森の奥で助けた美女の正体は

烏川 ハル

秘密

   

 がっしりとした体格の男が一人、いつもの森を歩いていた。濃紺色の革鎧に身を固め、腰に幅広の大剣を差した冒険者だ。

 左右に立ち並ぶ木々は、独特の形状の葉を持っていた。いわゆる針葉樹林であり、その名の通り、針のように細く尖っている。あまり横に枝分かれせず、太い幹が真っすぐ一本、ひたすら上へと伸びているのも針葉樹の特徴だった。

 だから針葉樹は材木として適しているそうだが、男のような冒険者にとって、そこは重要なポイントではなかった。横に広がる枝が少なく、そこから生える葉も細いのであれば、大空の太陽の光が地上まで届きやすくなるし、視界も確保しやすくなるのだ。

 敵との遭遇を想定する上では大きな利点であり、そのためまだ経験の浅い冒険者たちも「この森ならば戦える」と考えて、ここへよく訪れる。冒険者生活を始めたスタートさせたばかりの初心者御用達という意味で、いつのまにか『スタートの森』と呼ばれるようになった森型ダンジョンだった。


 ただし、あくまでも「初心者御用達」に過ぎず、別に初心者専用というわけではない。「初心者」という段階を過ぎても「弱いモンスター相手に数をこなして経験値稼ぎする方がリスクは少ない」と考えて、いつまでも『スタートの森』に通い続ける冒険者たちもいるという。

 他にも例えば「たまには息抜きで簡単なダンジョンを探索しよう」などと考える者もおり、先ほどの濃紺色の革鎧の男も、既にベテランの域に差し掛かっている冒険者だった。


 彼の名前はダン。純粋な剣士ではなく、雷系の魔法も駆使する魔法剣士で、『おせっかいの稲妻』という異名を持つ凄腕の冒険者だ。

 ダンが『スタートの森』を好むのは、いくら戦いやすいダンジョンとはいえ、それでもモンスターに手こずって危ない目に遭う初心者たちがいるからだった。そんな若手冒険者を助けたいという気持ちは、良くいえば親切心なのだが、見方を変えれば単なるお節介に過ぎない。「冒険者になった以上は、何があろうと自己責任」というのが、一般的な考え方だった。

 ダン自身、一時期は「危険から脱するのも冒険者として必要な技術だから、自分が余計な世話を焼いたら、それを学ぶ機会を失わせることになり、かえって相手の成長を妨げる結果になるかもしれない」と考えもしたが……。

 それよりも、ついつい新米冒険者を心配する気持ちがまさってしまい、結局は『スタートの森』通いを止められないのだった。


――――――――――――


「ギギギ……!」

 モンスターの鳴き声を耳にして、ダンの足が止まる。

 最下級のシンプル・ゴブリンの声であり、この『スタートの森』ではよく見かけるモンスターだった。

 ゴブリンと名のつく種族はモンスター全体の中で弱い部類に入るが、同じゴブリン系でも体色や体躯、好んで使う武器などによって、多少の違いが存在する。そんなゴブリン系の中でも最弱なのがシンプル・ゴブリンであり、冒険者どころか荒くれ者や一般市民の自警団でも退治できる程度だ。

 だから普通ならば無視するところだったが……。

 なんとなく違和感を覚えて、妙な胸騒ぎも感じた。

「何かおかしいぞ……。そうだ、あの声だ。悲鳴というより、歓喜の叫びに聞こえたよな?」

 具体的に声に出してみると、そんな気も強くなる。

 確信をいだいたダンは、声が聞こえてきた方角へと走り出す!


 木々の間を分けるようにして進み、ダンが駆けつけた先は、少し開けた場所。

 森の奥にある小さな広場だった。

 炭焼小屋くらいならば建てられそうなスペースがあり、そこだけ下草も何も生えておらず、土が剥き出しになっている。

 そんな広場を囲う木々の中でも、一際ひときわ太い大木。それを背にして座り込んでいるのが、一人の女性だった。

 とても粗末な格好であり、一瞥した限りでは、淡い茶色の布袋で全身を包んでいるように見えたが、少し近づいて見直すと、どうやら麻製の貫頭衣らしい。

 今時、貧乏な村人でも着ないようなファッションだ。ダンは驚いてしまうが、そんな場合ではなかった。

 彼女の前には、今まさに襲いかかろうとするゴブリンが三匹!


「待て! 俺が相手だ!」

 モンスターの気を引くためにも、ダンは必要以上の大声を上げて、騒がしい足音も鳴らしながら駆け寄った。

 ゴブリンたちにしてみれば、無抵抗の村娘を狩ろうとしていたら、背後から奇襲された格好だ。三匹ともビクッと体を震わせながらダンの方を振り返り……。

「ギギギ……!」

 それでも臆することなく、小ぶりなナイフを振りかざして、一斉にダンへと向かってきた。


「ああ、そうでなくてはな……」

 小さく呟きながら、ニヤリと笑うダン。

 たった今耳にしたのは、聞き慣れた種類の鳴き声だ。

 しょせん相手は、最弱のモンスター。油断ではなく自信を持って、ダンは腰の大剣を振るう。

 それなりの重量もあるはずの大剣だ。それなのに、まるで居合斬りみたいな、抜く手も見せぬほどの早業はやわざだった。

「ハッ!」

 気合いの声と共に一閃。

 そのただ一振りだけで、三匹のモンスターは断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、その場に斬り伏せられるのだった。


――――――――――――


「おい、大丈夫か? 危機一髪だったな」

 愛用の武器を腰の鞘に収めてから、ダンは座り込んでいた女性に声をかける。

 お礼の一言くらいは返ってくるかと思ったが……。

 彼女は無言で、顔を上げただけ。

 しかしその瞬間、ダンは大きな衝撃を受けてしまう。

 ダン本人の頭の中で「まるで雷に打たれたかのような」という言葉が浮かぶほどであり、一瞬「雷魔法を得意とする俺が『雷に打たれる』なんて洒落にもならん」とも考えてしまうが、そうやって考えること自体が現実逃避に過ぎなかった。

 改めて現実に向き直れば、目の前にいるのは、衝撃的なほどの美しさを感じさせるような、絶世の美女だったのだ。


「……」

 言葉を失うダンだったが、彼は歴戦の冒険者だ。

 茫然自失で立ち尽くしていた時間は短く、すぐに自分を取り戻していた。

 改めてダンは、目の前の美女に問いかける。

「怪我はないな? こんな森の奥で一体いったい何をしていた? どう見ても冒険者ではなく、普通の村娘のようだが……」

「……」

 返事はなく、美女はうつろな目をしたままだった。

 何かよほどのショックを受けたのだろうか? 少し荒療治が必要だろうか?

 こういう場合、冒険者仲間であれば頬の一つでも叩くのだけれど、相手が村娘である以上、同じ対処法では問題あるだろう。

 そう考えたダンは、彼女の両肩をガシッと掴んで、その体を激しく揺さぶった。

「おい、しっかりしろ! あんたは何者だ?」

「私は……」

 効果があったらしく、彼女の目に生気が甦り、口からは言葉も出始める。

 しかし、そこまでだった。

「私は……。私は誰? わからない、わからないわ! 私は一体いったい誰なの……?」

「なんと! あんたは記憶喪失なのか? 自分の名前すら言えないのか?」

 瞬時に理解したダンは、冷静に事情を整理し直す意味で、改めて聞き返すが……。

「わからない! 何一つわからない……」

 美女は悲壮な表情を浮かべて、ただ首を横に振るだけだった。


――――――――――――

――――――――――――


「……というのが、俺と彼女の馴れ初めでな。そのまま俺のところで引き取って、面倒をみるうちに、こうなったってわけだ」

 カウンター席に座る常連客を前にして、酒場の主人が昔話を語って聞かせていた。

 彼はもう五十近くの中年男性であり、かつて凄腕冒険者だった頃の面影は、もうほとんど残っていない。唯一それらしいのは大柄で立派な体躯だが、それも冒険者特有の引き締まった体つきではなく、むしろ筋肉より脂肪の割合が増えつつあるほどだった。

 そんな主人が若い頃の武勇伝を語るのは、ここ『稲妻亭』では日常の光景。常連客にしてみれば、とっくの昔に聞き飽きた話のはずなのに、それを態度に出すものは一人もいなかった。

 もちろん常連客以外が居合わせる場合もあり……。


 厨房で料理を作る女性の方へ、酒場の主人がチラリと視線を送る。

 釣られるようにそちらに目をやる客たちの中にも、常連以外の者が混じっていた。

 なるほど先ほどの話にあった通り、美しい女性だ。主人より十歳も二十歳も若く見えるけれど、おそらく「そう見える」というだけで、実年齢は彼と近いのだろう。

 そんなことを考えながら、その客は主人に尋ねてみた。

「それじゃ、奥さんのオフィーリアって名前は……。あれは親父さんの命名ですか?」

「ああ、もちろん。あいつは結局、昔のことは何一つ思い出せないままだからな。だけど名前がないと不便だろ? だからさ」

「だからといって……」

 ここでニヤニヤ笑いを浮かべながら、常連客が茶々を入れる。

「……『オフィーリア』なんてご大層な名前、普通は名付けませんぜ。だって『オフィーリア』といえば、昔々の神話、神と魔族が争ったといわれる英雄譚に出てくるお姫様の名前じゃないですか!」

「そうそう! 神話では『オフィーリア』は勇者に助けられる役柄だけど、だったら親父さん、自分は神話の勇者のつもりかい?」

 と混ぜっ返す常連客も出てきて、酒場はあたたかい笑いに包まれるのだった。



 そんな賑やかな空気の中、ひっそと帰っていく二人の男性客。

 どちらも冒険者並みの立派な体つきだ。ただし着ているものは鎧でも魔法衣でもなく、村人がよく着るような布製の服だった。

 初めて『稲妻亭』を訪れた二人だが、主人と常連客たちとの話は、しっかりと耳に入れており……。

 店から離れて、周りに誰もいない辺りまで来ると、先ほど聞いた話について感想を述べ合うくらいだった。


「上手くやってるようじゃないか。全く疑われずに、ちゃんと『人間』としての生活を続けてるみたいだぜ」

「ああ、まったくだ。やはり潜入任務を成功させる秘訣は、本人自身がそれを『潜入任務』と自覚しないこと。自分でも知らない秘密なら、口を滑らせる心配もないもんな」

 唇の端を吊り上げながら、ニカッと笑い合う二人。

 口の間からチラリと覗く歯は、人間のものとは思えぬほど鋭いだけでなく、見るからに硬そうだった。まるでいにしえの伝説に出てくる魔族の牙みたいに。




(「森の奥で助けた美女の正体は」完)

   

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森の奥で助けた美女の正体は 烏川 ハル @haru_karasugawa

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