第19話 エピローグ
涼水は、旅支度をした幽玄に別れの挨拶をしていた。
「幽玄坊、本当に助かりました」
「和尚は残念じゃったが、お主達や若い命をつなげたことに満足しとるやもしれん」
「幽玄坊、この度の騒動は一体どういうことだったのでしょうか」
幽玄坊はわらじを足に結びつけながら、
「ここ近年、不作続きでなぁ。どこも苦労しとる。この本能寺も例外ではない。ここの存続に大金が必要となった和尚は、名主に相談に行ったそうじゃ。そして銭を工面する代わりにお猪を殺す薬を処方せよと命じられたそうじゃ」
涼水は和尚が暗殺の片棒を担がされていたという事実に愕然とし青ざめる。
和尚ほどの人物でも、餓鬼の囁きにそそのかされ、煩悩に振り回されてしまった事に、裏切られた想いと、寂しさのような情で胸が熱くなった。
「わしは和尚が私利私欲に溺れたとは思うとらん。この本能寺がなくなれば、生活に困る其方のような修行僧がいよう。念仏だけを唱えておれば、腹がいっぱいになるほど飯が食えたり、欲を満たすことができるのであればそうするがなぁ。それでは人は育たん。実はなぁ、和尚はここから一日ほど歩いた場所、温床寺というところで捨子を育てておるのよ」
涼水はそんな事情を和尚が抱えていたとは全く知らなかった。
「な、なんと! そういう……。それではここ本能寺で、皆で面倒みたものを」
「そうじゃなぁ、少しでも住みなれた土地の近くに置きたかったのかもしれんが、おそらく温床寺周辺の捨子を親が再び迎えにくる事を望んでいたのかもしれん。和尚がどう思ってのことか、わしは知らぬがなぁ」
お猪様一人の命を犠牲にして、ここ本能寺の存続と捨子の命を救う。
平時の和尚様なら、それはならぬと判断できたはず。
「なぜこのような過ちを……」
天秤にかけてはならぬものをかけ、奈落の底に落ちたことに少なからず虚脱感に襲われた。
そんな涼水を見通したかのように幽玄は優しく諭すように言葉を続けた。
「『名主』という絶対権力に、銭を求めたところに負の力が働いたようじゃのう。足元を見られて絶対服従しか選択はなかったようじゃ。——————それになぁ、孤児を育てているうちにいつしか、和尚も人の親になっておったという事じゃろう。腹を空かせた子に飯を食わせたいと思うのは立派な親心じゃ。そんなほんの少しの欲につけ込まれてしもうたのじゃ」
幽玄の言葉には和尚を蔑む色はなく、むしろ同情を含んだ温かみがあった。
そしてふと宗鑑様の事が思い浮かんだ。
「もしかして、宗鑑様もそのことをご存じなく、和尚に絶望して出奔なさったのか……」
幽玄はわらじを履き終わり、顔をあげると優しい笑顔を浮かべていた。
「宗鑑はなぁ、幽霊騒動は初め和尚様に考え直してもらおうとでっち上げたはずじゃった。しかし、自身が寝ずの番をしている際に本当にお猪が化けて出てきよったんじゃ。宗鑑は自ら起こした亡霊騒動を沈めるため、わしを呼ぼうと和尚と相談しとったんじゃ。じゃが、和尚は外部の人間が関わることで自身の悪事が露呈することを恐れて頑なに拒否しておった。宗鑑は亡霊の存在を認めようとしない和尚に憤慨していた。それに銭が絡んでいることで和尚が保身に走ったと思ったんじゃろう。それで独自に行動をとった。それが出奔じゃったんじゃ。それでこの亡霊騒動となった本能寺を救ってほしいとわしのところへ懇願に来たのじゃ」
「それでは今は……」
「あぁ、わしの下におる。わしはあやつを温床寺へやるつもりじゃ。今度はわしが銭を工面する代わりに童どもの世話をあやつにさせるんじゃ。どうじゃ? 良い案じゃと思わぬか」
涼水はあの几帳面な宗鑑が世話するなら、これ以上ない親代わりだと思っていた。さぞ、几帳面な子が育つだろうと思うと、なにやら自然と笑みが溢れた。
「じゃあ、わしはそろそろ出立するでぇ。元気でなぁ」
そう声をかけると幽玄坊は本能寺を後にした。
涼水はしばらくの間、幽玄の後ろ姿を見送っていたが、またズッポリホジホジしているのがわかった。
そんな後ろ姿に思わずニンマリと笑みを浮かべていた。
怪談:本能寺の蝿女 雨鬼 黄落 @koraku_amaki
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