明日、灰をすくう

サクラクロニクル

明日、灰をすくう

 わたしのなかには明確な好き嫌いなどない。相手が女だろうが男だろうが、性別なんて些末な問題だ。自分自身が子供を為さないと決めたそのときから、わたしは相手の性スペクトラムなんかに興味を持たず、ただ人格だけで物事を判断すると決めた。それは原始的な生理反応に依存していなければならない。好きだから好き。それでいい。そしてそれ以上の理屈などはしょせんは後づけにすぎないのであって、くだらない言い訳か、あるいは過剰装飾による価値観の披歴だと考えている。まあ、これのことを世間一般では明確な好き嫌いと呼ぶのだと思いもするのだが。

 金属製で四角形の缶がある。うえが空いている。これを天切缶と呼ぶらしい。読みがわからないので調べてみたけれど、てんきりかあまきりかはっきりしない。そしてどちらもわたしの意図している意味では出てこなかった。どちらも天井を破って侵入する賊のことだったり、あるいはそうした犯罪行為のことを指して天切と呼ぶ。だから結局、天切缶をどう呼ぶべきか、わたしのなかでは確定しなかった。

 その天切缶のなかでは炎がくすぶっている。友人の作品を焼いた。その名残りだ。

 ひとは落選にも格をつけたがる。ずっとそうしたものを見てきた。わたしのなかには物事の明確な価値判断基準というものが存在しない。だれかが良いというのであれば、それはきっと良いものであるのだろうし、逆もまた然りだ。そしてしばしば困ってしまうのは、賛否両論の存在だった。こうしたものは人間の生の声のぶつかり合いによって生じる。電子化されたレビューに対してもなまという言葉を使うのはおかしいかもしれない。けれど、人間の純粋化された思考の結果をなまと呼べないのであれば、ユーザーの声というものは電子化されてはならないということになってしまう。そんなことはないだろう。では声が出せない人間はどうすればよいのか。思っていることを表明するのに声だけしか使えないというのは実に不便であり、不公平だ。だからわたしたちのような人間は、相手の意志の発露である作文に関しても生の意見であるというように定義してこれをあつかう。

 キャンプに来ていた。誘われたから。プロの目線で見てほしい、と、友人に呼ばれて一次で落選したという小説を読まされた。わたしのような独自の判断基準を持たない人間に、そしてそうとわかっているはずなのに読ませるというのは、わたしの仕事に関係しているからだろう、と思っている。

 たしかに、わたしにはある種のプロとしての立場がある。電子書籍の出版社で働いていた。零細の下請けだが、一次選考員として編集者が動員されることがあった。こうしたことは本来、他人に漏らしてはいけない。だが友人には話していた。こうしたインシデントはしばしば発生している。たとえば昼食時など、同僚がよく愚痴をこぼす。選考基準に達してない作品を大量に読まされることとかについて。それが赤の他人に聞かれていることなど日常茶飯事だ。わたしとしては、どうでもよかった。一番重要なのは、わたしの所属している企業で使用している選考基準テンプレートに含まれている「年齢制限」などの最重要事項が他人にバレないことで、それ以外のこと、たとえば作品の出来に関する項目などはいくら漏洩してもたいしたことはない。むしろ、こうした基準あればこそ創作者は自分の作品をある種の客観性によって採点できるのであり、良い作品として応募してくれるようになる。まあ、言っても聞かない人間もいるが、そうした人間の作品は選考基準に合致しない話の運び方をしているものなので、さっさと読むのをやめて落としてしまえばよい。うちで使っている未発掘の才能という言葉は、編集部のいうことをよく聞きKPIに従って流行り物を高速で出力できる優秀なライティング能力のことを指しているのだから。

「一次落ちは妥当な結果だと思います」

 わたしがそういうと、彼女はしゅんとした様子を見せた。付き合いは長い。同棲をもちかけられたこともある。ルームシェアという意味だ。わたしはパーソナルスペースを侵されることを極端に嫌う。だから断った。肉体的接触に忌避感があるわけでもないし、昨今の価値観に流されるわけでもなく、純粋に百合というものが好きだったから、ナマモノとしての百合を実践してもいいとは思っているのだが。

「だめか。オレの」

 彼女が一人称にオレを採用しているのは、自分が身体は女こころは男だからということだが、わたしはそれをファッションだと思っている。わたしが使っている性別判断テンプレートに当てはめれば、彼女はおおむね女だ。一人称をウチとかにアタイとかに変えればいいのにと思うが、そうすると男から見てあざといだろうし、女性から見れば痛いだろう。だからなにも指摘せずそっとしている。

「だめですね。以前もいったと思いますが、最初の三行で作品の方向性が明示されていない時点でいけません。それに投稿先は連載作家を求めているのですから、物語における大目標と小目標をしっかり提示していなければいけません」

 恋愛であれば結ばれるべき相手が最初から見えていなければならず、そのため最初の一ページでその人と自分との距離が明示的に書かれている必要があり、かつ、第一話の難しいところでもあるが、主人公の人格とヒロインの人格描写に紙数を割く必要があり、加えてそこには恋愛関係に発展するために必要な様々な障害が提示され、なかでもまず乗り切るべき第一ステップが明らかにならなくてはならず、結び付近でその解決のために必要なガジェットないし新たなる登場人物が提示されて次の話への引きが作られていなければならない。そしてそこに連載ゆえの文字数制限が加わる。とかなんとか。わたしは所詮は読む側の人間なのでこのあたりのはっきりした創作作法について他人にどうこういえるかといわれると困ったことになるが、判断するだけならこれらを守っているかどうかを主観で判断すればよく、しかも滅多なことでは咎められない。テンプレートが優秀だからというのもあるが、結局、最終判断をくだす人間のもとにある程度まとまった数の優秀な作品、いや、もっと言えば優秀なライターであることを示すようなポートレートが届けばそれで仕事は達成したものとみなされる。スタートアップのときに入れたからいいが、狭き門くぐってしまえばあとはザルといったところだろう。

「小説はそんな理屈で判断できるものなのかね」

「別にうちはスマッシュヒットを出すのが企業理念ではないので」

 火が消える。冷えるまで放っておく必要があるだろう。

 テントのなかに戻る。

 友人はわたしの手を握ってきた。拒まない。どうでもいいわけではない。寒かったからあたたかいのが必要だった。わたしの手はそれほどまでに冷めていた。

「もしおまえのいうとおりにしたら、オレはプロになれるか?」

「そんなものになりたいなら、なれるかもしれませんね。一次くらいは通してあげますよ。わたしの担当作品になれば」

「とんでもないズルだな」

「うしろにいくらでも優秀な判断者がいますので。それに、うちでおちて他に回してデビューなんていくらでも聞く話です」

 そして、そうした金の卵を逃す行為について厳重注意があるわけでもない。所詮は下請けだしという、いわゆる下請け根性が染みついていることもあるが、要するに、うちは小規模な商業がどうにか回っていればそれでいいという程度の会社なのだ。

「むなしくないのか?」

「別に。やりがいがあるからやっているんじゃありません。生きるのに一番都合がいいのがこれだったというだけの話です」

 彼女が背中を抱いた。わたしはそれ以降に発生した細かい身体的やり取りを心地よいと感じた。

 明日、灰をすくおう。そんなことを思いながらねむりについた。

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