許せる距離は

かこ

◇◆◇◆◇

 お使いの帰り道、回り右をしそうになる足をあんは必死で耐えた。気付かれませんようにと祈りながら人の波を抜けていく。

 杏の苦行をつゆも知らない辰次たつじは学友と別れて駆け寄ってきた。学帽をかぶり直し、挨拶もなしにたずねる。


「使いか?」

「その、帰り」


 小学校を卒業して、鳴りをひそめていたはずの拙い話し方が口からこぼれた。不甲斐なさに顔をふせると、まじまじとのぞきこまれる。

 頭半分だけ違った背は、杏の目線が胸元になるまで差ができていた。知らない人に見えると言ってもいい。

 青年と少年の間のような人が姿勢を元に戻し、土足で踏み込んでくる。


「仕事には慣れたのか」

「……ぼちぼち」

「ふうん。まだ本条ほんじょう家で働いているのか」

「……うん」


 まだとは何だと思いながら、文句は言えなかった。口論になろうものなら、勝てそうな気がちっともしない。

 うつ向く杏の耳にため息が聞こえた。ため息をつきたいのはこっちだ。早々に切り上げようと拳を握る。


「元気がないな。甘味でも」

「使いの途中だから」


 遮るようにひと息で言い、脇を通り抜けようとした杏は手を取られた。縮まる距離に眉間にしわがよる。


「休みって、いつ」


 辰次の意味がわからない発言に杏の堪忍袋の緒が切れる。


「関係ないでしょッ」


 強く手を振ると反動で体がよろめいた。迫るエンジン音に邪魔され、危ないという声がひどく遠くで聞こえる。

 倒れこむ寸前、背中に腕を回された。目をそろりと開ければ、目と鼻の先に朝も見た顔がある。


「車の往来で何してるんだ」


 憤り半分呆れ半分の声が降ってきた。小うるさく、なんやかんやと言っている。

 目を見開いた杏は今の状況が理解できなかった。否、抱きとめられていると理解はしているが、頭がそれを拒んでいた。混乱する頭で、一番大事なことを思い出す。


克哉かつやさま、お怪我は」

「怪我をするのはお前の方だろう」


 支えをとき、肩を叩かれた杏は克哉に向き直った。けろりとした主人を捲し立てる。


「それはそうなんですけど、主人に怪我をさせるような奉公人なんてはいません」

「かたっくるしく考えるな、アン」


 ははと笑い声までつけてくる克哉を杏は睨んだ。自分がどれだけ心配しているか、伝わらないのが悔しい。

 克哉は破顔して、頭二つ分は違うつむじを叩くように撫でる。


「安心しろ。怪我はしてないし、お前が怪我をしなくてよかった」


 また子供扱いされた杏は悔しくて、それよりずっと恥ずかしくて、子供みたいだとわかっていながらも、その場から逃げ出した。辰次のことは一欠片も記憶に残さずに。




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許せる距離は かこ @kac0

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