第5話 みんな奴隷なのよ
――ヅォーン――
破裂音がしてローレンスの攻撃に困惑していた優奈の意識が
「ここは……」ムダーラではない!
身体は腹のところで木の枝に引っかかっていた。転落する車から放り出されたのだろう。コンビニで拉致されたのを思い出した。
眼下、谷底で車が燃えている。黒煙と油の臭いに身がすくむ。
危機一髪だった。……神に感謝した。その神はアラブのそれではなかった。
――ミシミシ――
不吉な音。乗っている枝が折れそうだ。
「ヒェー、落ちる!」
下は深い谷底、絶体絶命だ。
その時、背後で人の気配がした。
「レスキューです。大丈夫ですか?」
「落ちそうで、動けません」
「ヨシ、慌てないで」
レスキュー隊員が頼もしかった。彼の腕に抱きかかえられた瞬間、乗っていた木の枝が谷底に落ちていった。
「危機一髪だったな」
救助してくれたレスキュー隊員が、爽やかに笑った。
拉致犯は死んでいた。
優奈の足は折れていたが、それ以外は打撲と擦り傷、むしろ、心のダメージが問題だった。病院のベッドで虚ろな時を過ごした。オスマン帝国での出来事を夢だと思った。思うことにした。が、色黒でわかりにくいけれど、顔は日焼けしていた。多くの男性と関係した記憶もあって、妊娠の不安が胸に渦巻いていた。
もうひとつ問題があった。ピンク色の髑髏のスマホが見つからないことだ。探してもらったが、事故現場にもコンビニの事務所にもなかった。あれがなければ祐樹と連絡が取れない。
ベッドサイドのテレビでは、相変わらず中東の混乱を報じていた。群衆は政府機関に押し寄せ、フェンスによじ登る。
「彼らに比べたら日本人はのんきね」
見舞いに来ていた母親の感想は他人事だ。
「日本も戦うべきだっていうやつがいるのよ。自分は戦争に行く気なんてないのに」
戦うべきだというのは、祐樹の意見だった。彼が見舞いに来ないのは、今はセックスが出来ないからだと分かっている。
「その時になったら、きっと行動するわよ」
母は祐樹を知っているかのように話した。
「そうね。できる時になったら……」彼も見舞いに来るかもしれない。病院ではしたことがないもの。
「……でも、それじゃいけないのよ。コンビニで武器を売るようになったら、どうするのよ。平和は買えないのに」
「むきになって、どうしたの?」
「なんでもない」
説明したところで、母は信じないだろう。
ギザのピラミッドが映る。ラクダを引いた観光ガイドたちが並んでいて、「観光客が減って困る」と紛争ををぼやいた。
観光ガイドのひとりに見覚えがあった。救世主だ。ピンクの髑髏のスマホを得意げにかざしている。画面の向こうの救世主が「お前は奴隷だ」と笑ったように見えた。
優奈は母親のスマホで調べた。奴隷制度は2003年のN国を最後に世界からなくなっていた。ホッとしながら「私が誰の奴隷だというのよ!」とテレビに毒づいた。
脳裏を父親の顔が過る。その顔はコンビニに並ぶ避妊具のように無表情だ。世界から奴隷制度は廃止されても、気づかないだけで世の中の経済的な支配体制は存続しているのだ。
ふわりと仕切りのカーテンが揺れる。
背の高い青年の顔が覗いた。
「具合はいかがですか?」
青年は、あの爽やかな笑顔のレスキュー隊員だった。見舞いの花束を手にしていた。
「ど、どうして……」
鼓動が激しくなって声がのどにつまる。
「気になったものですから。僕みたいなものが来ては、迷惑ですか?」
優奈の胸が〝キュン〟と鳴る。
「いいえ、大歓迎です!」
新しいスマホを手に入れようと思った。
そのためにはお金が要る。バイト、頑張らなくっちゃ!
「優奈ったら、中東のことで怒っていたのに、現金ね」
枕元で母が笑っていた。
奴隷JK、危機一髪 ――愛とお金と平和とスマホ―― 明日乃たまご @tamago-asuno
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