。N君はもうほくろの話はしないだろうか。芯はN君の体の中から去り、おそれも関心もなくなるだろうか。

「おれがまだ小さいころだよ、あんまりおぼえてないんだ。家からちょっと離れていたからかもしれないけどね。いろいろなものが壊れたし崩れてしまった。あるいは燃えた。うまく言えないよ。オリエンタルホテルも全壊した。いまある白い波のホテルは、建設途中だったけど倒れなかったらしい。だから灯台だけ移されたんだ」

 N君は頬のガーゼをこすった。うしろすがたでもわかった。そこに鉛筆の芯があったことをかれは忘れないだろうと思った。ふだん口に出さなくなっても。

 やがてバスは海釣り施設の桟橋へ着いた。とても寒くて耳が痛んだ。陽はまだのぼりきらず、あたりは水色にぼやけていた。N君はずんずん歩いて行ってしまう。網目の桟橋はぐらぐら揺れた。潮のにおいが濃く、マスクをしていてもわかった。N君が言う。

「ホテルの灯台は街や港を見守っているみたいだ。だから子どものころ、灯台守になりたいなって思った。でもいまはぜんぶ自動なんだってね、灯台守なんて仕事はないらしい。むかし灯台守が寝泊まりした部屋のことを退息所っていったんだ」

 なるほど。Lighthouseにくっついた二階の部屋だから、ニコちゃんは退息所と言っていたのか。N君が退息所で寝るというのはどういうことだろう。

「おれ、ホテルでバイトしてるんだ。べつのとこ、髪がピンクでも大丈夫なとこ。わかるかな? ちょっとやらしいとこだね。シフトとシフトのあいだは空き部屋で仮眠してもいいことになってて、ホテルって誰かしらが起きて仕事してるだろ、灯台守みたいに明かりの番をしているみたいだ。だから退息所って呼んでる」

 明かりを振り回す塔が、英語にするとhouseになるのは面白いなといまさら思った。「やらしいとこ」をN君はとくに恥ずかしがらなかった。男だからか、おとなだからか。

 そうして桟橋の先端、太った男が釣り糸を垂らしていた。ニコちゃんだ。腹がまるく膨れている。N君がニコちゃんに話しかけた。

「その上着いいね」

「この子んちの古着屋で買ったやつだよ」

 ニコちゃんが振り向いた。はじめてニコちゃんの声をきいた気がした。

「ダンボール箱にたくさん服が放り込んであるから、digった」

 店の奥ではかたちも色も素材も、さまざまな服が積み重ねられている。においや記憶も層になっているのだと思った。死んでしまったひとたちも? 想像すればいろいろなことがわかる気がした。

 風はますます強くなり寒かった。耳元でぼうぼう唸った。N君の髪がめくれ、ピンク色が覗いた。ニコちゃんが言った。

「おれもあたまをピンクに染めたいな」

「プールで色落ちするぜ」

「ピンクの髪用のシャンプーを使えば長持ちするらしいよ」

「そうなんだ。なんで教えてくれないんだよ」

 N君は笑い、ニコちゃんの腹をつついた。ニコちゃんもくすくす笑った。

 ああそうか、祖父はニコちゃんのおなかに隠れている。わたしと祖父がリリースした稚魚がおおきくなり、年月を経て、祖父を産もうとしている。そうしてN君とニコちゃんの顔は白いけむりのようにぼやけており、わたしにはかれらの顔がよく見えていないことに気づいた。船のけむりでありやかんの湯気だ。花と同じ白だ。

 N君が花を海に流した。波はゆらゆら揺れるばかりで、花はしばらくそこにとどまっていた。埠頭の先端に赤と白のちいさな灯台があるけれど、ここからは見えない。小さいし遠いから。巨大なキリンのクレーンは朝もやのなかに立っている。かれらの位置からなら見えそうだ。N君は目をつぶった。見えないけどわかった。

 わたしはN君のつぶやきを追いつづけるだろうと思った。N君が灯台を好きなことや、ガチャの結果や、蛍光イエローのスニーカーを気に入っていることや、誕生日を、わたしはよおく知っているから。


 目がさめた。ストーブが燃えていた。部屋はあたたかく、こわばっていた体がやっと慣れつつあった。

 水を飲みに台所へおりたら祖父が帰ってきていた。おはようと言って、なにやらさかなのうろこをとっていた。祖母へごめんなさいのつもりだろうか。生まれたての祖父だと思った。テレビでは朝のニュースが流れていて、おおぜいのひとたちが黙祷していた。

「ニコのやつが風呂をよごしたって?」

「知らない」

「髪を染めるとかなんとか、あいつんちの風呂はぼろいからうちでやったみたいで……」

 床にピンクのしみがついちまったと祖父は言った。

 祖父が帰ってきたのでニコちゃんはその日来なかった。だからピンク色になったニコちゃんとは会えなかった。

 すっかり熱が下がり、咳やくしゃみも出ないので、家に帰ることになった。母が迎えに来てくれた。ストーブのやかんで茶をいれ、母と祖母と三人でしゃべった。

 ストーブはニコちゃんが持ってきてくれたものなのだと祖母が言った。石油ストーブは電気を使わないから停電したときでも使える、こういうのが一台あったほうがいいと、ニコちゃんが教えてくれたという。でも火事には気をつけて、ほんとうに気をつけてと、念押したそうだ。ほのおの赤色の中にはオレンジ色も黄色もきんいろもあり、ピンク色だってあった。

 

 長い長い年月が経ち、といってもわたしの体感だ。弟は最近わがままが多くて母は手を焼いているが、とてもかわいい。こんど祖父が釣りに連れて行きたいそうだ。桟橋の下ではピンク色のこどもたちがめいめい波を泳いでいて、流した花たちもいっしょだろう。わたしは想像する。目をつぶれば見えると思う。腿の目が見る。

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退息所 オカワダアキナ @Okwdznr

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