いちばん好きな場所

七雨ゆう葉

帰郷

「悪かったね、長々と付き合わせちゃって。ウチの親父、いつも話長くてさ。だから未亜みあ、ずっと張りっぱなしで疲れたでしょ」

「ううん。いえ、そんなことないわ。とても楽しかった。とおるさんに似て良いお父様じゃない。それを言うなら私こそ、ずっとご馳走になってばかりで、お父さんにもお母さんにも何だか申し訳なくて……」

「んなっ、いいよ。未亜は全然、気にしなくていいんだからさ」


 午後三時過ぎ。スケジュールの都合もあり、日が暮れる前早々に彼の実家を後にすると、私たち二人は最寄り駅へと歩を進めた。

 近々夫婦となり、その報告も含めての挨拶は無事に事なきを得、心底ホッとした様子の彼。夫となる彼の実家はのどかな片田舎で、遠巻きに聞こえる鈴虫の鳴音と深緑実る山々の風景は、どこか懐かしさも感じつつ、都会では得られない眼福そのものだった。

 聞けば彼にとって、今回が上京して以来五年ぶりの帰郷だったという。


「ねえあなた」

「折角だし。あなたの故郷、もっと見て見たい」

「え?」

「そう? でも未亜。生憎あいにくここは山と田んぼしかなくて、目新しいモノは何にも無いよ」

「そんなことないわ。のどかでいい所じゃない。だから少しだけ、散歩していきましょ」

「ま、まぁ……未亜がそう言うんなら」


 そう言って彼は承諾すると、私たちはあぜ道をれ、当時彼が良く遊んでいたという山合の道へと方向転換した。

 澄んだ空気。さざめく木々の音。広大な森林浴に身を委ね、なだらかな坂道を談笑しながら歩く。すると途中、彼が「あっ!」と感嘆を込めた声で即座に歩調を早めた。

「うわぁ、なつかしいな~」

 言いつつ、とある長階段の前で彼はピタリと足を止める。だんを超えたそのいただきには、小さな神社の屋根の一角が見えた。

「いやココね、小さい頃よく来てたんだよ。友だちと階段でグリコをして遊んだな。あとは当時飼っていた黒猫と、よく散歩ついでに来たりしてさ」

「猫? 犬じゃなくて?」

「うん。ほら、ちょうどあそこに見える電信柱。その下に段ボール箱に入った黒猫が置き去りにされててさ。その猫は足を怪我してて、凄く辛そうにしてたんだ。それで直ぐに持ち帰って、病院で手当てしてもらって。それから親父に頼み込んで、家で飼っていいってことになって」

「猫って散歩は必要ないって言うけど、ウチのその猫は外で散歩するのが好きでさ」

「ふーん、そうだったんだ」

 嬉しそうに懐古する彼。私より十歳年上であるものの、当時を懐かしみ楽しそうに話すその姿は、眩しいほどに少年味に溢れたものだった。

「でも、それからしばらくして。確か小四の時だったっけか。ミャアコって言う名前だったんだけど……ミャアコが病気にかかっちゃって。しかもそれが治療の難しい難病でさ。それで飼ったはいいものの、一年ちょっとですぐにお別れしちゃったんだ」

「そう……なんだ」

「でも良かったんじゃない? その、ミャアコにとっては、あなたに拾ってもらって」

「まあ、そうだと良いんだけどね。じつはそれもあって、獣医を志すようにもなったんだ。現代では医療もグッと進歩して、今だったらミャアコの病も治せたんだけど……」

「そう……。でもすごいわ、通さん。小さい頃の夢を、こうしてちゃんと実現させているだなんて」

「あ、あぁ……。そうかな……ははっ」

 少し照れながら頭を掻く。そんな彼の腕に手を回しながら、「じゃあ結婚祈願も兼ねて、通さんの懐かしの神社にお参りしてから帰りましょ」と告げ、私は階段へと促し、そうして町を後にした。




 鈍行と新幹線を乗り継ぎ、その後長時間の移動を経て自宅へと帰宅。途中彼から「どこか、レストランでも入ろうか」と誘われたが、お昼に彼の母が出してくれた豪勢な食事にあてられたのか、「私だって……」と手料理を振る舞いたい気持ちに強く駆られ「ううん、大丈夫」と断った。

「ふぅ」と一息つきながら、ジャケットを脱ぎリラックスした様子の彼。その表情を見つめながら、私はふと、数時間前にお参りしていた時の彼の横顔を思い出していた。


 知ってるよ。

 知ってる。

 そう。

 私は全部、ずっと前から知ってるから。


 あなたがあの町で育ったことも。あなたの両親が、あなたと同じように優しい人であることも。そして、当時一緒に散歩をし、あの神社にも何度も足を運んだことも。

 それもこれも全て、あなたが私を助けてくれたから。


 神様、ありがとう。もう一度、彼に巡り会わせてくれて。与えてくれた次の人生では、今の人生では……彼と同じ目線で、同じ言葉で。そして今こうして、家族になることができて……私は幸せです。



 その後、部屋着に着替えた彼がリビングのソファを背もたれにしながら、ゆっくりと座りこむ。


 バサッッ!


「っ! 未亜?」

「え? どうしたの、急に」

「…………」

「うん……何となく……したくなって」


 私は抑えられず、彼の膝の上へと飛び込んだ。

 前世の私にとって、膝の上はお気に入りの、いちばん好きな場所。だからが故、ついあの頃のように「ミャア」と猫なで声を出しそうになり、グッとこらえる。  

 懐かしいぬくもり。彼の匂い。そしてその体温は、当時と変わらず温かかった。



 これは、私だけの秘密。



「ねえあなた」

「夕飯、何食べたい?」

 そう下から覗き込みつつ尋ねると、彼は「ええっと、そうだな……」と言いながら、私の頭を撫でた。

 あの頃と同じ速度と、温度と、優しさで。


 何度も。

 何度も。




 了

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