火事場の馬鹿力
holin
火事場の馬鹿力
――火事場の馬鹿力というものを知っているかな?
――うん。みんな、その存在は知っているだろうね。
――だけど、その
なんてことない、日常の1ページだった。
俺は年の離れた弟と、公園で遊んでいた。
「……そろそろ帰って、お昼ごはんを食べようか」
「うん! あ、お兄ちゃん! お家までかけっこしよ!」
それだけ言うと、弟は俺の反応を見る前に駆けだした。
俺を放って公園から飛び出し、青信号の横断歩道を渡りだす。
さっきまであんなに遊んでいたのに、元気なものだ。
……そんなのんきなことを考えてしまったのが悪かったのだろう。
左から車の近づいてくる音がして慌ててそちらを振り向くと、減速する気が一切ないトラックが、横断歩道へと突っ込んでくるところだった。
「危ない――ッ!」
慌てて俺は駆け出した。
なんとか間に合い、俺は弟を抱えて、前方に転がった。
「はぁ……はぁ……」
心臓がバクバクと激しく音を立てる。
一歩遅ければ、俺も弟も死んでいた。
「お兄ちゃん! 痛いよ! うわぁああああ!」
でも生きている。元気に泣く弟も、俺も、間違いなく生きている。
――まさに危機一髪、だったね。
この時俺は知らなかったが、俺があの時走り出した地面には、えぐれたような跡があったようだ。
翌日、月曜日。俺はいつも通り、高校へと登校した。
月曜日は1時間目から体育があり、2限以降がかなりキツイ曜日だ。体育の後なんて寝るにきまっているだろうに、どうして1時間目に入れるのか……。
そして今日は50メートル走を計測するらしい。
昨日のあれのせいで、足がまだ少し痛いため、タイムには期待できないな。
……なんて思っていたんだけど。
「……え?」
タイムはなんと――5.95秒。さすがに測り間違いを疑われた。
確か、日本記録が5.75秒なんだっけ? そりゃあ、測り間違いだろう。6秒切るなんて、トップアスリートにしか無理なのだから。
しかし、誰が、何回計測しても6秒を切った。
どうやら、短距離走の才能が開花したらしい。
……いやいや、意味が分からない。この前まで7秒台だった人間が、どうしていきなり6秒切れるようになるんだよ。
もしかしたら、昨日の影響かもしれない。いや、でも"火事場の馬鹿力"って、その一瞬だけに発揮されるものじゃなかったっけ?
しつこく陸上部に勧誘されたが、いつまた元通りになるかが分からなかったので辞退しておいた。
「――ってことがあったんだよ。なんでか火事場の馬鹿力が維持されてるっぽい」
「え、昨日そんなことあったの!? 言ってよ、もう!」
「ごめんごめん。心配かけさせるのも悪いし……」
「私たち幼馴染みでしょ? 心配ぐらいさせてよ」
「うっ、悪い……次から気を付ける」
彼女は俺の幼馴染みで、幼稚園、小中高とずっとおなじところに通っている腐れ縁だ。
彼女とはこうして、一緒に下校することが多く、周りからは付き合っていると思われることも多いが……正直全く発展していない。
いい加減、距離を縮めたいと思っているのだが、全くきっかけがなくて……。
……とそんな時、前方から悲鳴が聞こえてきた。
「え、何?」
人々が注目する店の中から、刃物を持った男が現れた。
「ひっ!」
「ここに居たらマズイ! 早く逃げよう!」
「っ! ご、ごめん。足が、動かせなくて!」
「――死ねぇえええッ!」
男はなぜか一直線にこちらへと突っ込んできた。
今から抱えて逃げるのは厳しいと判断して、慌てて彼女の前へと躍り出た。
俺だけなら、たぶん逃げれるだろう。
だけど、こいつは逃げられない。
刃物を持った男がこちらへとドンドン近づいてくる。
正直怖い。怖いけど、どうにかするしかない……!
男が刃物を右腕で振り上げた時、目に映るすべてがスローになった。
男が振る刃物の軌道も――読める。
俺は一歩前へと進み、男の右肘に左手の掌底をぶつけて刃物を止める。
そして右の拳を握りしめ、男の顔面を思い切り殴りつけた。
「ゲァッ!」
男は少しだけ宙を舞い、地面へと崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
勝っ、た?
――やれば出来るじゃん。
……にしても、二日連続で、死ぬかもしれない思いをするなんて……お祓いでも受けた方がいいかな?
翌日、火曜日。
俺は学校を休んだ。さすがに、連日死の危険に遭遇すると、1日ぐらいは休みが欲しくなったのだ。
「お兄ちゃん、だっこ!」
「いいぞー。ほれ、高い高ーい。ん? なんか痩せた?」
「やせてないよ~」
「そっかー。お兄ちゃんの勘違いかな?」
いや、明らかに軽く感じる。先日の一件で、腕力も強くなったのか?
「あっ!」
弟が手に持っていたぬいぐるみが、手から離れて落ちてしまう。
それを認識すると、またゆっくりとした世界になり、俺は難なくそれをキャッチした。
「おっと、セーフ。ちゃんと大切に持ってあげな」
「うん!」
……異常だ。俺の身体に何が起きているんだ?
気になった俺は、自分の身体について調べてもらうために、病院へと訪れた。
「それではあちらのエレベーターで、5階へとお上りください」
「分かりました」
俺は受付の人に言われるがまま、エレベーターへと乗り込み、5階へと向かった。
そして5階へと到着すると思った次の瞬間、バチンッ! という音が鳴り、俺は浮遊感を抱いた。
パッと景色がスローになり、思考する時間が増えた。
エレベーターごと、俺は自由落下を始めたのだろう。
体はすでに宙に浮いており、成す術がなかった。
どれだけ考えても解決策は見つからず、俺はただ来る衝撃に身を固めた。
……これは死ぬな。
まったく、嫌な人生の終わり方だ。
せっかく昨日、幼馴染みとの距離が少し変化したというのに。
まだまだやりたいことがあったのに。
こんな怒涛の終わり方は無いだろうよ。
あぁ――死にたくないなぁ……。
この日、事故により高校生の男子が1人亡くなったのだった。
――ほら、死んじゃった。やり過ぎだって言ったじゃん。
――えー、あの子のやる気が足りなかっただけだよ。
――それにしても、もう少しバランスを考えないとね。
――むぅ……分かった。次は気を付けるよ。
――次はだれで遊ぼうか?
――あ、あの子なんて、いいんじゃない?
――おっ、いいね。じゃあ、次はあの子で決まりだね!
火事場の馬鹿力 holin @holin
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