大物お笑い芸人のスキャンダルの真相

すどう零

第1話 ちょっぴりのリベンジ

 私の名は、松木真由。二十八歳の飲食店勤務のフリーター。

 私には好きな人がいたの。相手は当時は、売れない芸人ー松前ひできだったわ。

 私は、彼がスターになってくれるのが夢だった。

 でも彼は、芸能学校を卒業したけれど、一年たっても芽が出なかった。

 仕方がない。だって、デビューできるのは一学年のうちの0.1%でしかないのだから。千人に一人の確率である。

 デビューしたところで売れ続けるという保証などは、どこにもない浮き沈みの激しい厳しい競争世界である。


 今から八年前の二十歳の頃、私はベーカリー兼カフェ「アーバン」に勤めていた。カフェといっても、カウンター六席だけの小さなスペースでしかなかったが。

 よく客として訪れていたのが、その頃は無名だった松前ひできだった。


 私が一度、一万円札と五千円札とを見間違え、すみませんと平身低頭していると、松前は頭をかきながら

「いやいや、そんなに頭を下げられれば、僕が君をカスハラしているみたいに思われるじゃないか。まあ、今の僕には五千円は大金に違いないが、いずれ見ててよ。

 そのうちビッグになって、アーバンの壁に僕のサインを飾ってみせる。

 ガッハッハッハー」とのけぞって大笑いした。

 松前のバカ笑いに、私も思わずつられて笑顔になってしまった。

「君は若いし、可愛いね。でも、若さなんてすぐ消えてしまうものだよ。

 このバラの花びらのように、いずれは枯れて散っていく」

 そう言いながら、松前はカウンターに飾っている黄色のバラの花を指さした。

「だから、今のうちに大笑いしなよ。泣いて不安になって絶望して落ち込んだあげくの果て、快楽を求めてオーバードーツになるのも一日。

 反対になにがあっても、アッハッハッハと笑って過ごすのも一日。

 どうせなら、笑って過ごそうよ。

 あっ、オーバードーツになったら自分だけじゃなくて、家族や周りにまで迷惑がかかってくるからね、いくら誘われても絶対に仲間になってはいけないよ」

 こんな話をしてくれるのは、彼が初めてである。

 私は彼の流ちょうな話術に、目をまん丸くさせて彼をまじまじと見つめた。

「僕が朝、顔を洗ったあと、最初にすることは

アッハッハッハ―、今日というかけがえのない日こそラッキーディー、サプライズと唱えるんだ。

 そうすると、なぜか勇気がわいてくるよ」

 私は見習おうと決心した。


 それから松前は、二日に一度はアーバンに通う常連さんになってくれた。

 松前が買うのはいつも、焼きそばパンかピザパンなど、日持ちのする総菜パンばかりである。

 松前は、笑顔のときもあれば、なんともいえない仏頂面のときもあった。

 その頃から、松前は小さな劇場に漫談家として出演していたらしい。

 お笑いの世界は、客席がシーンと静まり返ると首を宣告されたのも同じである。

 それが三回ほど続くと「スベリ芸人」のレッテルを貼られ、いずれは泡のように消えていく運命である。

 まあ、現実はそんな人が九割を占めるのであるが。


 松前は、いつも私を笑わせてくれた。というよりも、今から思えば、私は松前の笑いの実験台になっていたのかもしれない。

 ときには無口で変顔をし、ときには「真由ちゃん、頑張ってるね。僕も真由ちゃんのエネルギーをそのままもらっていきます。お返しは僕の笑顔だよ。

 アッハッハッハ―」

などと笑わせようとするのだった。

 いつしか私は、松前の存在を心待ちにするようになっていた。

 もしかして、松前は私の味方なんじゃないか。親のように私の身になにが降りかかっても、決して見捨てはせず、いつも私に寄り添ってくれるのではないだろうか、そんな淡い期待さえ抱くようになっていった。

 これが初恋と呼ぶには、あまりにも単純で短絡すぎるのであるが。


 松前ひできは、芸能学校を卒業してから二年目にあたる頃、売れっ子タレント浜田たけしの弟子を依頼した。

 しかし、浜田たけしは首を縦に振らなかった。

「君にはタレント性がある。弟子をとるということは、弟子の生活の面倒、不始末をすべて師匠である私が、一手に引き受けなければならない。

 君は私の弟子というよりも、タレント兼世話係でいなさい」

 松前ひろしは、喜んでそれを承知したが、果たしてこれでタレントとしてデビューできるのだろうかという不安が、常につきまとっていた。

 しかし、このことはお笑いタレントなら誰しももつ不安である。

 今はもう、大御所と呼ばれ始めている浜田たけしとて、もちろん例外ではない。


 ある日、松前はレジに入っていた私に小さなメモを渡した。

「今日は、真剣な話がある。向かいの老舗カフェで待ってるから来てほしい。

 夕方五時十分、できるだけ遅刻しないでね」

 松前は、私が店を五時にあがるのを知っていて、五時十分という時間を指定したに違いない。

 やはり、タレント志願だけあって、人のことをよく観察している。


 休憩によく利用していた、地味なムードの老舗カフェに行くと、いちばん隅の席に松前は座っていた。

 私が向かいに座ると、松前はいきなり、机に頭をこすりつけた。

 私が「まあまあ、頭を上げて下さい。なにがあったの?」と制すると、

「今まで、僕のお笑いの相手をしてくれて有難う。

 僕は、ついに浜田たけしの付き人になれたんだ」

 私は、思わず頬をほころばせた。

「よかったじゃない。これでデビューのチャンスは約束されたのも同然よ」

 しかし、その瞬間、松前はいきなり顔を曇らせた。

「その代わり、浜田の付き人になるということは、浜田の女性関係の清算をさせられるかもしれないという噂があるんだ。

 まあ、噂の段階だから、真偽のほどはわからないが、浜田ほどの大物になると、いろんな素人女性が金目当てでたかってくる。

 浜田は過去二回ほど、写真週刊誌にすっぱ抜かれてるんだ」


 ああ、そういえば二年程前、話題に上ってたっけ。

 松前は話を続けた。

「相手はだまされてAV女優になってしまった素人同然の二十歳過ぎの女性だがね、札束を渡されて、弟子修行希望しますなどと嘘をいって、浜田に近づき、個室の料理屋で話をしただけだったんだがね。

 あっ、浜田は一元の食堂にはいかない。食事はいつも弁当か、行きつけの料理屋の個室と決めてるんだ。

 最悪の場合、下剤でも入れられたら災難だからね」

 私と松前は、思わず口を揃えて

「人気者はつらいねえ。その点、私たちは自由で気楽よね」と言い、顔を見合わせて吹き出した。

 

 松前は「僕と真由ちゃんは、笑いのツボが同じだなあ。

 真由ちゃんと会えるのは、今日で最後というわけではないが、今までのように、頻繁に店に通うことはできなくなってしまう。それでも、僕を忘れないでほしいな」

 私は大きく頷いて答えた。

「当たり前じゃない。もし松前さんが、テレビに初出演したら、私思わず、笑顔になりそう。

 やはり、私と出会って以来、運が上昇してきたに違いないと、自覚していいよね。

 私は、松前さんの笑いの実験台から、救いのキューピットに昇格したよね」

と顔では笑っていたが、心は半分、松前ともう二度と会えないかもしれないという寂しさから半泣き状態だった。

 

 松前は少々淋しげな表情で、でもムリして私を笑わそうとしていた。

「いや、真由ちゃんは僕にとって、救いのキューピットというよりも、すべてを受け入れてくれるイエスキリストになってほしいなあ。

 イエスというのは、すべてを受け入れるという肯定の意味、キリストというのは救い主という意味なんだ」

 私は、思わず目をまん丸くしたが、のけぞって笑い出した。

「アッハッハッハ―、そんなわけないじゃない

 イエスキリストというのは、神の一人子でしょう。

 なのにも関わらず、この世に降臨してきて、最後は人類の罪の身代わりになって十字架につけられたのよね」

 松前は、感心して言った。

「クリスマスというのは、イエスキリストのお生まれになった日。

 そのことを知らずに、ただただ、どんちゃん騒ぎをする日だと思い込む人も多いし、今は、教会のみならず、お寺でもクリスマス行事があるくらいだよ」

 私も、少しの知識を披露した。

「イエスキリストの生まれた所は、豪華な神殿ではなくて、なんと馬小屋だったのよね。不衛生極まりない、馬糞と尿の漂う、人間が一歩も踏み入れることのできないほどの臭い馬小屋だったのよね」

 松前は、私の話の続編を語るかのように言った。

「そして、最後には十二弟子にも裏切られ、人類の罪の身代わりになって十字架につけられたんだ。でもこれで終わりじゃないよ。

 なんと三日目に死人の中から蘇り、天へと昇っていったんだ。

 その日をイースターと呼ぶんだ」

 私は、昔を懐かしむように言った。

「そういえば、私は昔、クラスメートに誘われていった教会のクリスマス会で、イースターのとき、きれいにラッピングされた茹で卵をもらったわ。

 茹で卵というのは、生まれ変わりという意味なのよね」

 松前は、驚いて言った。

「実は僕も、小学校のとき、クラスに牧師の息子がいてね、誘われるようにして教会に通ってたんだ。

 僕の場合は、その当時、居間に仏壇があったが、そんなのお構いなしだったよ。でも、中学入学当時から、教会からは足が遠ざかっていったがね」


 松前は、昔を懐かしむように言った。

「僕は大学を卒業して、サラリーマンを三年したけれど、将来性はなかった。

 そこで、落語家に弟子入りしようとしたが、それも断られ、芸能学校に通ったんだ。まあ千倍の競争率をかいくぐって、デビューしたものの、一年でダメになっちまった。そこを、浜田たけしに拾ってもらってわけさ」

 浜田たけしというと、誰しも知っている大物お笑いスターである。

 その浜田が見込んだということは、やはり松前は才能のかけらがあるのかもしれない。

「でも、浜田たけしの付き人になるということは、子分みたいなものじゃない。

 まあ、いつまでも子分に甘んじていないで、浜田たけしと並ぶスターになってほしいわね」

 松前は、一瞬驚きながら言った。

「真由ちゃんと同じ言葉、浜田師匠にも言われたよ。

『タレントは個性が大切、それが輝きだしたとき、キャラクターとなって注目を浴びる。僕の物真似じゃだめだ。自分の個性を確立して、僕から羽ばたいていきなさい。それまでは、僕が君の巣のように、生活は保証する』と仰ってくれたんだ。

 僕は浜田たけしに、ついていくつもりだよ」

 

 

 



 

 

 

 

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