別れた道の交差点

想兼 ヒロ

ここから始まる物語

 野球というスポーツは何となく知っていた。しかし、その子は自分の知る野球とはどこか違っていて、かなり輝いて見えた。

 体が沈み込み、全くのよどみのない投球フォームから繰り出される白球。打席に立てば、自分と同じくらい小さいというのに高々と打球を打ち上げ、外野の頭を越していく。


 一人だけ、格が違っていた。いつしか、目が離せなくなり試合が終わるまでフェンスに釘付けになっていた。


――おまえ、ずっと見てたよな。


 その少年に声をかけられる。恥ずかしさに顔を紅くしながらも、何とか頷いた。


――よかったら、一緒に野球をやろうぜ!


 その日、差し出された手。

 小さかったのに、とても大きかったことを今でも鮮明に思い出せる。



『三番、センター佐原くん』


「はっ」


 場内のアナウンスに呼ばれて、慌てて立ち上がる。どうやら考え事に夢中になっていたようだ。

 目の前で、じっと見つめる少年が一人。見つめる、というよりは睨んでいた。


「大丈夫かよ、おまえ」

「大丈夫だよ、僕は」


 相手投手の球筋など、一言二言言葉を交わして打席に向かう。ただ、教えてくれた彼には悪いが大海ひろみは何も聞いていなかった。

 その言葉は、彼が予想していた範疇を超えていなかったからだ。


 審判に会釈をして打席に立つ。バットをぐるっと大きく回して右打席に構えた。そこで初めて、相手投手と目が合う。


「ああ」

 思わず声をあげた。そこにいたのは、まさしく彼であった。


 瀬川陸。

 大海の幼なじみで、野球の師匠。共に歩み、その背中を追いかけた。


(まさか、こんな日が来るなんて)


 あの日、途絶えてしまった道の先。

 その先が、今日に繋がっているなんて思いもしなかった。


 一球目。

 一度、高く足を上げてから沈み込む。左投げのアンダースロー。それだけでも、球界で希有けうな存在である。

 しかし、それだけでない。


 胸元への速球を見逃した。ボール。

 中央辺りだろうと目星を付けた球が高めに外れる。球が浮き上がる、なんてのはありえないことなのだが彼の球威がその錯覚を可能にしている。

 マウンドにかするぐらい低いところから、真っ直ぐに放り込まれた球は下から跳ね上がってくるように見える。


(ああ、ほんとに投げれるようになったんだ)

 しかし、大海はそんな投球を静かに見送ると別のところで感動を覚えていた。


 中学最後の試合となったあの日。

 大海はマウンドでうずくまりベンチへと下がっていく陸を、ただ黙って見送るしか無かった。


 肘の故障。それが、思い描いていた未来を壊した。


 大海は声をかけられていた強豪校へと入学した。しかし、同時に誘われていた陸は高校野球に未練を持たないように野球部のない高校に進学したのだ。


 少なくとも野球では二度と交わらないだろう。二人はそう思っていた。


 チラリとベンチを見る。

 訝しげな表情でこちらを見ている少年と目が合った。


 陸との対戦の時に、嬉しそうな大海に苦言を呈した人間だ。そんなに憧れてる相手を打てるわけがないと。


――憧れがスタートで何が悪い。僕は、それでここまでやってきたんだ。


 大海はそうやって、その意見を突っぱねた。実際、一年生から主軸を任されている実力があるのだから、相手は黙るしかない。

 そのせいで、未だに関係がぎこちない。


(でも、そうだな。打たないと)


 スコアボードを見る。相手に得点が一つ入っている。観客の誰もが予想していなかった先制点を、大海達は許した。

 そして、大海の前の打者は二三振。流れを変えなくてはいけない。


 しかし、陸の球はなかなか捕らえきれず、大海は追い込まれた。

 勝負の一球。外角低めへの速球。


(いや)


 踏み込んでそれを打ちにいった大海のバットから逃げるように球は沈み込む。シンカー。これではバットは届かない、届いたとしても凡打のはずだった。


――おまえ、体大きいんだからもっと振り回せばいいのに。


 幼い頃の陸の助言。それを可能にする軸の強さ。体は傾いているのに、バットの速度は変わらない。


 快音を残し、振り抜いた。


 ふわっと、打ち上がった打球。しかし、なかなか落ちてこない。フェンス際まで追っかけていった選手の目に、スタンドに跳び込む白球が映った。


「よし」

 打ったあと、体勢を崩して走り出すのが遅れた大海は打球の行方を確認して小さく拳を握る。

 これで同点。この試合は、まだまだ始まったばかりだ。



「いや、あんな球をホームランにするなよ」

 陸は目が合った大海にニコッと微笑まれて苦笑いを浮かべる。

「いいぜ、とことんやりあおうってんだな」

 受けて立つ。陸は静かに闘志を燃やし、ベンチで祝福されている幼なじみの姿に口端を歪める。


 あの日、終わったかと思った道の先。

 この交差点から、二人の新しい道が始まるのであった。

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