第2話 大御所浜田たけしをいじる新しい笑いのパターン
お笑い界の大御所である浜田たけしについていくということは、デビューのチャンスも無きにしも非ずである。
私は、思わず松前にエールを贈った。
「未来の大スター松前ひできに乾杯。今のうちにサインもらっとかなきゃね。
でも女遊びなんかしたらダメよ。昔は酒と女は芸の肥やしなんて言われてたけど、コンプライアンスの発達した今、週刊誌の攻撃のネタにされるだけよ。
たとえ師匠である浜田たけしに誘われても、現場にはいかない方が賢明よ」
松前は、急に不安げな表情になり、ため息をついた。
「そうだな。しかし難しい世の中になったものだな。
まあ一年後、見ててよ。僕は、ゴールデンタイムに出演してみせるよ」
私は松前の言葉を信じることにした。
そうでないと、松前に芽生えた恋心が消えてしまいそうだったからである。
私の恋心は、松前がスターになってくれることだった。
私との約束を実行したかのように、松前は浜田たけしの引き立て役として、テレビに出演するようになった。
松前は私との会話のようにボケをかましたかと思うと、急に浜田たけしに上から目線で偉そう口調で、叱りつけたりする。
浜田たけしというと、誰しもが一目も二目もおく大物である。
その浜田を怒鳴りつけるとは、まるで一昔前の、有名女性占い師のようである。
まあ、その女性占い師も現在は引退して見る影もなくなってしまったのであるが。
浜田たけし主演のゴールデンタイムの番組で、いきなり松前はボケをかました。
「皆さん、初めましてじゃなかった。これでたけしの番組に出るのは、五回目の松前ひできです。
たけしよりも、僕の方がよほど男前でしょう」
共演者はみな、神のようにあがめている大物浜田たけしを、松前が急に呼び捨てにしたのには、凍り付いた。
すかさずたけしが、突っ込みを入れる。
「おいおい、松前君。あんたは、ただ若いだけじゃないか。
若気の至りもいい加減にしなさい」
もちろん、松前はそれにひるんではいない。
「たけしじゃなかった。たけしさん、あんたの時代はそうだなあ、あと二年もつかもたないかだよ。大物なんて持ち上げられるのも、今のうちだけ。
お神輿に乗ってチヤホヤしていると、足元を救われるよ。
あんたこそ、うぬぼれるのもいい加減にしなさい」
再び、たけしが困り顔でつっこみを入れる。
「当たっりー。ビンゴですね。
さすが、松前君。なかなか空気読む力、ありそうだね。
実はというとね、僕も半年前くらいから、そんな不安と恐怖で一杯だったんだよね。これからは僕が、Z世代の松前君に学ばせてもらわなきゃね」
またもや松前が、それに応じる。
「うん、そうですね。その謙虚な姿勢が救われるよ。
不安と恐怖に怯えまくる前に、これからは、僕を師匠と呼びなさい」
共演者は最初は凍り付き、苦笑を浮かべていたが、のちに爆笑の渦に包まれた。
これが大御所いじり、師匠いじりの新しい笑いのパターンである。
このようなパターンが通用するのは、やはりユーチューブの影響だろう。
ユーチューブは、慣習やしきたりに捉われず、言いたいことが言える。
しかし、いつもしっぺ返しを食うのも本人でしかないが。
松前ひできの芸風は、まるで一昔前に話題になった、誰にでもため口の関西のボクサーのようである。
もっとも、ボクサーの場合は、策士家である親父から目立つためにヒール役をたたきこまれていたという。
派手なスーツも、敬語を一切使わないというため口も、目立つための手段だったに過ぎない。
実を言うと、そのボクサーはひどい人見知りで、人とコミュニケーションがとれないほどの内気な青年だったという。
そのボクサーは誰にでもため口で、一切敬語を使うことはなかった。
実をいうと、敬語の使い方すらもわかっていなかったというのが、悲しい実情であったのであるが。
この大御所である師匠いじりの芸風を、松前ひできは確立していった。
しかし、松前はまだ師匠である浜田たけしの域には達していない。
浜田たけしは、司会やコメンテーターも含め、レギュラー七本をもっている。
非常に面倒見がよく、若手タレントからも兄貴のように慕われていて、ときおり自宅に呼んでいる。
そんなときは、松前が浜田の家で家政婦のように、すみずみまで掃除をし、料理をふるまうのである。
今や、松前は浜田たけしにとって、なくてはならない存在となっていた。
まあ、陰では浜田たけしの腰ぎんちゃくにすぎないという声もあがっていたが、芸能界は売れたら官軍。
そんな批判に耳を傾けていては、活躍していけないが、やはり松前は、独り立ちするときが必要だと思っていた。
政治家のスキャンダルがでると、その後は芸能人のスキャンダルが浮上するという。
ターゲットに選ばれるのは、もちろん大物スターである。
浜田たけしは、女遊びをするタイプではない。
キャバクラには行くが、あくまでもキャスト女性との会話を楽しむ程度であり、肉体関係には応じようとはしない。
そして意外と(?)弱者の味方であり、売れていて天狗になっているキャスト女性よりも、新人で困っているキャスト女性の味方でもあった。
「お金がたまったら、別の世界で活躍した方がいいよ」と励ますほどだった。
そこにキャスト女性は、ほろりときて、浜田の前で泣き出すほどだった。
「おいおい、俺があんたを泣かしてるみたいじゃないか」と浜田は困り果てたような顔で苦笑していた。
浜田は、指名制度のあるクラブに行くことはなかった。
浜田ほどの大物になると、すぐスキャンダルの対象になってしまう。
また、なかには、金で釣られる女性もいる
「なんでもいいから、スターの悪口を言ってほしい。
謝礼として五百万円払うから」
の声に釣られて、買収される女性もいる。
特に、クラブは売掛金制度であり、借金を抱えた挙句のはて、自殺するキャスト女性が後を絶たない。
浜田は自分が情が深く、キャストに入れ込んでしまうのを自ら恐れているので、特定のキャストをつくることはなかった。
お笑い芸人というのは、三回すべったら、クビを宣告されたのも同然である。
客席がシーンとしていると、足元から寒さが立ち上り、それが恐怖感へと変わっていく。
もう次はない。お笑い芸人としては、すでに失格ではないか?!
お先真っ暗の絶望感の闇に変化していく。
ブルブルと震えるような恐怖感から、先の見えない絶望感へと変化していく表情を、松前は見逃すはずがなかった。
「師匠、僕がつくった報道番組を元とした小説を読んで下さい」
松前は、スポーツ新聞を含めた新聞を五紙熟読し、自ら事件の先のストーリーを創作するのである。
浜田たけしは、いつ自分が時代遅れの錆びた大御所と陰口をたたかれるのではないかと、内心は戦々恐々としている。
このことは浜田たけし自身よりも、松前がいやというほど、肌で感じ取っていた。
なぜなら、浜田たけしは、不安になるといつも松前の少々出っ張った腹をさわるという癖をもっていたからである。
たとえば、昔住んでいた松前の地元で火事があった。
その地域は、高齢化が進んでいるせいか、火事が絶えることはない。
松前は、浜田たけしとのペアの舞台でそのことを時事ネタにした。
「この地区の火事は、これで二度目ですよ。二年前も大きな火災を起こしたではありませんか。
三回目の火災になる前に、僕が爺さん、婆さん、なんて言っちゃいけない。高齢者を相手に、避難訓練をしにいく必要がありますね」
客席はシーンと静まり返っているだけで、笑いはとれそうにない。
いきなり、浜田たけしが突っ込みを入れた。
「えっ、松前が避難訓練の講師なの? ますます火事が起こりそうだよ。
だって、松前って子供の頃、マッチ遊びをして火事を起こしそうになったこともあったんだよな」
鋭い突込み。浜田たけしは、意外にも松前の話を覚えててくれてたんだ。
「これ、今だから告白しちゃいます。といっても、もう時効ですがね。
僕が五歳の頃、近所の幼稚園友達と、古びたアパートの前でマッチ遊びをしていたんですよ。
火がボーッと燃え上がって、綺麗な炎が舞い上がりそうになりました。
すげえ、綺麗、天まで届けなんて、歓声があがりました。
そのとき、たけしさんみたいなガラの悪そうなおじさんがやってきました」
浜田は再び突っ込みを入れた。
「おい、大御所である俺に向かって、ガラの悪そうなおじさんとはなんだ!」
松前は、頭をかきながら
「あっ、すみませーん。訂正します。上品な威厳のある紳士がやってきました」
ここで、客席から笑いが起こったので、ひとまず安堵した。
「そして上から目線で『やめろ』と言いました。
僕は思わず、心の中で反発しました。
僕達は今、楽しい遊びをしている最中なんだ。それをなんだ『やめろ』だと。
大人はそんなに偉いのか、だいたい窃盗、詐欺、殺人など犯罪を犯すのは、みな大人じゃないか。
自分を棚にあげて、僕達の小さな遊びの邪魔をするな!!」
浜田たけしは、乗り突っ込みを始めた。
いかにも共感したかのような表情で、
「わかる、わかる、その気持ち。
子供の頃って派手なことが、カッコいいことだと思い込むんだよな」
言い終えるや否や、急に激しい表情になった。
「しかしなっ、おい、松前、もし火事になったらどうするつもりだったんだ。
責任とれるわけないよな。
そのおじさんが、そのとき注意してくれなかったら、大火事になってたところだぞ」
松前は、頷きながら言った。
「そうですね。大人にならなければわからないことって、ありますよね。
師匠、これからも、僕をご教授下さい」
と浜田たけしに、頭を下げた。
そのボケに、客席から苦笑ともいえる笑いが起こった。
浜田たけしは、満足な笑顔を浮かべ、舞台を終えると僕の腹をつねり出した。
「もう、師匠、僕の腹はガムじゃないんですよ。
僕の出っ張った腹は、師匠の精神安定剤代わりでしょうかねえ」
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