私と希死念慮さん

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 この秘密は、何があっても隠し通さなければならない。


 この『秘密』の内容が恋であれば、それはラブストーリーだ。


 殺人であればミステリーやサスペンス。異能力であればファンタジー。立場や職業、財産なんかでもいいかもしれない。


 おおよそ、世の中の小説は、みんな『秘密』を暴く過程を書いていると言ってもいい。ちょっと暴論が過ぎるかもしれないけれども。


 ……そんなことを思う私にも、実は秘密がある。


 絶対に隠し通さなければならない秘密。誰にも知られてはならない秘密。


 私はその秘密を思いながら、手にした包丁を眺めていた。お味噌汁を作るためにネギを切っていた包丁は、わずかにぬめっていて、独特の臭気を放っている。


 ふと、その刃を、首にあててみたくなった。冷たくて、鋭くて。きっと日々使い古したこの刃じゃ、スパッと綺麗に死ねやしない。


「……」


 私はその衝動に抗えず、柄に両手を添えて包丁を逆手に取ると、そのままそっと首筋にあてがった。


 冷たいと思った刃は、ほんのりとぬるくて。一際ネギの臭いが鼻につく。


 ……私は、誰にも言えない秘密を抱えて生きている。


 ──死んでしまいたい。


 希死きし念慮ねんりょ。ふとした瞬間、私は己の死を願っている。


 別につらいことがあったとか、人間関係に不満があるとか、そんなことがあったわけじゃない。


 定職につき、結婚もしている。私を愛してくれる家族に友人がいて、憧れていた夢も叶えた。傍から見たら私の人生は、きっと薔薇色に輝いて見えるのだろう。


 だけど私はずっと、ただただ死に焦がれている。最近の話ではなくて、物心ついた頃から。中学に上がった頃にはもう私は希死念慮とは仲良しこよしで、私の人生は常に希死念慮さんとの戦いだった。


 壊れていると思う。壊れたまま、死を追い求めて、生きている。


 なぜこんなに死にたいのか、私にだって分からない。案外、私が抱えている秘密は希死念慮ではなくて、希死念慮を募らせる原因の方なのかもしれない。


 私が、私自身に絶対知られてはいけないと思っている『秘密』。


 ──違う、かな。


 私が抱えている秘密が『希死念慮』で。


 希死念慮さんはきっと、そこに至る理由を私に隠して、私の中で息をしている。


「ただいま〜」


 そんなことを考えていたら、ガチャリと玄関の鍵が開く音が聞こえた。私は反射的に手にしていた包丁をまな板の上に戻すと、ヒョコリと廊下へ顔をのぞかせる。


 そしてニコリと、自然に笑った。


「おかえりなさい」




 人は、小説の中の登場人物でなくても、『誰にも知られてはならない秘密』を抱えて生きている。


 私は、死んでしまいたいけれど。その想いを周囲に覚られて、皆を悲しませるのは本意じゃない。だから私の中で息をする『希死念慮さん』の存在は、絶対に知られてはならない。


 ──あぁ、今日も死にたいな。


 そう思うに至った理由を知らないまま……希死念慮さんが抱えた秘密を暴きたいと願いながら、私は今日も希死念慮さんと生きていく。


【了】

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