日常と非日常とがメタモルフォーゼする不気味さ

 マウリッツ・エッシャーのトリックアート作品に、『メタモルフォーゼ』というシリーズがある。鳥、魚、蝶、市松模様など、狭い範囲では普通のモチーフなのだが、全体を見渡すと、普通だと思っていたものが徐々に形を歪め、別のモチーフに変貌してゆく、そんな作品だ。『エッシャーの熊』にも、『メタモルフォーゼ』の不気味さを感じる。だからタイトルの「エッシャー」とは、おそらくマウリッツ・エッシャーのこと。
 本作の内容や意図がよく分からない、とっつきづらいという人は、読んだ後でも読む前でもいいので、エッシャーの作品の不気味さに触れてみてほしい。

 日常風景が徐々に歪み、非日常へと変貌してゆく……。『エッシャーの熊』の場合、そういう不気味さを、「熊に襲われる」という非日常的な事件を題材として表現しているのだと思う。夏、ワンボックス、熊、心臓、アンタレス、それぞれのモチーフが関連し合いながら、現実とも幻覚ともつかないストーリー展開の中で繰り返し、どこまで昇っても降りても終わりがない無限回廊のごとく、主人公を巻き込んでゆく。
 エッシャーは見る者を怖がらせようと思って『メタモルフォーゼ』を作ったわけではない。作品を見た側が、トリックアートの不思議な世界に得体の知れない不気味さを感じ取るだけだ。それと同様、『エッシャーの熊』もまた、(作品ジャンルによれば)ホラーではない。SFジャンルとなっているのは単に宇宙や星座が登場するからかもしれないが、夜空を見上げれば星々の世界があるように、人間の世界と隣り合わせに熊の世界があるように、日常と非日常はシームレスにつながっている、それが唯々不思議であり不気味なのだ。

 「日常に飽きた人は非日常を求めるが、非日常の世界に巻き込まれるとこんなにも恐ろしい目に遭う、だから日常の中にいるのが一番」……とまで解釈するかどうかは、読者それぞれの受け取り方次第だろう。