P.E.N.
石川ライカ
P.E.N.
そこにPENがあった。
はじめ、PENはそこに横たわり、誰かがそれを握りしめるのを待っていた。
やがてPENは自立し、白い大地にPENの影が深く刺さった。太陽は回転し、PENの頭上をぐるぐると回った。
PENの影は時として大きく伸び、また時として小さな丸い点となった。それは規則的に、また自由自在に運動する図形であったが、白い大地に何物をも書きつけなかった。大地は白く、平らであったが、よく見るとその細部には凹凸があり、繊維がどこまでも絡まり合っていた。
太陽がもう何百回PENの頭上を通り過ぎたのかもわからないころ、だんだんと黒が滲み始めた。慄然と聳り立つPENと大地の接着点から、黒が流れ始め、白い大地を侵略した。
黒……黒!
白い大地に流れゆく黒い液体は湧き出した重油のようでもあり、またPENの体液たるINKのようでもあった。しかしそのどちらも適当ではない。その黒はまず、ペンギンの黒となった。黒い川が大河へと拡がるのを待つまでもなく、その川の流れに尾鰭をなし、羽をなし、黒い油に塗れた産毛をなし、黒い鳥は泳ぎはじめた。やがて、黒い鳥は黒い川で泳ぐことに飽きて、白い大地へと上陸した。
はじめは、ただ足跡があった。
ぺん、
ぺん、
ぺん、
と。
四本の指が、周期的に、しかし微妙なズレを伴って、自由きわまる点描を大地に穿った。
記念すべき地上への第一歩を踏み出したペンギンがふと振り向くと、遠くから自分の水掻きまで続く黒い点線があった。その足跡は今でも残っている。無数のペンギンの点描から探し出すことができるのなら、だが。
ぺん、
ぺん、
ぺ
そのペンギン、
川を抜け出した無鉄砲なペンギンは、
そのまま地平線の先へと消えていった。聳え立つPENの天頂から見通したとしても、その点線はいまだその向こうへと続いていた。
やがて、ペンギンは大地において歩くことをやめ、いや、いまでも数寄者のペンギンは歩くことを喜ぶが、多くのペンギンは、お腹を大地に擦り付けて進むことを覚えた。誰だって、できることなら速く進みたいものである。
そこから白い大地を舞台にふかふかな毛に覆われた腹で滑り出す世界最速のペンギンを決めるレースも開かれ始めたが、問題はそのペンギン達の速さではなく、その筆跡だった。ペンギン・レーサーが合理主義と無鉄砲を併せ持った科学者たちだとするならば、その痕跡たる筆の一筋に美を見出したのは芸術羽のペンギンたちだった。彼らの深淵かつ絶望的な悩みは、彼ら自身の立派なお腹自体がたっぷり墨を含んだ筆であったがために、彼らは進むことでしか――ペンギン毛道における――筆の遊びを表現できず、美しさを鑑賞できるのは他ペンギンの筆跡のみだったのである。そして、少数派と見られていた芸術ペンギンの腹跡は、全ペンギンにとって思わぬ代償をもたらしたのである。
ペンギンの筆の跡、それは即ち点から線となり、その線は縦横無尽に遊びまわった。そして、それは一筆書きから、やがてより抽象的な、脱構築的な、「歩かないことによる腹の跡」という概念が提唱され、点と線が絡み合う大地の大芸術が花開くこととなった。そして、点と線が交わり、交流するとなれば、ペンギンたちの遊ぶ地上からはるか上空の眼差しを持つPENにとってみれば、それは絵画であり、また文であった。言葉であった。
そして、
PENGUIN ENGINE NEWMEN
という言葉が出力された。黒い川がどこから始まったのかもはやわからないように、この言葉は新たなPENとして、ペンギン内燃機関新人類を生み出した。彼らはペンギンをエネルギー源とみなし、黒い線をコースと見立て、疾走した。そして、黒い線は道路となり、「交通」という概念が提唱された。
枠ができてはじめて内と外が認識されるように、これは黒と白についてのパラダイムチェンジであった。彼らPENは、白にこそ価値を見出した。彼らはそれを、純潔や無垢というイメージに結びつけ、尊んだ。
―――そして、
―――言葉は
―――変異する。
新世代のPENたち――彼らはPENGUIN ENGINE NOMADと名乗った――は、ペンギンたちに蹂躙される前の白い大地を希求した。ペンギンたちは黒い腹で世界を泳ぎ回り、自らの痕跡を線として遺すことを生の営みとし、新世代のPENたちはむしろ、穢れなき白い大地こそ
空虚で…… 美しい!
と考えた。
さて、彼らは、競い合うように白い大地を疾走し、世界は「大疾走時代」を迎え、それはやがて大地の荒廃、MADでMAXなBLACK&CHROME戦争を引き起こし、それは残された白い大地、夜空に浮かぶあの白き大地を目指す宇宙開発競争へと発展していく……まぁ、それは別にいいのである。語らなくてはいけないものは、語り残されているものは、冒頭からずっと刺さりっぱなしのPENである。
PENは悩んでいた。
建築物はどうやって世界と関係を結ぶのか?
少なくとも悩んでいるように見えた。
いや、建築物という呼称は読者にへんな誤解を与えてしまう。建築物なら、それは大地に従属し、誰かが住んでいるのか、廃墟なのか、いつ建てられたのか、たくさんのヒトや歴史を呼び込んでしまいかねない。PENとは何であろうか? PENは大地に突き刺さっているのだ。それは、少なくとも「もの」であると思う。ものと世界の関係。ものであるなら、それは語られるべきだろうし、悩みもするだろう。それはそこにある。なぜ、どのようにしてあるのか。ものを考えないものなんてあるはずがない。何も思わないなんて、あまりに寂しいじゃないか。
だから、 ゆえに、
そして! つまり!
やがて!
やっぱり!
ゆえに!
きっと!
絶対!
すべての因果を絡めとって、
すべての物語を語る人によって、
聞きたがりの、書きたがりの僕らのために、
「これはPENです。」と誰かが言った。
P.E.N. 石川ライカ @hal_inu_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます