捧げる臓器

秋栗有無

第1話

 1



『速報 十人連続殺人事件。犯人捕まる』


 土曜のサスペンスドラマを眺めているとピロリと上部に表示された。こたつに身を寄せて、南篤みなみあつしは目を見開いた。


「へぇ、逮捕されたんだ」


 こたつを一緒に囲んでいる娘の咲奈さながみかんを剝きながら言う。それを一つ口の中に入れた。


「やっとか。だいぶ時間かかったな」


 リモコンを取って適当にチャンネルを変える。こんな大ニュースを取り扱わないところはないだろう。案の定、どこのワイドショーもこの話題で持ち切りだった。女性アナウンサーが淡々と、しかしどこか興奮した様子で話している。


『昨日、足立区の交番にて自首した模様です』


「自首だって」


「ビックリだな」


「ね。言わなくちゃ逃げれたのかもしれないのにね」


「そうだな」


 連日のニュースを見る限り、捜査はかなり難航していたように見える。事実、十人も殺されているんだから、きっとそうだろう。世間に目撃があったら教えてくれるよう、電話番号と共に掲載されていたモンタージュ写真と実際の顔とでは、似ても似つかなかった。


「写真と全然似てなくない?」


「こんなんじゃ誰も分かんないだろうにな」


 森本吉良。二十八歳。容疑者の名前と年齢が映し出され、それを復唱するようにアナウンサーも続けた。


「あれで吉良きらって読むんだ。珍しいね」


 娘がもう一つみかんを口に運ぶ。


『ここで中継がつながっています。松島さん』


『はい。ただいま、足立区の森本容疑者が通っていたと思われる、高校の前に来ております』


 マイクを片手に持ち上げ。短髪の若い男性が眉をひそめて言う。後ろには校舎、手前の校門横には学校名が書かれたプレートが映っていた。


「おいおい、いくらなんでも早すぎだろ」


「なにが?」


「何で、今さっき犯人が逮捕されたって言ってんのに、学校にいるんだ?」


 娘は首を傾げたまま唸り声をあげたまま固まった。恐らく、何を言っても分かってくれなさそうなのでテレビに向き直した。

 場面が切り替わり、白いダウンを着ている誰かの上半身を画面、真ん中を映した。体型を見るに女性ということが分かる。


『森本容疑者の高校時代の同級生でお間違いないですか?』


『はい』


『まさか、ここで運よく会えるなんて』


 去年、娘にそそのかされて買ったサウンドバーから、興奮気味な短髪男の声が聞こえた。


『たまたま通りかかったもので......』


 嘘つけ。野次馬に決まってる――胸の中で突っ込んだ。


『早速ですが、森本容疑者の学生時代をお聞かせください』


『とても静かな人で、何を考えているかよく分かりませんでした』


『彼に友人がいたりとかは?』


『ないと思います。男子と話してるところなんて見たことないです。なんなら、授業で指されたら答えるくらいで、他に森本君の声を聞いたことは、ほとんどありません。けどまさか、あんな風に酷い事をするんなんて』


『そうですね。容疑者に彼女とかは?』


『いないと思います。あっ』


『どうしました!? 何か思い当たる節が!?』


 興奮した男の声がサウンドバーのせいでドンと大きくなった。


『い、いえ。関係ないことなんですが。さっきテレビで見た、森本君の目、綺麗になってるって思いまして』


『目が綺麗?』


『はい。高校の時、右目が白かったんです』


『あの、ちょっとよく分からないのですが......。なぜ白いんです?』


『私も分からないでけど。白く濁っていたんです』


「どういうこと?」


 娘がきょとんとした表情でこちらを見る。さっきのみかんを食べ終え、また新しいみかんを剥いていた。


「さぁ」


 すると、玄関の方から。ドアが開く音が聞こえた。閉まった音と重なるように「ただいま」が耳に入る。


「あ、お母さんおかえりー!」


 娘が答えるように叫ぶと、エコバッグを両手にぶら下げた妻がリビングに入ってきた。


「おかえり」


「あら、犯人逮捕されたの?」


「あぁ」


「捕まってくれてよかったわねぇ」


 女房は深く何度も頷いた。ぱたぱたとスリッパを鳴らせてキッチンにエコバッグを置いた。


「十人も殺したら死刑になるでしょ?」


 背中を向けて夕飯を作り出している。蛇口から水の出る音が耳に入る。


「よっぽどの事がなければな」


「あなたがやるの?」


「分からん。前日にでもならないと」


「そう。皆、南さんは大変ねって言ってるわよ」


「ママ友ってやつらにか?」


「そうよ」


 へぇ、と娘の剥いたみかんを一つ食べる。横で喚いている彼女を無視して切り替わった次のニュースを眺めた。



 2



 一日の始まるでもある朝礼は大抵、叱責から始まる。最初の殺害から半年が経つ。それが九件にまで増えた。マスコミから散々煽られ、上層部は躍起になっている。

 前田友則まえだとものりは大会議室の後ろから二番目、廊下側から一番目のパイプ椅子がポジションになっていた。

 一番前の席からスチールデスクを挟み、向か合うようにその上層部が鎮座している。


「昨日の報告も、何もないか?」


 長嶋がテーブルに手をついていう。しかし、皆、目をそらすか、首を横に振るばかりで誰も手を上げる者はいなかった。


「世間が警察おれらの事なんて言っているか分かるか!? 国家の犬だぞ! 国家の犬! 最近はあまり言われなくなったが、この事件のせいでまた言われ始めたんだぞ!」


 つばをまき散らしながら指を突き出し、前へ後ろへ振っている。前に座ってる連中は、朝礼が終わったら飛びついたつばをハンカチで拭いているに違いない。

 すると、勢いよくドアが開き大塚が肩を揺らして入ってきた。息もほどほどにして叫ぶ。


「大変です! 十人目が出ました!」


 途端、静かだった室内がどよめいた。


「おいおいおい」


 鎮座している男たちは揃って顔に手を当て天を仰ぐ。


「いい加減にしてくれ! 十人なんて前代未聞だぞ!」


 ばん、と長嶋はテーブルを叩きつけた。


「その、マル害は同一犯で間違いないのか?」


「恐らく。検死はこれからですので詳しいことはまだですが腹部に穴が」


「またと」


 はい、と大塚は頷く。


「そして、現場周辺からはちくわの袋が落ちていました」


 それを聞いた長嶋は大きく長い溜息を吐いた。


「検死でなにか分かり次第、すぐに報告しろ」


「了解」


 大塚は会議室を後にする。


「何かあるやつはいないか?」


 再び長嶋が問うも、さっきと反応は同じだった。


「ないならこれで終わりにする」


 叱責しきった長嶋は疲れた様子で締める。これもいつもの事である。ただ、今日の十回目のマル害報告は、見越していなかったが。

 前田は一番に会議室を出た。あの場所に留まっていては嫌味や面倒な絡みをされる。最初に出て、今日、何するか頭の中で整理をしながら警視庁の入り口まで歩く。そして、遅れてくる彼女を待つ。


「すみません。お待たせしました」


 坂田雪さかたゆきが小走りで前田に駆け寄った。髪をきつく結び、分厚いレンズの眼鏡をかけいる。彼女と組んで日に日に、目の下にクマが強く浮き上がっていくのが分かった。


「おう。じゃあ行くか」


 適当にタクシーを拾って現場へ向かう。車内はしんとしていてロードノイズだけが響く。すれ違う車、歩行者、もしかした犯人は既に自分とすれ違っているのかもしれないと、時折、思うことがある。


「ついに十人目ですね」


 坂田がため息まじりに言う。


「そうだな」


容疑者ホシがついてる人はなし。分かっているのは内臓がなくなっていることと――」


「俺らが見つけた近くにちくわの袋が落ちている事くらい、か」


 死体の腹部を中心に内臓が飛び出ていて、毎度、現場は騒然となっている。検死の結果、分かっているのは一人に対して一つの臓器、そして眼球が無くなっている事が分かった。心臓、肺、小腸、肝臓、肺、すい臓、左目、肺、肝臓、の順で警察の前から姿を消している。

 恐らく犯人が持ち去っているだろうと判断して捜査を進めている。そして現場の五十メートル圏内に「チクワのちくわ」と印字された、袋が決まって落ちている事くらだ


「はい。それに、マル害同士の関連性もないです」


 だいたいは、容疑者の近辺で起こる。遠くても隣県なのだが、今回の事件は、北は青森、南は熊本と全国規模で犯行が起きているため、尚のこと捜査に難航していた。




 現場に到着し、運転手から領収書をもらって降りる。


「さて、どうしたものか」


 前田と坂田は捜査の末端にいる。初めは聞き込みも自由が利いてあちこち回れたのだが、事件が大きくなるにつれ、捜査本部も置かれ、隅においやられた。今は三人目の現場周辺でしか聞き込むことを許可されていない。


「この辺の人たちは大体聞きまわったぞ」


「ですね......」


 あんな悲惨な現場だったのも、今は綺麗に元にもどっている。


「雪?」


 坂田が空を見上げた。つられて前田も見る。ぽつ、ぽつと雪が降り始めた。


「もう冬か。おでんでも食いたいな」


「あぁ、いいですね。何が好きです?」


「そうだなぁ」


 前田は顎をこする。


「大根だな」


「いいですね。私も好きです。出汁が染みた大根、最高ですよね」


 あぁ、と前田は深く頷いた。想像するだけでよだれが出てくる。


「けど、一番好きなのはちくわですね。皆から珍しがられるんですけど」


「なかなか通なところに行くなぁ。たまごとか好きそうな感じするわ」


「そうですか?」


「あぁ、ちくわが好きなやつ初めて見たよ」


 ちくわ、ちくわ、前田はボソボソと復唱する。


「ちくわ......そろそろ聞き込みするか」


「そうですね......」


 互いに白い息を深く吐いて近隣の人を探した。




 3



 「今日も何もなし、か」


 予想はしていたが、やはり手掛かりなしは気が滅入る。毎日のようにうろついているもんだから、近隣の住民とは顔なじみになっている。

 最近は電車に乗って警視庁に帰ることにしている。手ぶらで帰って、持ってくるのは領収書だけ、というのが日が経つにつれて、その紙切れが重くなっていく気がした。少しでも減らそうと、行きの領収書だけにしようと坂田と決めた。

 ギリギリ、帰宅ラッシュ前なので何とか席に座れた。


「嫌になりますね。こうも毎日ですと」


 坂田がため息をついた。


「まぁな」


 雑多に溢れてるビルの合間を縫うように走る。向かいの車窓をぼんやりと眺めた。


「あ、今回の検死の結果。送られてますよ」


「まじか。どれ」


 スマホを取り出し、IDとパスワードを打つ。最近、導入されたものですぐに捜査員に共有できるので皆から好評だ。しかし、ここ最近は情報が更新されることはなかったが。


「今度も肝臓か」


「見たいですね」


「なぁ。なんで犯人は、臓器を持っていくんだろうな」


「さあ」


 ビルの広告に総合病院の看板が目に入った。


「なんで犯人は、色んな臓器を持っていくんだろうな」


「まぁ......適当に選んでるとか?」


「こだわりがないなら、取りやすい所を持っていくだろ。詳しくねえけど、心臓なんか大変だろ。適当に選ぶにしては無理があるんじゃないのか?」


「そんなこと言われても私には分かりませんよ」


「そうだよなぁ」


 また広告に病院の看板が見えた。今度は大学病院だ。今日はやけに目に入るな。

 すると頭の中に電気が走るのを感じた。そうか。そういうことか。


「あっ」


「どうしました?」


 坂田がいぶかし気な表情で見る。


「分かったかも」


「え?」


「臓器提供だよ」


 前田はスマホを出し検索する。『臓器提供 部位』と打って上からサイトを覗いていく。


「やっぱり」


「だから、どういうことです?」


 彼女は眉を寄せた。


「見てみろ。移植可能な臓器」


 坂田に臓器提供のサイトを表示させたスマホを渡す。両手に持って時折下から上に指を動かす。


「本当だ。確かに当てはまってます。でも、たまたまでは?」


「さっきも言ったが、たまたまなら故意に心臓なんか持ってかねぇだろ。骨で守られるし、でっかい血管を何本も切らなきゃならない。こだわりがないなら、胃でもいいはずだ」


「そう言われると確かに......」


 坂田からスマホを取り上げ、再びサイトに目を向ける。何かが足りない。何かが。


「今は十人。つまり十個の臓器を持ち去ったわけだ」


 文章を読みなおす。最大、十一箇所移植可能と書かれてあった。


「もし、犯人が全部を集めているとしたら、あと一人、殺される」


「殺すとして、どこを奪っていくんでしょう?」


「携帯、貸してくれ。あぁ、捜査のサイト開いてな」


 坂田からスマホを受け取り、自分のスマホ見比べる。

 心臓、肺、小腸、肝臓、肺、すい臓、左目、肺、肝臓、そして新たにもう一つ肝臓が加わる。前田のサイトにあって、坂田のサイトにないのは。


「右目だ」


 背筋に汗が滲むのを感じた。


「前田さん」


「なんだ?」


「すごく言いにくいんですが」


「言ってみろ」


「それが分かったところで、解決には進まなかと」


「どうしてそう思う?」


「臓器提供の部位を集めているのは分かりました。そして、次に狙われるのは右目です。それも分かりました。しかし、全国に何人右目の移植を受けた人がいるか、ご存じです?」


 前田の頭が一瞬ぐらつく。やっと掴みかけた蜘蛛の糸をプツンと切られたみたいだ。


「私もそこら辺の事は分かりませんが、全国規模で殺人が行われて、右目の移植者全員を守るのは無理です。ましてや特定するのだって――」


「分からないだろ」


「分かります」


 坂田はキッパリといった。


「次の犯行に行う間隔と、移植者の特定の時間どっちが早いと思います?」


 半年間で十人の殺害、平均して約十八日に一人殺される計算だ。


「全国で約十二万人が登録しているんですよ。それを十八日間で――」


「分かった。もういい。やめてくれ」


 どんどん突き落とされる感覚が耐え切れなくなった。胸がキュッと締め付けられる。


「忘れてくれ」


「はい。皆には言わないでおきましょう。二人だけの『秘密』です」




 4




 それは突然の事だった。

 久々の休みで布団にくるまって寝ていると、スマホが鳴った。画面に坂田雪と表示される。あれから彼女が怖く見えてしまう。レンズの奥に潜める瞳が真っ黒に見える時があった。

 前田は恐る恐る左から右へスワイプした。


「もしもし」


 寝起きと思われないように声を張った。


「大変です!」


「どうしたそんな慌てて。なんか手掛かりでも分かったのか?」


「手掛かりなんてもんじゃありません! 犯人が自首してきたんですよ!」


「なに!?」


 前田は布団から飛び上がった。


「今、綾瀬警察署で取り調べ中みたいですので早く来てください!」


「あぁ、分かった! すぐ行く」


 乱暴に電話を切って、くたくたになったスーツを着て玄関へ走る。


「あれ、あなた。今日休みなんじゃ――」


「悪い! 仕事!」


 ソールがすり減り、ここ最近磨いていないせいで、ヒビだらけになった革靴を履いて、勢いよくドアを開け飛び出す。


 タクシーを拾い上げて運転手に綾瀬警察署に行くようお願いする。

 車の中では何をすることもできない。力を抜いて背もたれに体を預ける。スマホでニュースになっているのか確認する。

 大手サイトを一通り見たが記事になっていない。まだメディアには公表していないようだ。

 よく考えてみると、同じ警察とは言え、管轄外の人間を警察署内に入れてくれないだろう。しかし、坂田の口ぶり的に許可されていそうな気がする。

 しばらくすると足立区に入った。そこから少しの間走ると目的の綾瀬警察署が見えてきた。

 財布を取り出し会計を済ませる。地味に出費が痛かったが、タクシーを降りた瞬間、その気持ちがすっぽりと抜け落ちていた。

 自主してきたという情報を聞いて、入り口に少しの人だかりが出来ている。警察署を守るように男が一人、追い払ってるのが見える。

 前田はスマホを取り出し坂田に電話をかける。三コール以内に彼女は出た。


「もしもし、着いたんだけど、どこにいる?」


「中にいます。入り口にいる人に、捜査班と名前を言ったら通してもらえました」


「分かった。すぐ行く」


 電話を切ってスマホをポケットにしまう。そのまま、男に近付いた。


「警視庁、連続殺人事件捜査本部、第一班、主任の前田です」


 自分よりも年上のその男はジロリと前田を見た。


「あぁ。あんたが。来たら中へ入れるように言われてるんだ」


 男は顎で中を指した。


「ありがとうございます」


 一礼して自動ドアをくぐる。暖房が効いていてホッと息をつく。ロビーに坂田が座っていることはすぐに分かった。手をあげて隣に座る。


「ビックリしたよ。まさか自首してくるなんてな」


「今、取り調べを受けている所みたいです。本当はダメなんでしょうけど、居ても立っても居られなくて来ちゃいました」


「よく入れたな」


「ちょっとびっくりですね」


 この事件に関わってる人はどのくらいいるんだろうか。おそらく数百人はいるだろう。末端の人間なのに不思議だと思うも、これ以上、考えても仕方ないので運が良かったと思う事にした。

 しばらくすると、奥から人がぞろぞろと出てきた。休憩にでも入ったのだろうか。


「あれ」


 前田が呟く。


「どうしたんです?」


「いや」


 集団に目を凝らすと一人がこちらに近づいてきた。


「前田じゃねえか。久しぶりだな」


 髪を立ち上げた初老の男が隣に座った。


「やっぱり竹中か。似てると思ったんだ。こっちに移ったのか」


「まぁ、色々あってな」


 竹中はそう言って頬をかいた。右できょとんとしている坂田に前田が気付く。


「あぁ、紹介するよ。こいつは昔、同じ警視庁の同期だった竹中だ」


「よろしく」


「初めまして。坂田雪と申します」


 坂田は深くお辞儀をした。彼女に頷いて前田に顔を向ける。


「それで、なんでお前がここに?」


「自首したって坂田から電話がきてな。まぁ、野次馬みたいなもんだ」


「よく入れたな」


「俺もそう思う。捜査班と名前を言ったら入れてくれたよ」


「へぇ、何でだろうな。つか、お前も捜査に関わってたんか」


「一応な」


「そうか」


 竹中は黙り込んだ。少しすると再び口を開いた。


「今日、俺んち来いよ」


「急に何だ?」


「いいから。終わったら連絡する」


「今が一番忙しいだろ。夜中に連絡くれても行けねぇぞ」


「安心しろ。夕方には夜勤のやつらと入れ替わるから遅くはならん」


「ならいいが......」


「決まり。じゃあまた後で。あ、それと、これ以上、ここにいても、何も収穫になるもんはねえぞ。とっとと帰った方がいい」


 じゃあな、彼は手を上げて奥へ消えていった。


「賑やかな人ですね」


 坂田が控えな声で言う。


「まぁな」


 前田は立ち上がり体を伸ばす。


「あいつの言う通り、これ以上いても何もならんだろ。帰って休んだ方がいい。久しぶりの休みなんだから余計にな」


「はい。そうですね」


 坂田も立ち上がって体を伸ばす。外へ出ると冬の冷たさが体を包んだ。




 4




 日が沈み、前田は竹中の自宅マンションにいた。ちょっとした手土産を片手に持っていって行っただが、何倍ものお返しで、彼の妻がご馳走を振る舞ってくれた。こっちも、もう少し高いものにすれば良かった後悔する。

 昔話と互いの近況をほどほどにする竹中は話を切り出す。


「あのさ、前田」


「どうした、急に改まって」


「お前に見てほしい物がある」


 彼は立ち上がって鞄に手をかけ、一つのクリアファイルを渡す。怪訝な顔をして前田は受け取った。


「なんだこれ?」


「開けてみろ」


 恐る恐るひらいてみる。『森本吉良容疑者 取り調べ 議事録』と書かれている右端には持出厳禁の白黒のハンコが大きく押されていた


「これって」


 前田は頷いた。


「今日の取り調べのやつだ。見たかっただろ?」


「馬鹿野郎! バレたらどうすんだ」


 竹中はおちょこに入っている日本酒をグッと飲む。


「安心しろ。コピーしてきたやつだ。見つからないように刷るの、大変だったんだぞ」


「そういうことじゃないだろ」


「お前が言わなくちゃ大丈夫だよ」


「でも──」


「俺、刑事辞めるんだ」


「は?」


「やっとあいつが生まれたんだ」


 あいつとは息子の太陽の事だ。さっきまで元気に遊んでいたが、時間もあって寝かしつけられに寝室へ行ってしまった。


「この仕事だと中々、家に帰れないだろ。いつ呼び出されるか分からんし、もっと家族に時間をあてたいんだよ」


「そしたら交番に回して貰えないのか? 時間もきっちりしてるだろ」


 前田は肘をテーブルに置いた。それに対して竹中は手を頭の後ろに当てて仰け反る。


「まだ少し迷ってるけど、多分辞める」


 言葉に詰まっていると、竹中は続けた。


「聞いたよ。あの事件、最初に担当したのお前と坂田なんだってな。だから見てくれよ、それ。読み終わったら処分するから。その代わり、絶対誰にもいうなよ? 坂田にもだ」


「そこまで言うなら......分かった」


 意を決して議事録を読む。そこには次のように書かれていた。


 "以下を森本吉良を森、澤村警部補を澤と略する。


 澤『身分を提示できるものはある? どれどれ......森本吉良。二八歳。住所は......この辺なんだ』


 森『はい』


 澤『早速なんだけど、十人殺したのは君がやったんだね?』


 森『はい』


 澤『なんでやったの?』


 森『返してほしくて』


 澤『何を?』


 森『体、あの人のたちのものじゃない』


 澤『もっと詳しく聞かせて』


 森『そのままの意味だよ。刑事さん、自分の体って自分のでしょ?』


 澤『え? あぁ......まぁ......そうだね』


 森『けど、あの人たちは違う。僕の大切な人の体を奪っていったんだ』


 澤『分かった。次の質問にいこう。君は一人でやったの? それとも他に誰かいた?』


 森『すーちゃんがいたよ』


 澤『そいつは誰なんだ?』


 森『誰って......僕の友達だよ。優しいけど怒らせると怖いんだ』


 澤『その人は今どこにいる?』


 森『わかんない。一方的に僕に囁いてくるんだ。きらりん、見つけたよって』


 澤『なるほど。で、そのすーちゃんって人と二人でやったのか?』


 森『ううん、僕一人。彼女はずっと後ろで見てたよ。僕とすーちゃんだけの”秘密”』


 澤『そうかい』”


 そのあとの会話には特にこれといった事は書かれてなかった。そして、考察の部分にはつづられていた。


 ”取り調べの結果、恐らく精神に何らかの問題があり、精神鑑定が必要。すーちゃんという人物はイマジナリーフレンドの可能性”




 5




 テレビ越しの彼とは違って、実物は蝋人形のように顔が白く、目がうつろだった。

 教誨きょうかい室に座る森本は小さく縮こまっていた。

 まさか自分がボタンを押すなんて――きっと女房にいったらママ友に「南さんすごい!」なんて言われるのだろうか。


「もう時間になりますが、最後に言い残すことはありますか?」


 教誨師が尋ねる。森本はしばらく考え口を開けた。


「嬉しいです。やっと真由美のところに行ける」


「恋人かなにか?」


「えぇ。三年前に病気で。あぁ、やっと会える。そしてやっと返せる」


「返す?」


 教誨師が聞き返す。他の刑務官たちは相手にせず、ただ突っ立ってるだけで興味はなさそうだ。


「この目ですよ。真由美に借りっぱなしだったから」


 そう言って、森本は自分の右目を指さした。


「そうですか。残念ですが、そろそろお時間です」


 南たちは彼の腕をつかんで前室へ連れていき、施設長が死刑執行命令を告げた。自分にも緊張が走る。何十年やってきていても未だに慣れることはない。そのまま手錠と、目隠しをさせ、流れるように執行室へ連れていく。


『観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時。照見五蘊 皆空』


 教誨師のお経がスピーカーから聞こえる。サウンドバーのせいで自分の耳が肥えている。施設の古さも相まって音が劣化しているの感じ取りながらボタンを押した。




 6



「すみません。森本容疑者のご遺体を拝見したいのですが」


 髪をきつく縛って分厚いレンズの眼鏡をかけた女性が訪ねてきた。


「ご関係は?」


「高校の時の同級生です」


「では、こちらに名前のご記入をお願いします」


 南は名簿とボールペンを差し出す。書き終えるのを確認し、拘置所に案内する。

 遺体が傷まないようにと名を打って暖房はつけていない。冷たさが彼らを包んだ。

 コツ、コツ、コツ。

 ヒールの音が後ろで鳴っている。無機質な壁に反射してこだまする。

 コツ、コツ、コツ。

 彼の遺体の安置部屋についた。重い扉を開け、彼女に入るよう促す。


「私はこちらで待っているので、そうぞ」


「ありがとうございます」


 彼女は中へ入りしばらくジッと彼を見つめていた。自分の鼓動があの眼鏡の女性にまで聞こえてしまうのでないかと思うほどに静まり返っている。

 すると彼女が口を開いた。自分が経験したどの声よりも鮮明にはっきりと聞こえた。













「バイバイ、きらりん」


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