第5話 お狐様の言う通り

 男性は走り疲れてしまった。

 ふと顔を上げ、気が付くと見覚えのある場所に戻っていた。

 そうだ。ここは俺が糞上司をやった所だ。


「なんだよ。俺に懺悔しろってことか? 本当に懺悔するのはアンタの方だろ」


 男性は悪態をつき続ける。

 考えれば考えるほど腹が立ち、煮えくり返りそうだった。

 打ち付ける雨にも嫌気がさし、ジッと睨み続けた。


「うぜぇ、マジでうぜぇ、とっとと帰るか」


 雨足が強くなる中を下山するのは面倒だ。

 けれどこんな忌々しいところに居ても仕方がない。

 そう思った男性が一歩を踏み出そうとすると、急に足が動かなくなった。


「あん? はっ!」


 男性が足元を見ると、何故か地面の中に埋まっていた。

 泥に絡め取られる感覚は無かった。

 にもかかわらず、足が地面の中にすっぽりと埋まっていて、いざ引き抜こうとすると、何故だが動かない。


「おいおい嘘だろ。どんな冗談だよ」


 男性は苛立ちが募って仕方なかった。

 こんなことをしている時間はない。

 無理やりにでも地面の中から足を引き抜こうとすると、急に肉が裂けそうな痛みが襲った。


「ぐうっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 男性は痛みに襲われ、苦痛な表情を浮かべた。

 あり得ない。埋まっているだけなのに、足に痛みが走るなんてことはない。

 一体何故と頭を悩ませると、足に黒い影が浮かび上がった。


「な、なんだよ。これなんだよ!」


 黒い影の形はまるで手だった。

 手が男性の足を掴み、引き裂き、グサリグサリと爪を立てる。

 それだけじゃない。皮を脱ぎ、肉が露出し、空気に触れただけで痛みに苛まれる。


「なんだよ。なんなんだよ! あの糞上司か? 糞上司のせいで、俺がこんな目に遭ってるのに怒ってんのか! バカかよ、アンタ」


 男性は変に上司のことを考えて叫んだ。

 するとその予想は当たったのか、悪態をつく度に痛みが倍増する。

 気持ち悪い。痛いだけじゃなくて、苦しくて仕方ない。


「痛い痛い痛い痛い! ま、待ってくれよ。結局お前が悪いんだろ。なんで俺だけ!」


 男性は反省する気は一切無かった。

 けれどこのままじゃ足が折られる。

 地面の中にドンドン埋まっていき、股が裂け、完全に俺のことを恨んでいた。


「た、頼むよ。俺は死にたくないんだ……俺は、俺は……」


 男性は叫んだ。心の底から命を願った。

 しかし男性の足がドンドン地面の中に埋まっていき、結局地面が股の高さまで到達する。

 冷たくて仕方なく。男性は肝が冷え切った。


「頼むよ。俺は、俺は死にたくないんだ。なんでもするから、俺を、俺のことを……」


 男性は恐怖に駆られ、意識が奪われそうだった。

 吐露した感情がうねりを見せると、全身にペタペタと黒い手の痕が残った。

 足も手も首も頭も、全部が黒い手に覆われると、耳元で声がした。


「お前も死ね」


 にたりと笑う声がした。

 男性はそれを聞いた瞬間、意識が完全に途絶えてしまい、気絶してしまった。

 まるで死んだみたいに横たわると、雨に打たれ口から泡を吐くのだった。


「コーン!」


 すると草木を掻き分け生物の足音がした。

 金色の毛を雨に打たれながらも、気絶した男性を見つける影。

 その姿は狐であり、狐の目線から見れば、男性は地面に埋まってもおらず、黒い手の痕も無く、完全に抜け殻のように崩れていた。

 雨にシトシトと打たれてしまい、男性は懺悔をするのだった。




「それでどうなったかな?」


 少女は神社の拝殿で一人呟く。

 シトシトと降り頻る雨の風情を感じていると、両手で抱きかかえている子狐に語り掛けた。


「この森で命を奪うなんてね。存外なことだよ」

「クゥーン」


 子狐も返事をしてくれた。

 少女はにこやかに笑みを浮かべると、再び雨に視線を預ける。


「今頃狐達に誑かされている頃だろうね。いい気味だよ。少しは痛みを知るべきだ」

「クゥーン?」

「なに大丈夫だよ。目が覚める頃には、きっと前より心が軽くなっているからね。自ずとやるべきことが見えてくるはずだよ」


 子狐に不安を煽られ、少女は弁明する。

 男性の今後も加味した上で、最良の手を尽くしたはずだ。

 本当はそんなことをする必要もないはずなのに。


「全く。妖怪退治に来ただけで、とんだ殺人犯に出会っちゃうなんて。私も大概だね」


 少女は妖怪を退治するためにこの森に来ていた。

 にもかかわらずこんなことに遭遇するとは思わなかった。

 けれども大概と思えてしまうのは、少女の踏んできた場数と死線がものを言う。

 だからだろうか。歪な空気が流れ出す中、少女はまとめた。


「でもまあ、私には関係無いことだけどさ」


 少女は降り頻る雨に黄昏る。

 自然と目と耳と心を奪われ、いつか晴れて虹が描かれることを願うだけだった。

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お狐様は許してくれない。 水定ゆう @mizusadayou

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