片翼がもげた天使

みらいつりびと

第1話 片翼がもげた天使

 若い猟師が森の中で大きな鳥を見つけて、鉄砲を撃ちました。

 しかしそれは鳥ではなく、翼を休めていた天使だったのです。

 天使は片翼がもげて、気を失ってしまいました。

 猟師はなんて罪深いことをしてしまったんだと暗澹たる気持ちを抱えながら、天使を背負って村の小さな医院へ行きました。医者が治療をして、背中から流れる血を止めました。

「命に別状はないよ。でもこの天使様はもう飛べないだろうねえ」

「なんてことをしてしまったんだ。おれは死んでしまいたい」

「きっと神様がなんとかしてくださるよ」

 そうかもしれない。でもとにかくいまは天使の看病をしないといけない。

 猟師はまた天使をかついで、自分が住む森の中の粗末な小屋に帰り、片翼がもげた天使を布団の上に寝かせました。

 翌朝、天使が目を覚まして、激痛にうめきました。

「いたっ、いだだだ、痛いわっ」

「ごめんなさい。おれがあなたを誤って撃ってしまったんです。どんな罰でも受けます。死ねとおっしゃるなら死にます」

 天使は冷たい目を猟師に向けました。

「あんたが死んで、あたしの痛みがやわらぐの?」

「すみません、すみません、やわらぎませんね」

「ねえ、あたしの背中はどうなっているの?」

「片翼がなくなっています」

「そう。もう飛べないわね。天国には戻れない……」

「すみません、すみません」

 猟師は頭を床にこすりつけました。

「まあいいわ。天使の仕事って、けっこうめんどくさいのよ。ねえあんた、責任取って、あたしの看病をして、ごはんを食べさせてくれるわよね?」

「はい、もちろんです。鴨の肉ならいま焼けます」

「あのさあ、病人が鴨なんか食べたいわけないでしょ。お粥を食べさせて」

「米はいまないんです。鴨を売って、買ってきます」

 猟師は町へ行き、鴨を売って米を買い、急いで帰ってお粥をつくり、天使にあーんと食べさせました。

「味が薄いわね。次からはもっと塩味を濃くしてちょうだい」

「はい」

 猟師は鉄砲猟に励み、米を買い、塩を買い、卵を買い、野菜と果物を買い、かいがいしく天使の看病をしました。

 やがて天使の傷は癒えました.しかし片翼がないので、天国には戻れません。彼女は猟師の小屋にいつづけました。猟師は鹿や猪や熊の肉を天使に食べさせるようになりました。

「まずいわ。香草を効かせてちょうだい」

「香草ですね」

 猟師はますます猟に励み、香草を買い、料理を研究して、天使を満足させようとがんばりました。

「美味しくなってきたわね。少しはやるじゃない」

 猟師は喜びました。でも、天使のひとつだけしかない翼を見ると、全然償えていないと思うのでした。彼はがんばりつづけました。

 猟師の猟と料理の腕は飛躍的に向上しました。弟子にしてくれという者がいるほどでした。

「おれは一生かけて天使様に償いをしなければならねえんだ。すまんな、弟子は取れねえ」

 猟師は天使に尽くしつづけました。天使が喜べば彼は喜び、彼女が怒ればしょげました。

 猟師は一心不乱にがんばりつづけたので、立派な面構えになりました。彼と結婚したいと願う女性は少なくありませんでした。なんと村長から娘と結婚してくれという申し出までありました。

「申し訳ありません。おれは一生かけて天使様に償いをしなければならないんです。結婚はできません」

「おまえさんはもう十分に償いをしたと思うがね。天使様には村全体でお仕えしようじゃないか」

「ありがたいことです。でもそれではおれの気が済まないんです」

 猟師は天使のために猟をし、料理をし、洗濯をし、掃除をし、話し相手にもなりました。狩猟や山菜、きのこ採りの話を天使は面白がりました。やがて、天使は猟師とともに森や山へ行くようになりました。彼が鉄砲を撃つのを見て、天使は言いました。

「あたしもやってみたい」

 猟師は天使に撃ち方を教えました。彼女は下手で、弾丸は鳥にも獣にも当たらず、猟の邪魔にしかなりませんでした。でも天使が楽しそうだったので、猟師はにこにこしていました。彼は猟の時間を増やして、獲物を確保しました。

 山菜ときのこ採りでは、天使は猟師をしのぐ名手になりました。猟師は喜び、天使に感謝しました。

「ありがとうございます。めずらしい山菜が採れました。すごいです」

「このくらいあたりまえよ。あたしは天使なのよ」

 片翼がもげた天使と猟師は長い年月をともに過ごしました。やがて猟師は年老い、往年のように働くことができなくなりました。なんとか狩り場へ行くのですが、動きがにぶく、獲物を得ることができません。

「すみません、天使様。今日はなにも獲れませんでした」

「まあいいわ。きのこを食べましょう」

 さらに猟師は老い、寝たきりになってしまいました。天使が働き、猟師に食べさせるようになりました。

「すみません、天使様。おれはもう死にます。これ以上天使様のお手をわずらわせるわけにはいきません」

「だめよ。生きられるだけ生きなさい」

「ありがとうございます……。うう……」

 老猟師は涙を流しました。

 数年後、天使は猟師を看取りました。彼の死に顔には満足した微笑みが浮かんでいました。

「楽しかったな。なかなかよい人だった」

 天使はなくなっていた片翼をなんなく再生させました。そして、猟師の魂を天国に連れていきました。

 天国と地上では時間の流れ方がちがいます。地上の50年が天国では5分でしかありません。

「こらっ、またさぼっておったな」

 神様が天使を叱りました。

「ごめんなさい」と謝りましたが、まあまあよいことをしたと思うんだけどな、と天使は心の中で舌を出していました。

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