黒い本

有沢楓

第1話 黒い本

 とある中学校の職員室。

 教師が入れ代わり立ち代わりし、雑然とした空気が満ちていた。


 教師の机の上もまた多忙を極める現状を映すように生活感がにじみ出る中で、隅っこにある一人の女性教師の机の上だけは、持ち主の几帳面さを形容したようにぴしりと整っていた。

 教科書や参考書、プリント、ファイル、ペン。授業に使う教材全てがあるべきところに納まっている。


 それがために、きれいに片づけられた天板の上に1冊だけポンといかにも雑に置かれている本は目立った。


 しかし目立つ理由はそれだけではない。

 異様であったからだ。

 大きさなら文庫版ほど、厚さは1センチ程度の変哲のないものである。今すぐに授業に使うのかとすぐに納得できる程度のものだ。


 しかし異様さを感じる原因であるのは、本の表紙が真っ黒だったからだ。

 写真やイラストの一枚もなく、タイトルすらない。表も裏も背表紙もすべて黒一色に装丁されていた。


 それでも、本の中身を開けば、表紙のことなど些細なことだった。

 細い黒の罫線の間に並ぶ文字には、以下のような内容が書かれていた――。


***


 1月15日(月)

  7時に家を出る。ネイビーのスーツと靴。普段通りの鞄。


 1月16日(火)

  7時に家を出る。グレーのスーツと前日と同じ靴。普段通りの鞄。

 

 1月17日(水)

  7時に家を出る。ネイビーのスーツと、前日と同じ靴。普段通りの鞄。

  靴は交互に履き、休ませることが望ましい。


 1月18日(木)

  7時20分に家を出る。

  焦って走り、近くの交差点で車とぶつかりかける。平謝り。

  普段は弁当だが、コンビニへ行く。鮭おにぎりとサラダ。


 1月20日(土)

   昨日は休みのため一日家にいる。

   昼、コンビニへ行く。帰りにクリーニングで服を受け取る。

 

***


 1月23日(火)

  帰りにイレギュラーなことがあったらしい。帰宅が遅れる。

  こちらも早く帰らなければ。

 

 1月24日(水)

  一緒にいたあの女の人は誰だろう。


 1月25日(木)

  あの女の人のことをもっと知るべきだ。


 1月30日(火)

  決めた。


***


 2月2日(金)

  7時に家を出る。


 2月3日(土)

  今日は運命の日だ。


 2月5日(月)

  7時に家を出るはずだが、全く家から出てこない。

  風邪だろうか。


 2月6日(火)

  出てこない。

  帰りに怪しい男が話しかけてきた。

  アリバイはある。


 2月7日(水)

  怪しい男に再度話しかけられる。

  良く見れば、教師のふりをした組織の一員だった。「遊んでないで早く帰りなさい」と言われる。

  警告だ。逃げる準備をしなければ。 


 2月8日(木)

  家庭への訪問を告げられた。

  迎え撃つつもりだ。それが世界が選択した結果なら。


***


ここで、筆跡が二種類になる。


***


(別の筆跡で)欺けたがそれも一時のこと。ならば、約束の時は近い。


 2月10日(土)

  昨日は何もなかった。

  今日は親に、人の子が集い音楽に満ちる場へは行かず、休むと伝えた。


間が開く。


  次の満月の17時、巨木の下で落ち合おう。

  印は包帯だが、なければ絆創膏も可とする。


(別の筆跡で)了解した。ラ・ユール・ワルプルギス。


 (返答)

   我らに勝利を。

   ラ・ユール・ワルプルギス。


***


 一人の黒いスーツの女性教師が、職員室に入ってくる。

 黒い本を手に取り、最後のページを確認していると、入り口で名乗りを上げた一人の女生徒が近づいてきた。


「せんせー、課題おいてったの見てくれた? 持ってくるの忘れててごめんね?」

「この黒いノート?」

「うん。昔の文化がわかるもの……ってやつでしょ?」

「今確認したよ。これからお通夜に行くからバタバタしてて、明日また内容をよく見るね。だけどあなたの名前がないから、付箋に今書いてくれる?

 ……ええと裏表紙にあるこの名前みたいなのは……なんとかの使徒……」

「うん、お母さんが中学生の時に書いてた日記がね、大掃除で出てきたから持ってきちゃった。ああいうごっこ遊びが流行してたんでしょう?」

「…………」

 教師はそれをぱらぱらとめくった後、気まずそうにつぶやくのだった。


「……この黒い本は、封印しておく方がいいと思うよ」

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黒い本 有沢楓 @fluxio

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