-3- 自己肯定感とイチロー

 自己肯定感ってなんやねん。


 僕を長年苦しませていた【自己肯定感】という謎の言葉に、疑問を感じてきました。

 僕が自分を認められないのは、自己否定が強すぎるため。

 自己否定を無くしたり、薄めるのは逆の意味である【自己肯定感】なのだと。それを高めることこそが、高めることのみが僕を苦しみから解放してくれるのだと、そう狭まった視界の中の僕が導き出した解決策。

 喉から手が出る程欲しくてたまらない高嶺の花。見たことも無い幻想郷。


 それが【自己肯定感】だったはずなのに、なんてこったい。そんなものがなくったって良いというのですから、僕は方向転換を余儀なくされました。


 そうして出会ったのがこの動画です。

 自己肯定感について、イチローが話していました。

(URL)

https://youtu.be/W1cksiP7NE0?si=vE2TSeWrucjmBM-k

『イチロー、"自己肯定感の高め方"に持論(略)』


「自己肯定感って何ですか? 初めて聞きました。僕にとっては気持ちの悪い言葉です」(だいたいこんな感じ)


 僕はスポーツにあまり興味を持っていなかったので、イチロー選手もまぁ数多いるスポーツ選手のひとりで、名前だけ知っている程度の存在でした。


 それでも、この発言を聞いてから思いました。

 イチロー選手だけじゃなく、自分を極限まで高めたアスリートの言葉、考え方というのは、何かを突き詰めて考え尽くした哲学者の言葉と同様に、とても美味で感慨深いものなんだなぁ、と。


 イチローは【自己肯定感】よりも【自己疑問】で過ごしていると言っていました。

 【自己疑問】することは、自分を肯定することも大事なことであり、それ自体を否定はしないけれど、それよりも今の自分に疑問を呈し続けることで、成長し、進化し、高め続けることが出来るのだと。

 自己を肯定してしまえば、成長は止まり、進化は終わる。

 自分というものへの考え方、その説明がとてもわかりやすく、するすると僕の中に入っていきました。


 彼の考え方は面白く、興味深い。

 そういう考え方を摂取できたことは、僕にとってとてもありがたいものでありました。このインプットは僕のためになった。

 僕のこれからの考え方、生き方の方向性を決めるに当たって、とてもいいことだと思いました。


【自己肯定感】に左右される生き方はやめることにしました。

 かと言って、僕はイチローのように【自己疑問】をして生きるつもりはあまりありません。

 否定もせずに、肯定もせずに、疑問もせずに、自分を選んでいきたいと思いました。【自己選択】です。

 長生きするつもりもなく、他人に興味も無かった僕は、『将来こんな人になりたい』という願望も皆無でした。

 それを、自分で決めていく。


「こういうことをやってみたいなぁ」とか

「こういう人になってみたいなぁ」とか

 あらゆるものに興味を持って、良いところを吸収して、自分を成長させてみる。

 人生70年だとして、僕は折り返し地点に立っています。

 まだあと35年ある。まだまだできることはたくさんあるはずです。


 今から外国語を学んで、いろんな国の人と言葉を交わしてみたい。

 今からお金の勉強をして、自分の人生設計を自分自身でできるようになってみたい。

 身体を鍛えて、死ぬまでに富士山に登ってみたい。


 そんな、大それたわけではない、なりたい自分を決めて、それに向かって進んでみたい。


 それが僕の、新しい目標です。

 人生を楽しむこと。いろんなことに興味をもつこと。

 今までの僕にできなかったこと、今の、これからの僕なら出来る気がするんです。


 だいたい、そんな感じです。

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ぎざジャーナル ぎざ @gizazig

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